ようやく釣り場に着いたのは、もうすっかり陽も昇り、朝露が完全に消えてしまった頃だった。
 こんな時間から釣りを始めたところで、大した魚は釣れない。そんなことは、百も承知だ。もっと早く家を出たかったのだが、仕事がどうにも片付かず、なんともならなかったのだ。ここのところ残業、残業で、家に帰りつくのは、いつも十二時を回ってしまう。身体ももちろんまいるけれど、何よりも精神的にきつい。朝起きてから、夜眠るまで、仕事以外の何もしていない。それが辛い。
 しかし、仕方がない。今は上半期の決算前だから、どうしてもこうならざるを得ない。決算さえ済んでしまえば、少しは余裕が出てくる。毎年のことだ。いつもこうなのだ。だから、もう少しの辛抱と、歯を食いしばって乗りきるよりない。
 そんな忙しい時だから、せめて休みの日くらいゆっくりしていればよいものを、この週末は、どうしても釣りに行かなければならなかった。魚が釣れようが釣れまいが、水辺に立って、竿を振らなければならなかったのだ。
 だから、ちりちりと肌を焼き始めた陽射しの下で、竿を継ぎ、ウェーダーを履くと、ほっとした気分になった。
 農家の裏から土手を下り、川に入る。
 両岸に背丈ほどの草が生い茂った、忘れられたような小さな川だ。
 川は、ここから数キロほど上流で深い谷に入り、山奥へと消えている。釣り人の目はどうしても谷に吸い寄せられるらしく、この川で釣りをする者は、まずまちがいなく林道の奥へと向かった。おかげで、週末だというのに他の釣り人に会う心配もなく、静かに釣りを楽しむことができた。
 魚達にとっても、ここは楽園なのに違いない。釣り人が少ないばかりか、谷合から出たばかりの水は真夏でも冷たく、また、ゴロタ石の川底には、溢れんばかりの虫が巣くっていた。
 カゲロウ、カワゲラ、トビゲラ。
 石をひっくり返せば、わらわらと逃げ出す虫達で一杯だった。
 流れは平坦で、深い所でも腰ぐらいしかなかい。瀬というには穏やかな、さざ波だった流れが、柔らかくどこまでも続いている。川原はなく、流れが土手の下をえぐり、鱒達に絶好の隠れ家を提供していた。
 膝くらいの流れに立ち、岸沿いを丹念に狙ってゆく。
 昨日のうちに羽化したと思われるカゲロウやトビゲラが、岸沿いの草にしがみついている。時折、岸から三十センチくらいのところで、波紋が広がる。鱒が、風に吹かれたカゲロウか、あるいは足を滑らせて落ちた蟻でも食べているのだろう。
 竿を回すようにしてフライを投げる。
 岸ぎりぎりにうまいこと落ちた。フライの背中に背負わせた目印の白い羽根が、暗い水面にぽっかりと浮かぶ。
 早い流れに乗ったラインが、どんどん手前に戻ってくる。せっかくうまいことしわくちゃに捩れた糸が、見る見るうちにほどけていく。あと五十センチも行かないうちに、フライはラインに引かれて、水面を走ってしまうだろう。そうなったら、魚はフライに出ない。
 波紋が広がったところまで、あとほんのちょっとだ。早く、食ってくれ。
 ついに真っ直ぐに延びてしまった糸に引かれ、フライがくるりと向きを変えた。
 と同時に、小さな水しぶきが上がって、白い点が水面から消えた。
 竿に重みが乗る。
 銀色の魚が横っ飛びに水面から舞い上がる。でっぷりと肥った山女魚だった。
 ようやく足元に寄せ、なるべく魚に触らないようにして、鉤を外した。ネットを使わないのは、その方が魚のダメージが少ないと思うからだ。変な思いやりかも知れないが、なるべく魚達を傷つけたくなかった。
 いつも川から上がる場所の目印にしている大きな欅まで行く間に、もう二尾の山女魚と出会うことができた。
 欅の根元に腰を降ろし、一休みする。木陰に入って煙草に火をつけると、汗がゆっくりひいてゆく。それとともに疲れが足先から沸き上がって、全身を満たしていった。世界が柔らかく溶けだして、いつの間にか、まぶたを閉じている。時折ふと目を覚ますのだけれど、甘い眠りのプールに首まで漬かっているものだから、またふわふわと浮いて、流れだしてしまう。
 しばらくして、プールの向こう岸に辿り着いたのか、やっとの事で眠りから覚めた。大きく延びをして、時計を見ると、二時間も経っている。真上にあった陽はすっかり傾き、昼でも夕方でもない中途半端な時間だった。夕マズメまでは、あとしばらく待たなければならない。
 どうしようか。
 川面を見る。波紋も広がらず、虫も飛んでいない。
 まぁ、いいか。あまり無理をして、帰りの車で事故を起こしても馬鹿みたいだ。あんなことは、一度で充分。魚の顔も見れたし、それに何よりも、樋口との約束も果たせたんだし。
 新しい煙草を口にくわえ、煙の行方を眺めていると、ぼんやりと昔のこと、樋口のことなどが心に浮かんできた。
 
