金曜日の夜、十時。
 突然入った急ぎの仕事を、残業の末にようやく片づけ、ほっとした気持ちでマンションに帰りついた。
 ドアを開け、「ただいま」と声をかけたけれど、しんとしたまま返事がない。しかも部屋は明かりもなく真っ暗だ。
 どうしたんだろう?
 訝しがりながら電灯のスイッチを入れる。ガランとした空間に、人の気配はなかった。妻は出かけているのだろうか。
 こんな時間に、どこへ、、、。
 ネクタイを緩め、脱いだ背広をソファに放り投げ、冷蔵庫からビールを出そうとして、テーブルの上の手紙に気がついた。
「実家に帰ります」
 ただそれだけ。コピー用紙の中央にほそい字で書いてある。理由もどれくらい居るとも説明のない決意表明。いかにも妻らしい。
 僕はそれを見て、突然のことではあったけれど、しかしあまり驚きはしなかった。このところ妻との関係がどこかぎくしゃくしていたのだ。喧嘩や浮気といった、はっきりした理由があるわけではない。いつの間にか、リールに小さな砂粒が入り込んだように、なにかがひっかかっていた。それが砂であれば、取り出せばいい。しかし、これといって原因になるようなことも思い当たらず、僕は仕事の忙しさを自分への言い訳に、しばらくすればまた何事もなかったように元に戻るだろうとうっちゃっておいたのだ。
 椅子に腰を下ろし、缶ビールを開けた。よく冷えたクアーズが喉を流れ落ち、大きな溜め息が一つ漏れる。
 どうしようか。
 いつもダイニングルームの端に置いてある妻の大きなスーツケースがない。狭い家なので置き場所に困り、出しっぱなしになっていたのだ。
 どうやら、しばらく帰ってこないつもりらしい。こちらから電話するべきか。それとも向こうからかけてくるのを待つか。
 電話をしたとして、何を言えばいいのだ。僕が謝るようなことはないはずだ。
 わだかまりが、踏みつけてしまったガムのように粘り着き、どちらとも決心がつかない。
 ぐずぐずと逡巡しながらビールを飲み、一本目を空け、二本目に口を付けたときに電話が鳴った。
 妻か。
 ゆっくりと立ち上がって、キッチン脇の受話器を取る。
「あ、もしもし、俺、稲田だけど。今、近くまで来てるから、そっち寄っていい?」
 違った。妻ではなかった。
 稲田は大学の釣りクラブ時代からの友人で、同じ町に住んでいる。そのせいか卒業してから十年たった今でも、たまに一緒に釣りに出かけたりする。十分もしないうちに、ドアチャイムが鳴った。
 稲田はもう既にどこかで一杯飲んできているようだった。顔が赤い。
「ビールでいいかい」
 僕は、稲田の前に缶ビールを置いた。
「遠慮なくもらうよ。あれ?奥さんは?」
「実家に帰った、らしい」
 稲田は僕のその言葉だけで、大まかなところを察したらしく、それ以上詮索しようとしない。
「お互い大変だな、色々と。お前は家庭、俺は仕事」
「なにかあったのか」
「リストラされそうなんだ」
 稲田は大学を卒業後、建築会社の営業に就職した。はたで見ているこちらが、よくまあ体が続くものだと思うほど、キリキリと働き続けた。成績もかなりよかったはずだ。もっと釣りに行きたいとぼやいてはいたが、釣りのために休みをとれるような会社ではなかった。しかし、そこまで身を削るようにして尽くしても、会社が傾きかけるや、大整理の対象となってしまったらしい。
 溜め息が出る。
 まるで今日は、すべての三十二歳の男に不幸が降りかかるようだ。ある者は妻に逃げられ、ある者は首を噂される。この調子なら、きっと理由もなく殴られたり蹴られたりしている可哀想な三十二歳だっているに違いない。
「まぁ、不景気なんだよな」
「今まで、持ちこたえたのが不思議なくらいさ。ああ、なんか、こうパッといい話はないもんかねぇ」
 稲田がぐいとビールを飲み干す。
 僕たちは、お互いの傷口を注意深く避けながら、ありきたりの世間話を交わし、それからおきまりの釣りの話へと流れていった。ただ、いつもと違ったのは、稲田の飲むペースがわずかだけ普段より速かったことだ。顔には余り出さないけれど、当然のことながらリストラの話はだいぶ応えているらしい。

