トラウトバム日本語版        

DIARY

1月4日

今日から仕事始め。それにしても暮れにやったぎっくり腰が一向によくならず、行住坐臥、思いのようにならない。床に伏すと言っても、寝床でなく、本当のユカに伏す毎日。
学生の頃に日高の山中でやったのを最初に、2年か3年おきにやっているのだけれど、今回はなぜか長引いている。

池谷浩「土石流災害」を読み終わる。基本的には、日本中どこでも土石流が起こるのですよ、と脅かしながら、そのために砂防ダムなどを一杯造らないとねと言っているのだが、まるで思いついたままに書いたかのごとく論旨があちこちに跳び、おかげで同じことを何度も聞かされる。骨格を一本はっきりさせ、それに沿って書いたなら、多分半分くらいに納まりそうだし、その方がわかりやすいだろうに。ちなみにその脅かし方は、稚拙だ。日本の川がいかに危険で、だから何とかしなければということを言うために、ミシシッピ川、セーヌ川、ドナウ川、ナイル川などと比較しているのだ。ちょっと、待て。そんなもんと比べてどうすんだよ。傾斜も降雨量も、降雨パターンも全く違うじゃないか。たとえば、ニュージーランドのように、日本とほぼ同じ大きさ、同じ年間降雨量の地域と比べ、その上で、日本がいかに危険かを説明するならまだわかるが。
この本から読み取れるのは、建設省としては、あくまでも自然は管理されなければならないものと考えていることだ。「たとえば山林が放置され、管理が不十分となると、山地は崩壊して山くずれが起こりやすくなったり、安定した水の供給ができなくなる」(P.207)など。しかし、そういうことが起こりうるのは、植林された人工林でしかない。天然林ではまずないのではないか。
また、自然への配慮という視点も欠けている。221ページにもわたる本の中で、「魚」という言葉が出てくるのは、「たとえば生物の調査で、魚の存在が重要な論点となる場合には、常時の流水が魚とともに通過できるオープンタイプの砂防ダムを建設することで、その対応は可能となるだろう」(P.166)のただ一文だけだ。たったこれだけである。人間の生活を守りつつ、自然との共生を図っていこうという姿勢は微塵もない。そればかりか、「砂防ダム等の砂防施設による整備は一九九八年度末で約二〇%と、まだまだその整備率は低い状況にあり、今後すべての危険渓流に土石流対策工事を実施するには多くの時間と費用が必要になる」と述べている。つまり、これから、まだまだ川は痛めつけられるということみたいだ。

 

1月6日

藤森隆郎「森との共生-持続可能な社会のために」を読み終わる。著者は、農水省森林総合研究所(もと林業試験場)の森林環境部長を務めていた人。この間の「土石流災害」に続いて、お役人の書いた本を読んだことになる。けれども、なんという違いか。材木生産のための人工林ばかりでなく、天然林までをも含めた広い範囲にわたって展開されている考え方は、日本の森の行く末にとって、いい道しるべとなるのではないだろうか。あくまでも、林業という産業の視点から見ているのは仕方ないとしても、それに留まらない深さがある。更に、これまでの行政に対する反省、未来への展望、そしてそこへ至る道への具体的な案まで盛られている。たとえば、「これまでは、森林を管理する政策を立て、実行する立場にある森林・林業の専門家といわれる人達が、その価値観に基づいて森林管理のあり方を判断し、実行してきた。しかし国民の価値観は多様化し、その声を森林管理に反映させていかないと、その政策や森林計画は国民の支援を得られない」(p.189)。この文章の「森林」を「河川」に、「林業」を「土木業」に読み替えてもそのまま当てはまるのだが、池谷の「土石流災害」にはそう言った視点は全くない。そして、国民の支援を得るために、あくまでも地域住民やその他の利用者との合意に基づいた森林政策を決めていかねばならないとしたうえで、「一般の人から意見が出ないとすれば、それは森林管理の仕事が社会からは見えないからだと受け止める必要がある。森林管理者の方針と相容れない意見に対しても、公平に扱わなければならない」と述べている。素晴らしいの一言である。もし、藤森氏の提唱する方向に、国や行政が進んでいったなら、日本の森はまだまだ大丈夫だろう。頑張っていただきたいものである。しかし、いくら森が良くなっても、河川管理をしている建設省があれじゃぁなぁ。