 樋口と知り合ったのは、大学の時だ。同じクラスだったのだ。気が合っただけでなく、同じアパートに住んでいたこともあって、一緒に飲むことが多かった。夜遅くまで騒いでは、よく隣室から壁を叩かれた。騒ぐと言っても、暴れるわけではない。ボブ・マーレーやブラック・ウフルといったレゲエをかけ、酒を飲みながら、ひたすら話をするのだ。たわいもないことや彼女のことが多かったが、たまには真面目に議論した。まだ自分が何なのか、何をやりたいのかわかっていない者同士がやりあうのだから、まるでハンドルのない車に乗って、目一杯アクセルを踏み込んでいるようなものだった。それで、終いには喧嘩腰になることもあった。けれど、ほとぼりが冷める頃には、また懲りずに一緒に酒を飲んだ。なぜか、お互いに魅かれるところがあったのだ。
 僕たちが通っていたのは、地方の小都市にできた新しい大学で、僕たちが最初の学生だった。だから、クラブにしてもなんにしても、先輩というものがなく、のびのびと自由に振る舞えた。
 クラスは、全部で五十三人。新しい大学だから、大学の評価も偏差値も定まっておらず、学生はそれこそ玉石混淆。とてもよくできる奴から、他に行くところがなく、仕方なく流れ着いたようにしてきた者までいた。
 それだけ、色々な種類の人間が集まっていたのに、なぜかクラスのまとまり、団結みたいなものがあった。多分、僕たちがこの大学の一番初めの学生という精神的な部分と、他には大学がこの街になく、同年代の者が少なかったからだろう。何かにつけては、クラスで飲みに行ったり、遊びに出かけたりした。
 夏休みには海に泳ぎに、冬には近くのスキー場へ出かけた。もちろん、クラス全部が一度に顔を揃えることはなかったけれど、仲間外れになっているような者もいなかった。
 僕は、その頃から釣りに入れ込んでいたので、休みともなると川に出かけ、クラスの皆と遊べるのは、冬の間か、あるいは、たまにコンパに出かけるくらいのものだった。皆は僕の釣り好きに半ば呆れながら、それでも機会があるごとに色々と誘ってくれ、たとえ僕が参加しなくとも、嫌な顔をすることはなかった。不思議な一体感が、僕たち皆を包んでいた。
 その頃よく僕が通っていたのは、峠を一つ越えたところにある川だった。川幅五メートル位の支流で、国道側は比較的広い川原があるのに、対岸は水際まで柳の木が覆い被さっていた。だからキャストをするのは楽だったけれど、いいサイズとおぼしき魚のライズが対岸であっても、柳の枝が邪魔をして、どうにも手が出ずよく悔しい思いをさせられた。
 大学二年の七月のある金曜日、学校が終わってから、その足で夕マズメを狙いに出かけた。釣り場に着いた時には、ちょうど陽が山の向こうに隠れるところで、薄暗くなるまではまだ間があった。いそいそと準備をして、川を釣り登る。帰り道のことを考えて、車から十分程の所にある小さな淵で夕暮れを待つことにした。
 昼間のほてりがようやく静まりだした頃、流れの向こう側で、小さな水しぶきが上がった。辺りをじっと凝視していると、手の平に満たない、小さな鱒が水から全身を出した。可愛らしい山女魚だ。
 竿を振りたいのをじっと我慢する。あのチビにかかずらわって場を荒らしては、本命のいいサイズの山女魚が出てくれない。もう少し、もう少しの辛抱だ。
 煙草に火を付けて、川原に寝転がる。煙が青白い空に消えてゆく。
 この煙草を吸い終わるまで川は見ない。
 そうでもしないと、チビを釣り始めてしまう。釣りたくて釣りたくてならないのを無理にでも我慢するには、見ないのが一番いい。
 空の端がうっすらと赤味を帯びてきた。雲の縁が金色に輝いている。国道をトラックが走ってゆく。
 わざとフィルターの近くまで吸った煙草をもみ消し、起き上がった。
 今度は、本流のこちら側で、ばちゃりと音を立てて波紋が広がった。さっきのチビより一周り大きそうだ。
 お、いいぞ。
 フライをフックキーパーから外し、ラインをリールから引き出し、流れの脇に立った頃には、あちらこちらで派手な水しぶきが上がるようになった。
 あ、ひょっとして、これはトビゲラじゃないだろうか。
 そう思って流れを注意深く見ると、微かなV字の波が、水面を走っている。小さな虫が、流れに翻弄されながらも、斜めに岸に向かってちょこまかと進んでいるのだ。早い流れからようやく浅場に入るかという所で、派手な水しぶきとともに、虫が消えた。
 フライを早速、トビゲラに結び替えた。
