DIARY
支払いを溜めに溜めている翻訳会社からメール。 「とってもエキサイティングなニュースをお知らせします。社名が変わりました!」 おいっ!! すっげぇ危なくねえか。6か月近くも翻訳者に支払いのできない会社がいきなり社名を変えるって。斉藤、かなりビビっているぞ。 というわけで、お願いだから潰れる前にちゃんと払ってください。溜まっている翻訳料が手に入れば、それだけで半年はのほほんと暮らしていけるのでありますよ。 先日拾ってきた栗は、半分は栗ご飯でいただいたが残り半分をどうしようと考えていた。料理の本をぱらぱらと見ていたら、渋皮煮なるものがあったので初挑戦。手間暇かかったせいか、まぁまぁのでき。個人的な好みとしては、これにラムかブランデーを入れて和風マロングラッセに仕上げても面白いな、というわけであとでラムを買いに行こう。 カップラーメンの「富山九頭竜」を食べながら、ふと気付いた。スープの塩加減である。蕎麦でも、蕎麦つゆをそのまま飲んだら塩っぱすぎる。蕎麦つゆをいただくときには蕎麦湯を足して割ってちょうど良い塩加減にするのが普通だ。ということは、ラーメンでも麺を食べているときの塩加減とスープだけを飲むときの塩加減は相いれないものではないのだろうか。難しいぞ。奥が深いぞ、ラーメン。今日の夜は第4回目の麺の仕込みを開始する予定。 |
ラーメンをうちながら、議論あるいは意見を主張する場合にアナロジーを使うことについて考えた。その結論。
アナロジーが成立するためには、まずA(例、登山)とB(例、イラクの人質)に類似点があることを確認しなければならない。いくつかの類似点があるというだけではなく、Aにあてはまる事柄がBにも適用される、と主張できるだけの重要かつ本質的な類似点がなければならない。さもなければ、どちらも液体を含んだ柔らかい固体で色は黄土から茶色という共通点があるからということで、味噌も糞も一緒になりかねない。はたしてこの確認がまずできているのか? これらの確認、検討をしていない場合、アナロジーは自分の意見を正当化する論拠とはならない。
この他に共通点を持つものとしては、「酔っ払い運転あるいはスピードの出しすぎで、崖から落ちたドライバー」「このあたり痴漢出没注意などの看板があるところを一人で歩いていて襲われた女性」「100年に一度の規模の大雨が降れば氾濫することがわかっている土地に家を立てて、洪水に合った人」等も、CやDの部類に入るだろう。これらの人に対する救助対策費も自己負担とするのでなければ、「登山」と今回の人質事件をアナロジー的に同一視する議論は成立しないと思う。
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4回目の麺の試食。一口目はまぁまぁかと思ったのだが、食べ進むうちにアラが目立つようになってきた。駄目だ。どうしてもうまくいかない。くうぅ。柔らかくモチモチとして、それでいてコシのある麺が作りたいのに。複数の要素を同時に変えてしまうと何が良かったのか悪かったのか、あるいは影響していないのかがわからなくなると思ったので、今回は加水率とかん水の量は前回と同じにして、グルテンの量だけ倍に増やしてみた。が、その結果は堅さがあるだけで、柔らかいコシといえるものが感じられない麺となってしまった。違う、違うのだ。こんな麺が食べたいのではないのだよ。次はかん水を下げるか、加水率を上げるかどちらかで再度挑戦。
いきなり社名が変わった某翻訳会社に、用があったのでメールを送る。面倒くさかったのでそのままアドレス帳にあった旧メールアドレスで送った。と、
自己責任関連で真っ当なことを言っているリンク。 自己責任論に応える試み(ネタとして) おかしな報道には抗議しよう日記 「自力救済型」社会、自己責任? Dead Letter Blog
こんなことを言っていた人たちもいたということで、忘れないように。 |
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