DIARY

2月2日

テレビ撮影の準備でいろいろと調べ回る。かなり細かく、煩雑ではあるけれど、ある意味で非常に事務的な仕事だ。これと比べたら、「釣り師の言い訳」の方がどれだけ苦労することか。おまけに経済的なことだけに関して言えば、テレビ関係の仕事の方がはるかに良い。かかった日数で計算してしまうと、戴けるものは原稿料の四倍近いのだから。溜め息が出るぜ。
テレビの撮影準備の仕事は、英語さえできれば誰でもある程度できてしまう。それがまた虚しい。
それに比べ原稿は、ないアイデアを絞りうんうん唸って一言半句を捻りだし、それでこれかぁ、と悲しくなる。
本当に私の仕事、小説は認めてもらっているのだろうか。
誰か、読んでいる人は、本当にいるのだろうか。

と、落ち込んでいる場合ではない。
久保寺君に頼まれた、ナイトフィッシングの写真が撮れていない。とんでもない風が吹いて、誰も釣りなどやっていないのだ。困った。おまけに昨夜は、夕飯の後、車で湖に釣り人を求めて出かけたのだけれど、ポイントに着く前に睡眠不足が祟って途中でダウン。頭がぐるぐる回って、車の運転どころではなくなってしまった。
今夜こそ、なんとか。

追記
夕飯を食べた後、湖に行ってみた。こちら側は風が強く誰も釣りをしていないので、わざわざ反対側まで車を飛ばす。流れ込みで四人程立ち込んでいる。どうにか写真を撮った。が、魚は全く釣れていない。一時間程僕もやってみたけれど、うんとも来ない。暗い中、投げては引き、投げては引きの釣りは集中力に欠ける。めげてやめる。

 

2月3日

朝から仕事をほったらかして、湖にボートを出して釣りをする。表層水温19度。風は心地よく、遠くのカイマナワ山脈が美しい。テントとザックを担いで登りたくなる。
この間釣れたところで粘るが何もない。あちこち走り回った揚げ句、ホールに戻ってきて藻の塊の横でボイルしているのを見つける。うっかりしてフローティングラインを持っていくのを忘れてしまい、仕方ないからシュテーィングヘッドのタイプ4で狙う。スメルトのスピードはかなり遅いのだけれど、ラインがどんどん沈んでしまうものだから、早めにリトリーブしなければならない。おかげで、たった1尾釣れただけ。まぁまぁの数がボイルしていたから、ラインさえ忘れなければなぁ、、、。

東京の未知の方からメールをいただく。
昨日の日記を読んで、「釣りの言い訳」を読んでおられるとのこと。嬉しい。嬉しいっす。
と言うわけで、張りきって「言い訳」を書き進めよう。

 

2月4日

雑誌「シンラ」の仕事で、南島で根津甚八と風間深志と釣りをしてきた芦原さん(ライター)と渡辺さん(カメラマン)が昨夜家に来た。天気が悪く、雪、雨にやられ、川は濁り、おまけにちゃんとした釣りガイドも使わなかったものだから、釣りは散々だったらしい。なんとなく憚られてはっきりとは訊ねられなかったのだけれど、根津甚八は坊主だったようだ。大黒で飯を食ったと言っていたから、その時に佐藤君に様子を聞けばどうにかなったと思うのだけれど、もう今更後の祭り。
芦原さんとは、もう十年以上のつきあい。初めて会った時に、僕が大学の後輩だと分かって、以来懇意にしてもらっている。仕事も何度かいただいた。
飯を食い、ビールを飲み、ワインボトルを四本倒したところで、宿に帰るというから、どこですかと聞いたら、シャトートンガリロだと言う。ここから四十分もありますよ、家に泊まっていってくださいと言うことで、お二人とも泊まっていく。
初めて、それこそ、生まれて初めてと言うくらい凄まじくも強烈なイビキを聞いた。
大丈夫なんだろうかと不安になるくらいの轟音だった。

没原海に第三号追加。

 

2月6日

あと三週間。あと三週間頑張れば、南の天国が待っている。
そこでは何千、何万というカゲロウが舞い、何百、何千というブラウンが水面で餌を摂っているはず。
僕は流れの脇に佇んで竿を振る。
朝も、昼も、夜も。
この川でも、あの川でも、どこでも。
今日も、明日も、明後日も。

「言い訳」、思ったより苦労している。
テレビ取材の下調べはほぼ完了。原田美枝子でなくなり、高木美保になるらしい。でも、実をいうと高木美保といわれても、全然知らなかったりする。
モンベルのカタログで、写真を使ってもらう。ラッキー。

あと、三週間。

 