 今しがた水しぶきが上がったあたりの斜め上流にそっと移動した。魚がいると読んだ場所の二メートルほど上流にフライを落とす。竿でラインを持ち上げて、上流に移す。流れに乗ったラインを、それよりもちょっと遅れて竿先が追いかける。ラインに引っ張られて、フライがあたかも本物のトビゲラの様に水面を斜めに走りだす。
 シャバッ。
 魚がもんどり打って、フライを横ぐわえにした。
 それから、三十分あまりの間、自分でも信じられないくらい全てがうまくいき、次から次へと山女魚を手にすることができた。魚の上流に回り込んで、フライを走らせると、迷わずくわえてくれた。どれも三十センチはないものの、いいサイズの魚ばかりだった。
 あたりがすっかり暗くなり、フライが全く見えなくなる頃、ようやく魚達も静かになり、僕の心の高まりも落ち着いた。 
 真っ暗な川原を、ほのかな懐中電灯の明かりのもと車に戻る。竿やウェイダーを、そのまま座席に放り込みながらも、嬉しくて嬉しくてならなかった。随分と久しぶりに、トビゲラの羽化にうまいこと当たったのだ。フライの選択も、流し方もどんぴしゃにいったのだ。
 ここのところ、バイトが忙しかったせいもあり、ろくな釣りができなかったのを、一挙に挽回した感じだ。
 時計を見ると、もう七時半だった。
 このまま真っ直ぐバイトに行かないと間に合わない。知り合いの紹介で、やっと手に入れた美味しい仕事だ。地元の新聞社の雑用で、月、水、金の週に三日、夜の九時から午前二時半までの変な時間の仕事だった。額はそのお陰かとても良かった。
 いつもなら、後ろ髪を引かれるような思いで後にする釣り場も、今日は満ち足りた心で車をスタートできた。
 夜の国道は、昼間より交通量が減っているものの、大型トラックが増えているので思ったようには走れない。タイミング悪く来る対抗車とカーブのために、抜くこともできず、仕方なく後ろにくっついて走る。
 両側に並んでいた田圃がいつしか切れ、山が迫ってきた。多分、峠の途中で抜くことができるだろう。暗い闇の中に浮かび上がるトラックの後部だけを見て、単調な道を走り続ける。
 ふと、トラックの下、タイヤの間に黒く細長いものがあった。
 ああ、人が轢かれて、引きずられているんだ。
 どうして、あんなところにずっといるんだろう。
 大変だな。
 そう思って、はっとした。
 そんな訳がない。よく見るまでもなく、それは、僕の車のヘッドライトに照らされたトラックのタイヤの影が、地面に延びているだけだった。
 いつの間にか、居眠り運転をしていたのだ。ここ数日の疲れがでたのか、脳が活動を辞めて、ゆっくり奥の部屋に篭ろうとしている。
 慌てて、首の後ろをぴしゃぴしゃと叩き、ほっぺたを跡がくっきり付くほど抓りあげた。窓を開け、風を入れる。
 徹夜で釣りに行った帰りなど、どうにも眠くてたまらなくなると、色々なものが見えてくる。ありもしないものが見えるのではない。普段なら、ちゃんとごみ箱だ、車の影だと判断しているものが、奇怪なものに見えてしまうのだ。白い犬が沢山並んでいるなと思って、はっと気づくとガードレールのポストだったり、どうしてこんなところを黒い馬が僕の車と一緒に、どこまでもどこまでも走っているんだろうといぶかしがっていると、何のことはない、ヘッドライトに照らされていない夜の闇を、黒い馬と勝手に思い込んでいただけのこともある。
 いつもなら、こんな時はさっさと道の脇に車を停めて仮眠するのだが、今日はそういうわけにも行かない。そんなことをしていては、バイトに間に合わない。
 ちょっとスピードを落として、トラックとの間隔を取ることにした。
 白く光るトラックの後部が、すぐにカーブの向こうに消え、かわりにヘッドライトに照らされた道が淡く浮かび上がる。道は峠にさしかかり、カーブを曲がる度に、暗い山の中を先行するトラックの姿が見える。
 きついカーブでハンドルを切っていると、いつまでもカーブが続くような錯覚に襲われる。目と腕の連動がしっくりこない。
 どうにかこうにか峠を越えて、下りに入った。しばらく先に赤い点が二つ見える。先ほどのトラックに追い付いたんだろうか。
 なにもない闇の中に、ぽつぽつと赤い点が並んでいる。赤い点のそれぞれは、エネルギーの固まりで、それがぶつかると火花が飛んで、でも赤いエネルギーの点は、大きくなりながらどんどん離れていって、とうとうそのうちの一つの大きな赤い点が目の前にぐんぐん近づいて、、、。 
 あっ!