これまでは、家の暖房に薪を使うことに関しては、消極的な肯定しかできなかった。木材を燃やした際に出る二酸化炭素の量は、その木材が燃やされず朽ち果てた場合に微生物の呼吸、分解などで出る二酸化炭素の量と替わりはないし、さらに燃やした分、植林することによって空気中に出た二酸化炭素の回収もできるというものだ。けれど、「森との共生」を読んで、積極的に肯定すべきなのかもしれないと思った。なぜなら、石炭、石油、ガスなど、埋蔵資源は化石エネルギーとも言われるように、何億年か前に地上に生えていた森林が埋もれてしまったものだ。つまり、土壌、空気、森林という二酸化炭素の循環の輪から切り離されて存在している。これを使ってしまうと、空気中に出た二酸化炭素を使用前と同じ平衡状態に戻すことは不可能だ。二酸化炭素を集めて、地中深く埋めないとならない。これに対して、今地上に生えている木を切って燃やした場合、二酸化炭素に関してその使用前の状態に戻すことは可能である。使用した分の木を植えればよいだけだし、放出された二酸化炭素も、あくまでも循環の経路として微生物の呼吸、分解を経たか、燃焼を経たかの違いに過ぎない。生えている木を切り倒すという行為は、自然保護の逆を行くようだけれど(「地球に優しい」というイメージとも相反するし)、これから先のエネルギー源として、一つの有効な選択肢であると考えた方がいいみたいだ。

 

1月8日

朝起きるとまず水槽を見るのが日課である。おお、今日はなんと3つもやっているぞ。ゼフレビア・クルエンタタ、灰色の羽根のデリアティディウム・バーネール、それになんとなんと、コロビュリスカス・ヒュメラリスが羽化してるではないか。こいつの羽化の方法が気になって仕方がなかったのだ。水中か、水面か、攀じ登りか。まず水槽の水面近くに視線を走らせ、抜け殻を探す。ポンプのスポンジフィルターに浮いた殻が引っ掛かっていた。となると、水面か、それとも攀じ登りで水面近くまで行ったのか。けれど、ふと、水槽の蓋にももう一尾羽化しているのに気づいた。慌てて水槽の中をじっくりと見回す。と、今度は、底に沈んでいる殻を見つけた。うーむ。水面近くまで攀じ登り、抜け出た殻のうち一つが沈んだのか、それとも水面で羽化をして、殻がやはり沈んだのか。はたまた水中羽化の途中で、一つは足が離れて浮いてしまったのか。やはり現場を押さえないことには何とも言えない。難しい。

羽化したカゲロウを、傷付けないようにそっと窓の桟に移し、一つずつ写真を撮る。マクロで撮るため、ピントがなかなか合わない。三脚の上にカメラを据えて、ああでもない、こうでもないとやっていると、突然、隣の家のカーテンが閉まった。カメラがちょうど外を向く形になっていたので、覗きと思われたのかもしれない。あははは。

写真撮影後、ダンをそれぞれまた水槽に戻す。アダルトになったらまた写真を撮ろうと思ったからだ。しばらくしてふと水槽を見ると、石の上に載せておいたコロビュリスカス・ヒュメラリスが、なんと、水中を歩いているではないか。石をそのまま下に向けて降りたらしい。身体は空気の幕に覆われて銀色に輝いている。しかし、このままでは死ぬだろうと思い、取りあえず、救いの手を差し伸べた。今思えば、その前に写真でも撮っておけばよかった。失敗。

 

1月11日

コロビュリスカス・ヒュメラリスは、なぜかダンからアダルトになることなく、一尾はそのまま水面に羽根を広げて浮かんで死亡。もう一尾はどこに行ったのか、とんと行方不明。

ようやく、腰が良くなった。今までどれくらいひどかったかというと、パンツ、ズボン、靴下を履くのにも一苦労するほどだった。立ったままなどは夢のまた夢、椅子に腰を下ろしても足を上げることができず、仕方なくベッドに横になり、痛みにのたうち回りながらパンツを履き、ズボンに足を通し、靴下を履いていたのだ。それがこの二日ほどの間に、ごく普通に立ったままでもパンツを履けるようになった。嬉しい、嬉しい。これで、やっと普通に遊べる。もっとも、まだ圧迫感が残っているので、カヤックのような過激なことはしたくない。取りあえず、今日の夕マズメに、トンガリロ川にでも竿振り始めをしに行ってみようかいな。

