トラウトバム日本語版        

DIARY

12月3日

あっという間に12月である。むむむ。

昨日は、トンガリロ川に夕マズメに行くが、ハッチがほとんどなく、ライズも前回より少ない。小さい山女魚サイズを一尾釣ったのみ。
今日は、トンガリロ川をひたすら歩き回った。天候が悪かったので、水温も上がらず、12度。浅場に出てきているニジを見つけたのでキャストするがドライには全く反応しない。カディスでも、パラシュートでも駄目。それでドライの下にコロビュリスカスのニンフを付けたら、一発で釣れた。胃の中を見ると、コロビュリスカスの破片、丸のままのデリアティディウム、そしてグリーンビートルの破片だった。何故、ドライに全く見向きもしなかったのか、不思議。
ポイントとポイントの距離は随分と離れるが、あちこちでサイトで釣れる魚がぽつぽつといる。今日は10時ちょっと前から5時前までで5尾見つけたから、朝早く起きて真面目に一日釣れば、8〜9尾は狙えるんじゃないだろうか。というわけで今日の私の結果は、60弱を糸切れで逃げられ、54〜56の雄を一尾ランディング。同行者は、55〜56の雄が綺麗にドライに出たのに、フライがどこにあるか見えていなかったので、あわせられず。あとは、30センチほどのやつを釣っただけ。

 

12月6日

昨日は、トンガリロ国立公園にトンガリロクロッシングをしに行ってきた。一緒に行ったのは、女房と、トンガで知りあったアメリカ人のハイディ。朝7時過ぎに家の前からバスに乗り、歩き始めたのは、8時半。実は、一昨日もスタート地点まで行っていたのだけれど、しとしとと雨が降っていたので、歩かずにそのままバスに乗って帰ってきてしまった。一緒にバスに乗っていった人は皆歩いたようだが、辞めておいて正解だった。というのも、昨日は雲一つない晴天で、景色もはるか遠くまで見渡すことができたからだ。コースは草地をすぎると急な崖道で高度を一気に稼ぎ、その後はクレーターの横を抜け、公園の反対側までだらだらと降りていく。ゴールに着いたのは夕方4時前だったから、ほぼ7時間半歩いたことになる。下りで膝をおかしくして、今でも曲げると痛い。というわけで、今日は静養を兼ねて仕事をする。

高島さんの納豆情報に続いて、KAZUさんから更に詳しい納豆情報をいただく。これで、なんとか納豆再生産はうまくいきそうな気がしてきた。それにしても納豆学会はすごい。恐れ入りやの鬼子母神である。しばらくねちゃねちゃと楽しんでいられそうだ。

 

12月7日

納豆菌が冷凍にどれだけ強いものか知りたくて、「納豆菌」「冷凍」というキーワードで検索をかけた。で、色々出てきたのだが、これをみて、笑ってしまった。確かに酒のつまみにはいいだろうけれど、誰が買うんだろう、余程納豆の好きな人だろうなと思いつつ、さらにいろいろ見ていたら、こんなのにぶち当たる。読み始めは分からなかったが、全文を読み進めるうちに、納豆にかける熱い思いのたけが文章のあちこちで噴出していて、たじたじとなってしまった。恐るべし、富士食品。

「釣り師の言い訳」第31回目の原稿が、全く書けない。一文字も書いていない。どうしてもアイデアが浮かんでこないのだ。考えても考えても空白の真っ白。そして窓からふと外を見ると、どこまでも抜けるような青空が広がっている。ああ、釣りに行きたいよなぁ。夕マズメだけでもいいから、川のほとりに立ちたい。ふう。

夕飯の後、8時15分に家を出た。国道を走り、トンガリロ川まであと1キロというあたりから雨になる。家を出るときは晴れていたので、雨具は持ってきていない。うっすらと雨の切れ目が山の方に見えるので、車の中で雨がやむのを待つ。8時50分、雨が小降りになったのを期に、用意をして流れのほとりに立つ。思った通り、ライズはほとんどない。10センチあまりのニジマスの子供を、とりあえず釣って帰った。はぁ。

「言い訳」、なんとかなりそうな、でも、ならないような。ここらで、手応えのあるやつを書きたいのに、どうにもこうにもいいストーリーが出てこない。

 