2月7日

昨夜、十二時過ぎにどうにか「言い訳」を書き終える。締め切りに間に合ってちょっと安心。出来を思うと、かなり不安。
午前中は、明日からの出稼ぎ山篭りのための準備をする。随分と久しぶりにザックを背負って山に登ることになる。天気が持ってくれると嬉しい。
高木美保をネットで調べてみた。原田美枝子よりグレードアップなのかグレードダウンなのか、よく分からず。ただ、ニューバージョンであることだけは確か。

昼過ぎ、ツランギに行くついでにジョギングカヤック。トンガリロのマイクロウェーブ、今日は中々楽しめた。ただ、with Natureの清水君に教わった静水カートホイールをやってみるけれど、てんで沈まない。思いきりが足りないのだろうか。

夕方から、フライロッダーズの記事に取りかかる。

明日から、16日まではこの日記もお休み。

 

2月17日

ロケハンは、無事終了。一週間で山を二つ登ってきた。ちょっとは痩せたかと思ったけれど、その後オークランドで日本食総なめ(大黒ラーメン、大黒寿司、有明、居酒屋タヌキ)をしたので、体重は変わらず。
出演女優が変わるとのこと。高木美保は駄目で、別の人と交渉中なのだそうだけれど、名前を聞いても覚えていない。あまみゆき?あまぎゆう?何か、そんな名前で宝塚出身だそうだ。
もし、その人が駄目だった場合、もう既にタスマニア用にスケジュールがとれている伊達公子がかわりにこっちに来るかも知れないとのこと。
それって、どうでもいいけど、えらく違いません?
 

2月20日

18日の夜から、佐藤成史さんが来る。
19日は、去年いい思いをしたトンガリロ川下流部にセミを求めて入る。
が、セミはほとんどいなく、空振りに終わる。やっと浅場でフィーディングしていた鱒を見つけ、セミを投げるが無視される。仕方なく、キールに巻いたコロビュリスカスのニンフで釣った。ブラウンだと思っていたら、65センチのニジマスだった。
今日は、牧場の川に出かける。水温16度。釣り場に着いたのは昼ちょっと過ぎ。橋からしばらくは相変わらず魚影が薄い。けれど、中半部分から、段々よくなってきた。イトトンボフライでいただきと舐めてかかっていたら、ことごとく無視される。そのかわりブラウンビートルが当たった。成史さんもほとんどブラウンビートルで釣ったとのこと。
最上流部で、二つの流れが合わせるいやらしいところに潜んでライズを続けていた鱒を見つける。ブラウンビートルから始まって、メイフライ、脱ぎ脱ぎイマージャ、沈没イマージャ、横倒しスピナーとあれこれ試すが全て嫌われる。水面直下に浮かぶ、フローティングニンフでどうやら仕留めた。
成史さんは、四連ちゃんで糸切れでばらしたりしたものの、二人ともかなりいい釣りを堪能。
うーん、やっぱり釣りは面白い。
それにつけても、仕事の欲しさよ。
 

2月21日

昼過ぎに運河に着く。成史さんが準備している横で釣り始め、まず足元にいたブラウンをニンフで釣る。写真を撮ってもらって放すと、そのすぐ向こうをニジマスが回遊している。じゃ、これもだとキャストしたら、なんの迷いもなくニンフをぱくり。やった、今日は楽勝じゃん。けれどその後がいけない。投げても投げても、無視する、逃げる、避ける、除ける。やっとの事で1尾かけたのに、バレル。
フレキシにいったら、流れ出しのところで大きな鱒が何尾もゆっくりと回遊している。しかも、何か食っている。よし、これはいただき。そう喜んで、二人で粘るが、あたりもかすりも触りもしない。
暑い陽射しの下、かなり疲れる釣りだった。でも、面白かった。
もうあと二日仕事をしたら、鱒の天国、南島だ。きゃっほー。
 

2月23日

カヌーライフの連載が終わる。カヌージャーナルの頃から数えると25回目にして沈没である。原稿料自体はそれほどでもないのだけれど、やはり連載が終わるというのは精神的に堪える。つらい。何とか、どこかの雑誌で連載を取ってこないと、、、。5月に日本にいく予定なので、その時は営業を頑張ろう。
目指せ、月収20万!(15万でも可、と弱気になったりして)

佐藤君から電話があって、南島で必要なフライの情報を教えてもらう。赤やオレンジの目印が入った16番のスピナーとのこと。今日中に連載とそれからロデオ大会の原稿をやってしまって、明日は一日フライを巻いていよう。

金ならないよ。でも、釣りもカヤックも楽しんでるさ。
できるうちにやっておかないと、できなくなってからじゃ遅いんだぜ。
残念ながら、人生のバイアグラってのはまだないんだから。

4月のテレビ撮影に来るタレントは、天海祐希だそうな。
早速、ネットで検索してみると、かなり出てきた。
サッカー選手とハワイで浮き名を流していたとか。
何にせよ、伊達公子でなくて良かった。