 稲田につられないようにちびちびと飲むようにしたつもりだったのに、それでもいつのまにか空き缶が半ダース近く僕の足元に転がっていた。時計はもう二時を回り、三時近い。
 稲田が、ろれつの怪しくなった口調で、魚を放流することについて、しばらく前からくどくどと文句を並べ立てている。
「そりゃ、川に魚がいなけりゃ、釣りにはなんねぇよ。そんなことは百も承知だ。でも、放しゃいいってもんじゃないだろぉ」
「ヒレのピンと張った魚を放流しろってことかい」
「馬鹿。馬鹿だよ、お前は。なぁんにも分かっちゃいないんだね。放しちゃ釣り、放しちゃ釣り。それがいけないって言ってんだよ俺は。それがやりたいならタライに水を張ってやればいい。真っ黒になるまで魚を入れて、それで釣ればいいさ」
「金魚すくいみたいだな」
「そうさ。大体、魚のことをなんだと思ってんだ。人に釣られるために泳いでんじゃないんだぞ。釣り人のために生きているわけじゃないんだぞ。人に利用されることだけに価値があるみたいに、資源だ増殖だと抜かしやがって。馬鹿にするにも程がある。イワナはイワナ、ヤマメはヤマメ。そうやって、泳いでいるだけで素晴らしいんだよ。川は川として流れているからいいんだよ。俺だって、、、」
 稲田が突然立ち上がった。身体がぐらりと揺れる。
「おい、大丈夫かい」
「トイレ」
 よろよろとした足取りで、稲田がダイニングを出ていった
 僕は、稲田の姿を見送りながら、彼が「俺だって」のあとに言おうとした言葉を頭の中で継いだ。
 多分、稲田は「俺だって、会社のために生きているのではない」、そう言いたかったに違いない。けれど、最後まで口にしなかったのは、きっと稲田のプライドだろう。仕事を自らの意志で辞める人間ならいい。しかし、首を切られそうな人間がそう叫んだところで、どうしても負け犬の遠吠えとしか響かない。
 しばらくして荒い不規則な足音と共に稲田が戻ってきた。が、ダイニングテーブルには目もむけず、そのままソファにどさりと腰を下ろす。ぶつぶつなにか呟いたと思ったら横に倒れた。だいぶ酔いが回っているようだ。隣りの寝室から毛布を持ってきたときには、もう既にいびきをかいている。
 僕もベッドに行こうかと思ったのだけれど、酔っているはずなのになぜか目が冴えてしまい、眠ろうという気になれない。それで、そのままダイニングテーブルに向かって腰を下ろした。
 夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった。
 そんな詩があったな。内容は思い出せないけれど。今の僕ときたら、話しかける相手もいないし、そもそも誰に話しかけたいのかも分からないまま、一人佇んでいるというわけだ。
 グラスを取り出し、ラムを注いだ。
 丸い香りを手の中で暖め、発せられない言葉を自分の中に貯め込みながら、とりとめもなくあれこれ思いを巡らす。
 水を張ったタライの中をたくさんのイワナ、ヤマメ、アマゴが泳いでいる。回りにはロッドを手にした釣り人が幾人も並び、糸を垂れている。稲田の酔言に誘われて、そんな光景が頭に浮かぶ。
 滑稽というより、狂気と題したほうがいいような絵だ。ほら、よくあるだろう。道路工事で束の間生じた水溜まりに竿を出している釣り人の漫画が。
 魚を手にすることだけが釣りの目的ならば、タライでもいい。でも、釣りはそれだけじゃないはずだ。
 ピスカトール・ノン・ソルム・ピスカツール。魚を捕ることだけが釣りじゃあるまいて。
 僕は、このラテン語の格言を今まで、釣りには魚を釣るばかりではなく、釣りの本を読んだり、ビデオを見たり、道具に凝ったり、仕掛けやフライを工夫したりと、深く広い楽しみ方がある、そういうことを言っているのだと思っていた。
 けれど、裏を返せば、この宣言にも似た言葉がわざわざ掲げられなければならないということは、魚を捕ることだけを楽しみとして釣りをしている人も多いということではないのか。つまりこの言葉は、ただ単にいつかは目指すべき、理想としての境地を述べているにすぎないのではないか。