12月8日

実家より、西園寺公一「釣魚迷」が届く。ぱらぱらとめくっていて、どうも年代、年齢があわない。西園寺公一は公望の子供ではなかったのか。それで改めて調べて、自分の勘違いに気づいた。公一は公望ので、その間に八郎という人がいたのでした。そこで、福田和美「日光鱒釣紳士物語」をもう一度読むと、東京アングリング・エンド・カンツリークラブはもとより、その前身である丸沼鱒釣会にも発会当初からの会員として西園寺八郎の名前が出とりました。いや、とんだ思い違いと無知が露見して、恥ずかしいったらありゃしない。

群馬の見知らぬ方からメールをいただく。「釣り師の言い訳」を連載開始時からお読みとのことで、励ましの言葉に、しばし舞い上がる。昨日、ちょっとしたことで落ち込んでいたので、余計に嬉しい。

「言い訳」の原稿、やっと手を付けだす。今週中に仕上げないと、11日から15日までは友達が遊びに来るので、締め切りに間に合わない。
でも、待てよ、と去年の暮れの日記を読み返してみる、、、。
おお、なんと、12月21日に「没」の報せが入ってるじゃありませんか。で、25日の夜が最終締め切りとなっている。ふうむ、そうか。つうことは、年末進行で早まっているとはいえ、そこまではどうにか押せるのね。

 

12月9日

ニジマスの産卵期のことを調べるので、Bob McDowall「Trout in New Zealand」をぱらぱらと読み返していた。その中で、「外来種は、ニュージーランドの淡水環境に顕著な害を及ぼすことなく侵入したかのように見える。しかしそれは多分、在来種の過去、また現在での状況についてあまりにも少ないことしか分かっていないことからくる幻想であろう」(P.21)とあり、深く考えさせられる。

「言い訳」ぼちぼち進む。

ブラックバスとメダカについて少し。
岸には草が生い茂り、底を石や砂が覆い、流れにも変化があった小川が、コンクリートで三面を固められ、水はまっすぐに流れてしまう。川ではなく、それはいわば、稲工場への給水管、排水管でしかない。その上、たくさんの農薬。中学、高校の頃、僕がまだ前橋に住んでいたころ、夏の夜ともなるとよく側溝にいるボウフラを殺すため、殺虫剤を撒く車がやって来ていた。ボウフラを殺すくらいだから、かなり大量の薬がばらまかれたのだろう。あれと同じように、田んぼにはやはり薬がまかれたことと思う。その薬が直接メダカを殺すことはなくとも、メダカの餌をへらしたに違いない。そうやって、ふらふらのヨロヨロになったところに、ブラックバスだ。
他の二つの打撃と違って、ブラックバスの害はこの目で見ることができる。ブラックバスが大きな口を開けてメダカを食べるところだ。これほど、人に訴えかけるイメージはないだろう。だから、これだけブラックバス駆除が叫ばれているんじゃないかと思う。
が、しかし、とここで考える。
ある街で爆弾が炸裂し、10軒あった家屋の9軒が吹き飛ばされる。そこの住人は奇跡的に怪我をしなかったものの、ホームレスとなって路頭をさ迷う。残った一軒も、倒壊こそまぬがれたが、窓ガラスは破れ雨漏りもひどい有り様。ドアもロックができない。そんな時にその町に、ナイフを持ったギャングがやってきて、人々を刺しては金を奪うのだ。そう考えてみる。
もちろん、ギャングを捕まえることは大切だけれど、それだけでは片手落ちなのではないだろうか。それと同時に安心して暮らせる家を、外敵から身を守れる環境を提供することも大切なのではないだろうか。
メダカを救うためにブラックバスを殺せ、削除しろと言う叫び声は聞こえてくるけれど、どうして、三面護岸の用水路をぶち壊せ、農薬を使うなという声は、あまり聞こえてこないのだろう。

悲観的になってはいけない。そう言い聞かせても、明るい未来がどっちにあるのかさえ分からない、そんな感じだ。

 