「おたくは?」
「あ、樋口と言います。彼の大学の友達で、同じアパートに住んでいるもんで、、。あの、どんな具合なんでしょうか」
「まだ、検査の結果がでていないので、はっきりしたことは。ご家族の方に連絡は?」
「はい、でも明日にならないと来れないって。あの、どんな状態なんでしょうか」
「かなりの重体です。トラックに突っ込んだときに挟まれた上半身の骨折がひどくて、肋骨が肺に刺さっています。しかし、一番心配なのは脳へのダメージです。こちらはまだレントゲンの結果がでないことにはどの程度のものなのか、ちょっと」
「先生、お願いです。何とかしてやってください」
「もちろん、できるかぎりの事はします」

 世界中に痛みが充満して、ギリギリと音がする。
 止めてくれ、助けてくれと叫んでいるのに、痛みはどんどん膨張して、もうどうにもならない。

 遠くで人の声がする。
 聞いたことのない声だ。
 誰だろう。
 吐き気がする。気持ち悪いよ。

「おい、俺だよ、樋口だよ。ひでぇ事になったけど、大丈夫。絶対、助かるから」
 なにが、助かるんだろ。なにが、ひどいんだろ。
 吐きそうだ。

 集中治療室にいた一週間の間、僕はほとんど意識がなかった。ほとんどというのは、ごく断片的におぼろげながら、頭に浮かんでくる記憶があるのだ。ただ、あまりにも曖昧模糊としていて、それが本当にあったことなのか、それとも僕の頭が作り上げたことなのか、あるいは後から人に聞かされたことを自分の記憶のように錯覚しているのか、自分でも判別できなくなっている。
 暗い廊下のようなところを、仰向けに寝かされたままずんずん進んでいったり、母の泣く声が耳元で聞こえたり、気持悪くて吐いてしまったり、切れ切れの記憶とも呼べないかけらが、なんの脈絡もなく並んでいる。
 僕はどうやら居眠り運転をして、路肩に停まっていたトラックに突っ込んだらしい。らしいとしか言えないのは、事故そのものはおろか、その直前の記憶から綺麗になくなっているからだ。
 トラックの下にのめり込むようにぶつかり、僕はその間に挟まれてしまったそうだ。後で、自分の車を見に行ったけれど、どうして死なずに済んだのか、信じられないほど、ぐちゃぐちゃに潰れていた。
 肺に刺さった肋骨もさることながら、ひどかったのは、頭だった。エアバッグなんてしゃれたもののないポンコツ車だったので、頭をひどく打ち、脳に外傷を負っていた。前頭葉の脳挫傷だった。CTスキャンで見ると、おでこの後ろ辺りの脳が出血のために白く写り、その回りの挫傷した部分が黒く沈み込んでいた。
 脳内出血の量も多く、手術が必要になった。頭蓋骨の一部を外し、脳硬膜を切り開き、挫傷を起こした脳を取り去る大手術だった。幸いにも、外傷を負っている部分は予想よりも小さく、それだけが唯一の救いだった。
 