2月10日発売の「アウトドア」3月号に、トンガの記事が載ることになった。原稿締め切りまであまり間がない。急いで書かねば。

 

1月12日

腰の調子が良くなったので、久しぶりに釣りをした。トンガリロ川の夕マズメ。しかし、ライズはほとんどない。それでもどうにか、目の前でライズしていたやつ四尾を皆かけることができたので、幸せ。もっともサイズはどれも40を切る小物ばかりだった。フライは、コロビュリスカスのダン。シーズン始めは、デリアティディウムばかりで、コロビュリスカスにはほとんど反応がなかったから、ようやくコロちゃんのハッチが盛り上ってきたということだろうか。

日本から来た知人が僕の家を見て、しきりに「やっぱり生活はシンプルな方がいいですよね。羨ましいなぁ」と繰り返した。おいおい、シンプルなのは、貧乏で余分なものを何も買えないから。それだけのことだよ。必要なものだって、ひいひい言って買ってるんだから。そう言うと、「いやいや、やっぱりシンプルな生活はいいですよ」と言いつのる。お前、人のことを馬鹿にしてんのか。内心そう思いつつ「そんなにうちみたいな生活がいいなら、簡単。仕事を辞めればいいんですよ」 そう提案したが、一笑に付された。そして、また「シンプル賛美」を送り返してくるのだった。
仕事を辞め、今までの半分の収入で賄う。それで君も憧れのシンプルライフだ。

もうとっくの昔に送ってしまった、そして今ごろは店頭に並んでいるだろう、カヌーライフのトンガ取材の原稿を読み直した。
ひどい。あんまりだ。なんでこんなに文章が下手くそなんだ。かなり落ち込む。

 

1月14日

「釣り師の言い訳第三十二回目」を書き終わる。 ふう。

夕マズメをトンガリロで遊ぶ。初めに行ったポイントは、風が強かったせいか、ライズなし。帰ろうかとも思ったけれど、せっかくだったのでその下流のポイントに入る。しかし、ここもほとんどライズなし。目の前でぽちゃりとやったやつを狙ってみれば、二十センチほどの山女魚サイズ。それでも、ニジとブラウンを一尾ずつ釣る。もう諦めるかというころに、下の方でモワリとしたライズがあった。かなり浅そうなところだから決して大きい魚じゃないだろうけど、二十センチってこともないよな。そう思って、ドライを流す。と、一発目でゴンときた。お、これ、結構でかい。ロッドをなんとかして立てる。けれどそれも束の間、凄まじい勢いで下流に向かって走っていき、そして、プツリと切れた。いやぁ、あんな場所にそんなのがいましたか。思いっきり笑わせてもらった。釣れなかったけれど、気分爽快。
ちなみに使ったのは全て、コロビュリスカスのダン。

 

1月15日

「釣り師の言い訳」をもう一度読み返して、手直しをする。それから、おもむろにアウトドアの原稿にかかろうとするが、あまりにも天気がいいので、つい、川に水棲昆虫を捕りに行ってしまう。

オニシガスターの様に大きな水棲昆虫は、他の虫を食べているのではないかと思う。で、水槽の中に小さい虫がいなくなってしまうと、川と違って上流から流れてくるわけではないから、餌が無くなって死んでしまうのではないだろうか。実を言うと、これまでに捕まえてきたオニシガスターは2匹とも死なせてしまったのだ。それで、3尾目を捕まえると同時に、餌になりそうな小さな水棲昆虫もたくさん捕ってきた。
川底をひっくり返していて感じたのは、これまであれだけたくさんいたデリアティディウム・バーネールがあまりいなかったことだ。みな、羽化してしまったのだろうか。

夕マズメにトンガリロ川に行く。相変わらず、いいポイントに当たらない。いても40センチ止まり。どうにかしていいところを見つけたいのだが。
今日の場所は街のすぐ裏で、ライズを待っていたら、お爺さんに連れられた十歳くらいの子が釣りに来た。僕の少し下流でやり、40くらいのやつを釣っていた。なかなかいい感じだった。

黒船のペリーさんのことばを聞いていて、なんだか、どうにもおかまのようだなと思った。これは何故だろうと考えてみる。つまり、こういうことではないだろうか。言葉の習得は、「習うより慣れろ」「学ぶよりまねぶ」である。そして、ペリーさんのような異人さんがもっとも多く話す機会がある日本人は誰かといえば、それは多分、蝶々夫人のように女の人だろう。おかげで、知らず知らずのうちに、女言葉、話し方が身に付いてしまうのではないだろうか。