12月10日

「言い訳」をとりあえず書き終わる。けれど、満足がいくものではないので、しばらくしたら、もう一度手を入れて直すつもり。

「Gone Fishing」というコメディ映画をやっていたので、あとで見るつもりでとりあえずビデオに撮る。その間に仕事部屋の掃除をやっていた。片づけ終わってテレビの前に行くと、もう映画は終わっていたのだが、なんと次にやっていたのは、「River runs through it」であった。お、このままビデオに撮ればグーじゃんと喜んでいたら、無情にも見始めて数分でテープが終わる。ちっ。
この映画を見るのは、これで二回目。改めて見ると、明らかに養殖物と分かる魚がぐったりしているところが目に付いて、いただけない。まぁしかし、そんな些細なことに気が回るのは、釣り人くらいのものだろう。
しかし、見ていて、釣りに行きたくなった。
学生の頃、コーラのテレビコマーシャルを見て「コーラが飲みてぇ」と言ったら、友達にあからさまに馬鹿にされたけれど、三つ子の魂百まで、今でものせられやすいのは変わっていないみたいだ。

 

12月15日

月曜日に友達一家が来た。火曜日は、運河に釣りに行くが、激しい雨と雷で、散々な目にあう。いい型のブラウンを見つけ、ドンピシャのところにフライが入ったのに、そのすぐ後ろにいた三十センチくらいのやつが、いきなり走り出てきて食ってしまう。おまけにバレル。
水曜日は、タウポ湖にボートを出す。浅場でスメルトを追っかけている鱒を狙って、まずは友達の奥さんが掛けるが、すぐにばれてしまう。合わせず、しかもラインのたるみを取る前に、リールを巻きはじめたのが敗因。その後、河口にボートを移したら、あっという間に家の女房が鱒をかける。ほとんどワンキャストワンフィッシュ状態で、女房三尾釣ったところで、回りの非難を恐れて、僕にロッドを渡す。替わった僕も立て続けに二尾。友達の奥さんも二尾。そして友人一尾。他にバラシが二尾あったので、わずか二時間の間に十尾かけたことになる。お刺し身と、レモンを搾ったうえで塩焼きにしたやつとで、美味しく頂いた。
昨日、木曜日は牧場の川へ。下流部には元気のいい雄牛がいて、前脚で地面をがっがっと蹴って脅かしていたので入れず、途中から釣り登る。対岸の草の下で、いいサイズのニジマスがライズを繰り返していた。真ん中の流芯にどうしてもラインを引っ張られてすぐにドラッグがかかる。稀にいいところにフライが入ると、じっくり見られて食わない。おかげで、三十分あまりもそこで粘ってしまった。イマージャーにやっと出てくれたと思ったら、コンと軽い手応えだけでばれる。がっくりしていると、女房が、ひょっとしてまだ出るかもよと言う。おいおい、今、鉤にかけたばっかりだぜ。世の中そんな甘くはないよ。あいつが万が一ライズを始めたらまだその可能性はあるけどさ、と言った傍から、またライズをする。おおおお、なんだこれ。それで、今度はスピナーで騙し、やっとのことで釣り上げた。粘りに粘った揚げ句に釣れたので舞い上がってしまい、胃の内容物を見るのを忘れる。

自分に当ててのクリスマスプレゼントに、小さな水槽を買う。近くの川から水と水生昆虫を早速捕ってきた。

 

12月16日

水槽を買ったのは、水生昆虫の羽化の仕方が知りたかったからだ。Norman Marshの本には、残念ながら、そのあたりの情報がない。それで、取りあえず、Deleatidium vernaleColoburiscus humeralisを入れてみたのだが、夕飯を食べている間に、Deleatidiumが二匹、羽化してしまっていた。おかげで、水面羽化なのか、水中羽化なのか、確認することができず。朝起きたら、さらに一匹がダンになっていた。
夕方四時頃に、昨晩羽化したダン(亜成虫)が脱皮をして、成虫へと変身。一瞬の差で、脱皮する瞬間を見逃す。

昼過ぎに近くの川に水生昆虫を捕りに行く。Insectsのコーナーに新しくOniscigasterAmeletopsisの二種を追加。もちろん、これらも水槽に入れた。

 