 どうにか話をしたりできるようになったのは、事故から一か月近くも経ってからだった。心配された後遺症も、幸いにして大丈夫なようだった。医者は奇跡的だと言って驚いていた。
 そのころからクラスの皆がよく見舞いに顔を出してくれた。中でも足しげく通ってくれたのは、同じアパートに住んでいる樋口だった。
「ほんとにこの子は、とんでもないことをして。樋口さんには、もう何から何までお世話になっちゃって」
「いやぁ、お母さん、いいんですよ、そんな。困ったときはお互い様です」
「でもね、もう、樋口さんがいてくださらなかったら。一番初めに病院に駆け付けてくださったのも樋口さんなのよ、お礼を言いなさい」
 樋口は、照れたように笑ってこちらを見ていた。
「でも、お母さん、あん時はほんとどうなるかと思いましたよ。あんなひどい怪我だったでしょ」
「ええ、でもこの子が、こうしてどうにか向こうの世界に行かずに、こちらに戻ってこれたのも、樋口さんが呼び止めてくださったからよ」
「いやいや、僕なんか何もしてませんよ。それよりも、執念じゃないですか」
 樋口が、壁に掛けてあるカレンダーを顎で示しながら笑った。
「ほんと、そうかも知れませんわね」
 母も、カレンダーを見ながら笑った。
 それは、なんの変哲もない一枚もののカレンダーだった。ただ九月のある週末に赤丸が付けられていた。それを見て、何か思い出せそうなのだけれど、どうにも出てこない。とても大切なことの様な気がするのだが、それを引き出す糸口すら頭に浮かんでこない。
「なんだよ、二人とも。そのカレンダーがどうしたのさ」
「あれ、覚えてないのかい。ひどいな。でも、お母さん、これ、言わないほうがいいかも知れませんね」
「そうね、これをいいことにまた行くんでしょうからね」
 二人は顔を見合わせて、意地悪そうに笑っている。
「なんだよ、教えてくれよ」
「しょうがないな。じゃ、教えてやるか」
 樋口の話はこうだった。
 脳の手術は終わったものの、術後の経過がまだはっきりせず、僕の容体がどっちに転んでもおかしくなかった時のことだ。
 見舞いに来た家族や友人が色々と話し掛けるのだが、もちろん昏睡状態で、なんの反応もない。
 そんな時に、樋口が釣りのことを口にしたら、右手が微かだが動いたらしいのだ。
「おい、そうだよ。釣りに行くんだよ」 
 樋口が、一言一言、確認するようにゆっくりと言った。
「早くよくなってさ。俺と約束しろよ。ほら、カレンダーがここにある。この九月の週末に丸を付けておくから、この日は必ず釣りに行くってさ」
 樋口がそう言っている間、僕は右手の指をゆっくり開いたり閉じたりして反応したそうだ。
 それが効いたのかどうか、その後容体は安定し、危機を脱することができた。
 釣りに行く、その執念が僕をどうやら救ってくれたらしい。

 あれ以来、この週末は樋口との約束を守るために、必ず水辺に立ち、竿を振ることにしている。魚が釣れようが、釣れまいがいいのだ。そんなことは二の次だ。釣りに出かける、それが一番大切なのだ。
 今年も、なんとか約束を守ることができた。これで安心して、また仕事に身を打ち込める。やらなければならないことはがっちり山積みになっている。片端からばりばり消化していかなければならない。さもないと、休日出勤なんてことになりかねない。それだけは避けなければならない。
 なぜなら、来週末は、山崎との約束なのだ。
 長い入院生活、特に辛いリハビリの間、クラスの皆が入れ替わりやってきては、何かと励ましてくれた。僕が挫けそうになると、例のカレンダーを取り出し、別の週末に赤丸を付け、「釣りに行くんだろ」と約束して、勇気づけてくれたのだった。
 いつしかカレンダーは、赤丸と約束をしてくれた者の名前で埋まり、何も書かれていない週末は、とうとう無くなってしまった。
 今でも僕はこのカレンダーを持っている。僕の宝物だ。
 挫けそうになると、これを見て、約束を思い出すようにしている。そうすると、クラスの皆の顔が浮かび、元気が沸いてくるのだ。
 再来週は、確か米ノ井で、その次の週は、、、。

(初出 フライフィッシャー誌1999年5月号)

 

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