 

1月17日

アウトドア三月号の原稿を送った。ふう。

知り合いから翻訳の仕事の話があった。まず、僕がどれくらいできるのか、先方が知りたいというので、試訳をする。与えられたお題は、インターネット絡みの国際市場の話。しかし、まず日本語が理解できない。
「金融の分野での電子資金振替に関して、資金の仕向け側と被仕向け側の責任分界に関するルール」なんて突然言われたって、あなた。なんすか、その仕向けって?これを調べるだけで、一時間あまりを費やす。専門用語はほんとわからん。
それで思いだすのは、まだ、学生だったころ「鮭、サラーの一生」を読んでいて、「把っ手の二つある竿」とか「先が二股に別れた竿」なんてのが出てきて、一体これはどういう竿なんだろうと頭を捻ったことだ。昔のイギリスではへんちくりんな竿を使って釣りをしていたものだ、それにしても妙なことと思っていた。その後、西洋毛鉤釣りに深く関わり、とくに竹竿の話をちらほら聞くに従って、この二つがとんでもない誤訳だと気づき、大笑いをした。僕の「金融」英語もそれと似たようなもんなんだろうなと思う。たはは。

 

1月20日

昨日、一昨日と一泊二日で海釣りに行ってきた。狙っていたのは、モツ川河口に産卵で集まるカーワイ。もう10年ほど前にここに行き、えらく良い思いをしたのが頭にこびりついている。打ち寄せる波の中に、黒々と泳ぎ寄せるカーワイの群れが見えるのだ。それで、フライロッドを抱えて、いそいそと出かけたのだ。
が、しかし、ランの時期に遅かったのか、それとも群れが来ていなかったのか、釣り人の姿はほとんどない。しかも、皆沖に向けてのぶっ込み釣りだ。フライロッドでは太刀打ちのしようがない。ルアーロッドも二本持っていったのだが、どちらもバスロッド。仕方なく、磯を探して走り回る。良いな、と思うところは大概牧場の先で、「私有地につき立ち入り禁止」とか「通り抜け禁止」などの立て札がきっちり立っている。ようやく見つけた場所で、コマセを巻きつつ、餌釣りをした。40センチほどのカーワイ、手の平サイズの小ダイ、ブルーマオマオ、オコゼなどが釣れた。タイは制限サイズ以下なので、泣く泣くリリース。やはり陸からの釣りはポイントが限られ、辛い。この次は、絶対ボートを持っていく。そう誓ったのであった。

昨夜、水槽を見たら、綺麗なカゲロウがひとつハッチしていた。石の上に脱ぎ捨てた殻がある。それを水に入れ形を確認すると、アメレトプシスだった。今朝、早速写真を撮る。しかし、写真を撮るためのお立ち台になかなか乗ってくれず、そうこうしているうちに、テイルを二本なくしてしまった。すまん。

 

1月23日

小西正一「小鳥はなぜ歌うのか」読了。内容は、表題の通りなのだけれど、もう少し突っ込んだ話が書いてあると面白かった。
続いて、「尊魚堂主人 井伏さんを偲ぶ」読了。井伏鱒二追悼の文章四十三篇を集めたもの。追悼文であるから仕方がないのかもしれないが、いまひとつ、食い込みが悪い。

日本から知り合いが遊びに来た。初めの一ヶ月は二人で回り、その後は旦那が一人で残って、釣り三昧の日々を一月ほど過ごす予定。彼らとは、もう十年近く前に新婚旅行でやって来たときに、僕が案内したのがつきあいの始まり。次の年に、仕事を辞めて、二人でやはり二ヶ月ほどこっちに滞在していた。来月末か、三月早々に海釣りに一緒に行こうかと計画中。雪辱戦なるか。

業務連絡
北海道の山内さん、北海道の山内さん。お知り合いの方がお見えになっておられますので、ご連絡ください。

 