12月18日

いまだにDeleatidium vernaleの羽化の瞬間が見られない。それよりも一回り小さい種類の羽化は、限りなく偶然に近いとはいえ、しっかり見ることができたのだが。あ、何か水面にいる、そう思って凝視したら羽化の最中だったのだ。水面にぶら下がった時に始めて気づいたので、底から泳ぎ上がるのか、それとも比重を利用して浮き上がるのかまでは分からなかった。
ところで、自分でやってみて思い知らされたのだが、水生昆虫の羽化の観察はすっごく大変である。その瞬間がいつなのか予想がつかないから、ひたすら見ているしかない。半ばプータローで、仕事がなく、時間もたっぷりある僕ならともかく、島崎さんなどどうやっておられたのだろうかと思ってしまう。お仕事、しかも夕方に忙しくなる料理店をやっておられたのだから、その事実を考慮に入れると、ただでさえ素晴らしい偉業が、ますます驚異に思えてくる。ひたすら感嘆するばかりである。
水温が気温と同じになってしまうので、昼過ぎから、冷凍庫の壁に張り付いた霜の塊を入れて冷やす。これなら、空気中の水分が固まったものなので、塩素だのなんだの変なものが入っていないから安心だ。しかし、日本で水棲昆虫を飼っている人は、どうやって水温調整をしているのだろう。本式に、クーラーでも付けているのだろうか。
突然思い立って、水槽を発泡スチロールで三面覆ってしまう。これなら、いくらか保温性が高まり、早々すぐに室温にまでは上がらないだろう。

久しぶりに、トンガリロ川にジョギングカヤックに行った。昨日の夕方、上流で夕立があったらしく、水がちょっと多い。サーフィンとロールの練習をする。左から沈んで右に上がるのは全く問題ないのに、右から沈んで同じ右に上がるのがちょっと弱い。うーむ、なぜだ。しばらく考えて、身体の捻りが足りないのではないかと思い、意識して身体を捻ってみたら、ばっちりグーでした。ほんのちょっとのことで、上がり方がスムーズになるのだから面白い。
しかし、未だにロールの練習などしているのだから、いつまでたっても中級から抜け出せないのも当たり前だわな。

 

12月19日

理論はこうだ。
つまり、室内の空気から熱エネルギーが水槽内の水に移動し、いつかは平衡状態、室温と水温が同じ状態になる。だから、まず発泡スチロールの覆いを外し、夜の間じゅう窓を開けておき、下がった室温に水温が同化するようにする。新聞によれば最低気温は13度だから、水温もそのあたりまで下がるはず。そして、朝起きたときに、水槽を再び発泡スチロールで覆ってやれば、水温を低く保てるだろう。もちろんいくらかは上昇するにせよ、室温と同じまでにはなるまい。
で、現実はこうだ。
朝起きて室温を見る。21度である。ふむ。窓から顔を出すと、ひんやりとする。たとえ窓を一杯に開けておいても、部屋の温度はそうそうは外気温と同じになるものではないようだ。四方の壁、天井に厚く断熱材が入れてあるせいだろう。素晴らしく断熱効果の高い家じゃないか。うれしいぜ。そこで、温度計を水に入れて水温を計ると、、、。25度。ああ、ちょっと待て、なんだ、これは。どうして、室温より水温の方が高いのだ。一体誰が熱を出しているのだ。水槽内に目をやる。あ、ポンプか。水に沈めて使うタイプのポンプなので、モーターの熱が全て水に逃げるらしい。しまった。これが昔熱帯魚を飼った時に使っていたような空気ポンプなら、本体は外にあるからこんなことにはならなかったのに。しかし、今さらポンプを買い替える財力はない。
で、対策はこうだ。
いかに空気から水槽への熱の伝導を防ぐかではなく、いかに水槽から空気への熱の放射を効率良くするかが問題なわけだ。発泡スチロールなど、論外である。そこで水槽を浅い皿に載せ、水槽の三面をタオルで覆った。その上で、皿に水を満たす。こうすれば濡れたタオルが蒸発するときに気化熱を奪い、結果として水槽を冷やすはずである。
まだ、方策を変えてから一時間も経っていないので、どこまで効果が上がるのかは不明である。しかし、水温はほぼ一度下がった。明日の朝、何度になっているのか、気になるところである。

高水温という劣悪な環境のためか、Coloburiscusが何匹か死んでしまった。残念である。しかし、Oniscigasterがまだ元気に歩き回っているのが何よりだ。頑張って、羽化して欲しいものだ。

しかし、ここまで面白いものだとは思わなかった。あれこれ、次から次へと課題が出てくるのがいいんだろうな、きっと。

 