 何千、何万という数のイワナ、ヤマメ、アマゴが、釣り上げられるために川に放される。流れの中を自由に泳いでいる魚を釣るのではなく、釣られるために増殖され、釣られるために放されたものを、片端から根こそぎ釣り上げていく。
 イワナとしてのイワナ、ヤマメとしてのヤマメ、アマゴとしてのアマゴは、残念ながら人里離れた山奥の片隅に追いやられ、そのかわりに釣られるために増やされた人工の魚が幅を利かせる。川を、ただ、釣られるための存在が埋め尽くす。
 釣り人のための魚。会社のための人間。
 稲田の飲み込んだ言葉が微妙に重なりあい、なんだか虚しくなってくる。
 しかし、と僕はさらに思う。
 しかしこれは、仕方のないことなのかも知れない。牛、馬、羊、豚そして犬が辿った道筋を、イワナやヤマメ、アマゴも追い立てられるようにして進もうとしているのだろう。野生から家畜へ、生きていることを謳歌するものから、人間の利用価値によって判断され、いじられ、人間なしでは存在できないものへと至る緩やかな退廃の道。
 たまたま人間の近くにいたおかげで、そして人間がその中に価値を見いだしてしまったがために、その価値だけを吸い出しやすいように姿形を変えられてしまった生きものたち。
 自分の回りにあるすべてのものを自分の尺度でだけ捕え、それに合わせて作り替えてしまう人間たち。
 その関係を見ていると、まるで人間は、触れるもの全てが黄金になるようにと願ったミダス王そのものではないかと思えてくる。
 ギリシア神話に出てくるミダス王の話はこうだ。酒神ディオニソスの父である精霊シレノスをミダス王は十日にわたり歓待し、面倒を見た。それを知った神は、褒美になんでも欲しいものがあれば言ってみよと申し出る。それに対し、ミダス王は、この手に触れるものすべてを黄金に変える魔力が欲しいと答えた。神は愚かなことと内心では思いながらも、ミダス王の求めに応じる。おかげでミダス王は誰もが羨む能力を我がものとすることとなった。小枝に触れれば小枝が金に、花を手にすれば花が金に変わるのだ。なんという奇跡。なんと素晴らしいことだろうか。しかし喜びに打ち震えていたのも、短い間でしかなかった。手にした物がどれも金になってしまうものだから、パンを食べようとすればパンが金に、水を飲もうとすれば水すら金になってしまったのだ。そのため無量無数の黄金に囲まれながら、ミダス王は、飢えと渇きをどうすることもできず、困窮する。
 どうやら、ギリシア神話が語られた数千年前からこのかた、僕たち人間はまったく進歩していないらしい。同じ過ちを犯し続けているのだ。だとしたら、僕たちもミダス王と同じ苦しみをそのうち背負いこむことになるのだろうか。
 なんとも嬉しい報せじゃないか。
 手を付けられる物全てを自分の欲しいものに変えてしまったおかげで、一番必要なものに餓えるなんて。
 渇望しても手に入らないものが、実際になんであるのか。あれかこれか、朧げながら浮かんではくるものの、はっきりこれだと具体的に指さすことはできない。それでも僕は濡れた綿のような無力感に包まれ、うな垂れてしまった。
 どこかに出口はあるのだろうか。
 空になったグラスに、またラムを注ぐ。柔らかい香りが立ち昇り、僕はその力を借りて、沈み込む思いの螺旋から横へ逃げ出すことに成功する。

 グラスを手に、窓辺に行き、ブラインドを上げた。
 人通りの絶えた道。誰に呼びかけているのか、消えることなく点滅し続けるネオン。一塊になって聞こえる車の騒音。その中をかき分けるようにして電車が走り抜けていった。青白く照らされた車内には、ぽつぽつと人が乗っている。
 もう、始発が走りだす時間か。
 町並みの向こうに眼を凝らすと、東の空の闇が心なしか薄くなっているような気がする。
 そう言えば、もう随分と前のことだけれど、妻と二人で夜明けを待ったことがあった。
 まだ、僕も彼女も学生で、つき合い始めて一年くらいだったろうか。夏のある日、高原の湖へ釣りに出かけたのだ。朝マヅメを狙うつもりで、夜更けの街を抜け出した。
 僕が彼女を誘ったのは、自分の好きなことをいくらかでも分かってもらえればと願ってのことだったし、彼女は湖畔で迎える夜明けという状況になにかロマンチックなものを感じて、誘いに応じたのかも知れない。