1月24日

トンガリロ川の下流部に、セミが大発生しているかどうか、様子を見に行った。今週末に成史さんが来るから、もし大発生しているなら、ボートで最下流部を狙おうと思っていたのだ。しかし、蝉は鳴いてはいるものの、大発生というにはほど遠い状況。釣りをしているとうるさくてうるさくて仕方がないと言うほど出てくれないと、でかいブラウンはなかなか食い気を出してくれない。何尾か見つけたけれど、予想通り、皆昼寝中。フライを投げると嫌そうな顔をして、深みに逃げていく。なんとか、50ちょいのニジをセミフライでかけたが、最後の寄せでばれてしまう。

あなたがどれだけ努力したか、あるいはしなかったか。
あなたがどれだけ苦労したか、あるいはしなかったか。
そんなことは全く関係ないことなのだ。
客は、面白いものには金を払うし、つまらないものには見向きもしない。
そういうわけで、「釣り師の言い訳」は減ページで、これから4ページになる。
終了しなかっただけ、ありがたいと思わねば。

それにつけても、仕事の欲しさよ。

 

1月28日

26,27,28日と3連ちゃんで釣りに行く(ただし、例によって例のごとく、釣り場に着くのは、お昼過ぎ)。一緒に行ったのは、成史さんと飯塚さん。

26日。この日のお座敷は運河。雨の中、藻の上に出てきている鱒を狙う。初めは、小さなニンフで苦戦していたのだけれど、成史さんの「ドライで出るよ」のアドバイスにしたがってからは、好調。薄く巻いたパラシュートで、テイルの下に白っぽくニンフシャックを引きずったパターンが良かったような気がする。サイズは、14〜16番。50ちょいのブラウンとニジを6,7尾釣った。
27日。雨で濁りが入ったために、マンガフェロ川、レタルケ川、ファカパパイチ川、ワイマリノ川と300キロ巡回コースとなってしまった。しかも、坊主。夕マズメにトンガリロ川に入るものの、山女魚サイズのみ。対岸のおっさんがいいやつを3尾上げていた。
28日。牧場の小川に行く。橋のすぐ上でライズしていたやつをまず成史さんが釣る。その後、成史さんと飯塚さんが上流に行ったので、その二人のあとでは釣れないだろうと、誰も入ろうとしなかった雄牛4頭野放し区間にびくびくしながら潜入。牛が頭を上げて、フウと鼻息も荒くこちらを睨むたびに、ヤバイかなと脅えながらの釣り。ばっちゃんばっちゃんと元気よく魚が跳ねていたが、よく見たら、イトトンボへのライズじゃないか。しばらく狙って、蜘蛛フライでどうにか騙して釣ることができたが、それも2尾だけ。あとは、見向きもしない。昼飯を食べながら崖の上から見ていたら、釣れないわけがよぉく分かった。鱒は、プールの深いところにいて、水面近くをイトトンボがゆっくり飛ぶと、下からとんでもない勢いで泳ぎ上がり、ジャンプしてトンボに食らいついているのだった。3回に2回くらいは、ちゃんと食べてるみたい。あれでは、フライパターンがどうのではなく、長い竿を使って、フライを空中でふらふらさせないと駄目だろう。その後、淵にいた1尾を1時間近く粘って釣った。かかった魚が水面から飛び出た瞬間、うひゃひゃひゃと叫びたいくらいに高揚し、これだからフライフィッシングはやめられんよなと、仕事のないことを忘れて心から笑う。

 

1月30日

先日、ワイマリノ川を遡行していたときのこと。かなり大型のメイフライが飛んでいた。よく見れば、コロビュリスカスのダンだ。それから目を皿のようにして、足元の石を見ながら歩いていると、ひとつ抜け殻を発見。ふむ、どうやら、水の中から石を攀じ登り、陸上で羽化するのだなと思いつつさらに探していると、ついに殻を脱いでいる最中のものと遭遇。これで、やっと コロビュリスカスの陸上羽化を確認することができた訳だ。
その日の夜、そのことを水棲昆虫ページに書き加えるために、島崎憲司郎さんの本の陸上羽化のハッチコードはどうなっているのだろうとページを開いて、愕然となる。なんと島崎さんの本では、水棲昆虫が陸上ハッチをするに当たって、その場所まで、1.底を這っていく、2.水中を泳いでいく、3.水面直下を泳いでいく、とさらに3つに分けられているのだ。一体、どうやってそんなことを確認するんすか。やればやるほど、知れば知るほど、おっとろちい人だということを思い知らされる。

真黄色のアメレトプシスのダンもひとつ見る。暗い渓流の中では、ひときわ目立つ色だ。