12月20日

ずっと、ずっと気をはって、目を凝らしていても何も起こらない。でも、ふっと目をそらしたり、隣の部屋にちょっと行って帰ってみると、いつの間にかいるんだ、これが。羽化したばかりのカゲロウが。飼い始めてからまだ数日、今まで何尾のカゲロウが水槽から羽化しただろう。もう10尾はくだらない。けれど、目の当たりにしたのは、ただ一度だけ。
今度は、Deleatidiumをごちゃまんと捕ってきて、自然状態では考えられないくらいの密度にしてみようかしら。そうすれば特定の時間内に羽化する率がぐんと上がり、遭遇するチャンスも増えるだろう。
しかし、そうすることには、ちょっとした躊躇がある。理由は、捕ってきた水棲昆虫が家の水槽で羽化したところで、交尾、産卵には繋がらないというところにある。もちろん、僕が捕ってくる虫の数など、鱒、ツバメ、ファンテイルその他の鳥に食べられる量から見たら微々たるもので、カゲロウの自然繁殖上には全く影響はない。だから完全に心情的なものだ。つまり僕の私利私欲のために、虫を無駄にするというところに引っ掛かるのだ。学問のためという大義名分もない。仕事のためという言い訳もない。ただ単に、どこまでいっても僕の遊びのためなのだから。

お友達からいただいた翻訳の仕事をする。「世界言語としての英語」みたいな記事。そりゃ、確かに英語は世界的な言葉だけれど、面と向かってそう言われるとなぜかカチンと来る。多分、人がこんなに苦労して使ってやっているのに、英語圏の人間は、それを当然と思っているように感じられるからだろう。
それはともかく、久しぶりに真当な文章の翻訳なので、嬉しい。なにせこの間やったのは、日本の漁船の航行性能の表とグラフだったもんなぁ。

 

12月22日

昼過ぎに近くの川に水棲昆虫を捕りに行く。この間、オニシガスターを捕ったところで、石をひっくり返していると、やたらでかいアメレトプシスを、しかも今にも羽化しそうな感じでウィングケースが大きくなっているやつを二つも見つけた。これはすごい。ダンの写真も撮れるし、うまくすれば羽化するところも見れるぞ、とほくほく顔でタッパーに入れた。その後も、羽化してしまったゼフレビア・クルエンタタや、デレアティディウム・バーネールを補充するつもりで、捕り続けた。大分集まったし帰ろうかと思ったのだけれど、いや、もう一掬いだけと欲を出し、瀬の脇で石を裏返して更にいくつかニンフをネットに納め、どれタッパーに入れようと思ったら、ない。水が暖まってしまわないように、流れの浅いところに石で止めておいたのだけれど、どこにも見当たらない。げ、げ、げ、げ。慌てて下流に走ったら、20メートルほど下で蓋を、そしてその更に20メートルほど下流で沈んでいるタッパーを見つけた。もちろん、せっかく捕ったニンフは全部パー。すっげーぇ、悔しかったっす。

水槽の水棲昆虫を見ながらフライを巻いているのだけれど、改めて、俺ってすっげぇ不器用で、フライを巻くのが下手くそだなぁと実感する。哀しくなるぜ。

 

12月25日

朝、目を覚ますとまず、水槽を見る癖がついた。で、今日もいつのように見ると、もう既に羽化しているではないか。うっすらとオレンジ色に美しいダン。ゼフレビア・クルエンタタだ。早速写真を撮ろうとするのだが、あっちこっち飛び回って中々うまくいかない。ようやく落ち着いてくれたと思って接写レンズを通してみたら、いつの間にか、足が数本、尻尾が一本なくなっていた。ごめんなさい。許してください。
脱殻が水面近くで石に引っ掛かっていたので、多分、水面羽化だろうと思う。それにしても、羽化する瞬間をこの目で見ることがここまで大変だとは思わなかった。写真に撮るなど、とんでもない話だ。

今日はクリスマスなのだが、天気が良くなく、どこにも遊びに行けない。家でだらだらとしてしまいそうだ。

 