 車の中では、お互いに妙に昂ぶっているのか、普段よりもおしゃべりになり、友達のこと、学校のこと、音楽のこと、子供のころのこと、服のこと、本のことなど、次から次へと流れる話題のままに話し続けた。
 途中休むつもりが何となく止まりそびれ、おかげで湖には思っていたより早く着いてしまった。空は白むどころか、全てがまだ夜の闇の中で眠っている。
 駐車場から懐中電灯の明かりを頼りに、細い散歩道を奥へと入った。10分ほど歩いたところに小さな岬があり、その先端がいいポイントになっているのだ。
 覆い被さるような木々の間をしばらく歩くと、道は突然岬の端に出る。水辺の手頃な岩に僕たちは腰を下ろし、そこで夜が明けるのを待つことにした。
 夏とはいえ、高原の夜気が身体の芯に染み込み、うっすらと寒さを感じる。僕は彼女の手を握り、ポケットの中で暖めた。
 さっきまであれだけ賑やかにしゃべっていたのが信じられないくらい、僕たちは無言のままだった。夜の静寂が僕らを飲み込んでいた。
 湖水に大きく張りだした枝の隙間から、蛍のように星がいくつも瞬いている。風もなく、湖面は静まり返り、さざ波が岸に寄せる呟きすら聞こえない。
 そのうちに一ミリずつ一ミリずつ闇が遠のいてゆき、それまで黒一色だった中に、対岸の山の端がぼんやり浮かび上がった。そのあとを追うようにして、様々なものが灰色の濃淡となって形を持ち始める。
 木。雲。空。石。水。
 そして、すべてのものが平坦ではあるけれど見慣れた世界へと落ち着いたころ、白い空に浮かんだ灰色の雲の底が、淡いオレンジに輝き出した。
 僕の手を握る彼女の力が、ほんの少しだけ強くなった。
 結局その朝、期待したライズはまったくなく、僕はすっかり陽が昇ってしまうまで、彼女と岩に腰掛けたまま、湖を見つめていた。それでもとりあえず釣るだけ釣ってみようと、朝日を浴びながらしばらくの間ロッドを振ってみたのだが、やはり何も釣れはしなかった。
「せっかく来たのに、残念ね」
 そう彼女は慰めてくれたけれど、僕は少しも落胆していなかった。それどころか、かけがえのない時間を持つことができたような気がしていたのだ。
 僕がここにいて、彼女がここにいるということ。僕が彼女のために何をするのでも、彼女が僕のために何をするのでもない。ただ、ここに、こうしているということ。
 その意味が、大切さが分かった様な気がしたのだ。
 あの日。
 もう十年以上も前の話だ。
 僕は遠い昔の想い出を、手にしていたグラスと一緒に窓際に置いた。斜めに差し込んだ朝日がグラス越しに模様を刻み、微かなラムの残り香があたりに漂う。
 僕は、なんて遠いところに来てしまったのだろう。言い訳を繰り返しているうちに、僕と彼女はいつの間にか居場所が違ってしまっていたのだ。
 このままでいいのだろうか。
 僕は、あそこに戻りたいのではないか。あの朝日の中の湖へ。
 どうやったらあそこに戻れるのか、どこから手を付けたらいいのか、僕には分からない。戻ることができるのかどうかも定かでない。けれど、だからといって何もしないでいるわけにはいかない。それではいつまでも自分に言い訳を繰り返しているのと同じだから。
 言い訳は何も生まない。何も変えない。ただ先送りするだけで、気がついた時には肥え太った問題の重さに押しつぶされるのだ。
 もう言い訳はよそう。
 なにかできること、それを見つける、ただそれだけのためにも、僕は何かをしなければならないのだ。 
 まず、足を上げ、前へ踏み出すこと。行動を開始すること。
 どう話を切り出したらよいのか、どんな言葉を交わすべきなのか想像もつかない。けれど、僕は彼女と話をしなければならないのだ。
 僕が僕として生き、彼女が彼女として生きる世界。ヤマメがヤマメとして泳ぎ、川が川として流れる世界へ向かう第一歩として。
 僕は、キッチンに行き、受話器を取った。

(初出 フライフィッシャー誌2001年8月号)

 

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