12月26日

昨日、夜中の一時過ぎに水槽をのぞいたら、石の上にステノペルラが攀じ登っていた。お、これは羽化するのかと思ったら、電気の明りに驚いたのか、慌てて石の下に隠れてしまった。よく見ると、水槽の中には、他にももう既に羽化したカゲロウが何尾かいる。夜、暗くなってから羽化しているらしい。
そして、今日の朝、予想した通り、ステノペルラが羽化していた。とてもきれいな緑色の成虫だ。このサイズで緑色のフライとなると、バッタとしても通用しそうだ。
 

12月29日

27日から、二泊三日で高島邸に遊びに行っていた。出かけるまでは、自転車を持っていって、あちこち漕いで回ろうかなどと考えていたのに、前日に芝刈りをしていてぎっくり腰になってしまい、まともに歩くこともできない有り様だった。幸いというか、天候は最悪で、外に出かけるような状況ではなかったために、ワインなどを飲みながら、ひたすら話しまくりの三日間だった。
僕と高島さんは、これまでに二回お互い知らないうちに遭遇している。初めは今から25年ほど前、僕が高校一年生で、高島さんが中学生の時に、エリック・クラプトンの日本初公演を武道館に見に行っているのだ。あの広い武道館の二階の奥の方で、S席のはずなのにどうしてこんなに後ろなんだと心の中にわだかまりを持ちながら、一心にステージを見つめていたのだ。ばらばらの席で。
次に僕たちがすれ違うのは、札幌。ここにある大学に僕は7年在籍していたのだけれど、そのうち4年間は、高島さんと重なっている。だから学生協の食堂でひょっとしたら隣りあって食事をしていたのかもしれないし、生協の本屋で本棚を間に挟んで向きあっていたのかもしれない。
三度目にあうのは、ニュージーランド。高島さんがカヤックをやりに来て、たまたまこっちのカヤックツアーガイドの手伝いを僕がしていて、知りあったのだ。そして、高島さんが移り住んでからは、いろいろとおつき合いをしていただいている。
うーん、ありきたりの言葉でいえば、世界は狭いと言うところだろうか。

留守にしていた間、水槽での羽化は全くなかった様子。水温が高くなりすぎたのだろうか。いくつか、死骸を見つける。改めて、水棲昆虫を飼うことの難しさを感じる日々。

 

12月31日

大晦日だというのに、まだ腰の調子が良くなく、コーヒーテーブルの上に俯せになったまま本を読む。
立石巌「邪馬台国新考」 取り立ててどってことのない本。余程自分の考えを論理づけるための根拠が薄弱で、しかもそれを本人を自覚しているためだからだろうか、「むにゃむにゃと言えないこともないわけではない」という文章が多い。とりあえず、読んだってことで。
中西準子「水の環境戦略」 これは素晴らしい本だ。94年に出ていたらしいのだけれど、今まで読んでいなかったことを残念に思うとともに恥じ入りたくなるほど、内容が優れている。基本的には、下水道、そして上水道のことを論じているのだが、川を取り巻く政治的環境、そして特に日本の場合のそのお粗末さがよく分かる。これでは日本の川がどんどん駄目になっていくのもむべなるかなと思わせられてしまった。もちろんそればかりではなく、自然環境と人間の生活環境の問題も考察していて、川のこと、魚のこと、自然環境のこと、環境問題を考えている人には是非とも読んで欲しい本です。人間の生活環境を向上させるにはそれだけの費用がかかり、リスクをゼロにするというのは、ある意味で机上論でしかないというあたりが、肝です。と言うことで、久々にいい本を巡り合えました。
池谷浩「土石流災害」 これはまだ読み始めたばかり。しかし、帯に「土石流はときも、場所も選ばない。起きてからでは、遅すぎる!!」なんて書いてあり、なかにも「わが国の国土が持つ自然条件からして、土石流などの自然現象の発生を完全に防止することは至難である。しかし一億二五〇〇万人の国民の生命と財産をなくしてよいわけはなく、今の日本の国土の実態をよく知って、災害に対応する必要がある。」なんて述べている。これでは、日本に住んでいる人、誰も彼もが土石流災害の危険にさらされていて、だからこそ、砂防堰堤をもっと作らなければならないと言わんばかりだ。ちなみに著者は、建設省砂防部長。中西準子の「水の環境戦略」を読んだ後では、そのお粗末さが露呈して、怒りと溜め息しか出てこない。いやいやながら読むことになりそうな本だ。

今年も一年色々あって面白かった。
来年も、もっともっと面白くなるといいと思う。