フライフィッシングを始めて二年目だったろうか。 梅雨がようやく明けたある早朝、僕は湖畔で陽が昇るのを待っていた。漆黒の闇の中を、時折ぽちゃりと水音が聞こえてくるのだけれど、それがライズなのか、それとも波なのか。まだ経験の浅かった僕には、はっきり区別ができなかった。 水面が仄かに灰色に浮かび上がった頃、ようやく僕はそれがライズ、しかも決して小さくはない魚のものであることに気づいた。 水は足元から切れ込むように深くなっていて、立ち込むことはできない。それで、大きめの石の上に立ち、そろそろとラインをリールから引き出した。その間にも、ボコリ、バシャリとライズは続き、緊張で口の中はカラカラになる。 頭上に覆い被さるように伸びた枝を避けるため、ロッドを斜めに倒し、ロールキャストでフライを投げる。今しがた小さな水しぶきが上がったところの右横一メートル。 黒く丸い点が水面に浮かぶ。 今か今かと身じろぎ一つせず睨みつける。しかし何も起こらない。 痺れを切らせて、つっと小さく、ラインを引いてみた。微かな波紋が広がる。 静寂。 もう一度。 その時だ。フライのすぐ後ろの水中から、艶めかしく輝く銀色の円盤がいきなり現れ、ごぼりと音を立てて、フライを消し去った。 はっと息を飲んで、ロッドを立てる。 それと同時に暴力的な衝撃が腕に伝わり、手首を伸された。 あまりの強さに何もできない。そして次の瞬間、力は突然消えてなくなった。 ラインがだらりと垂れる。 膝ががくがくと震えている。 うわぁああと叫びだしたくなるような熱い噴流が頭の中で湧き上がっている。 僕はロッドを握りしめたまま、しばらく石の上から降りることができなかった。 今でも、あの時のことを思いだすと、胸が高鳴る。魚をかけただけでしかも一瞬のうちに切られたのに、これまでで一番素晴らしい釣りだった様な気がするのだ。大げさに言ってしまえば、あれこそ「純粋な釣り」に触れた瞬間だったんじゃないか。そう思うのだ。 数を競うのでもなく、大きさを誇るのでもない。ただ純粋に魚に出会う喜び、驚愕、感動。 あれからもう二十年近くの月日が流れ、僕は日本ばかりかそれこそ世界中と言って良いほどあちこちを釣り歩き回ってきた。それも一重に、もう一度「純粋な釣り」に浸りたいからではないかと思う。あの感激に身を委ねたいのだ。 しかし、感動はカゲロウのように脆く萎れやすい。 アラスカの大河のほとりで、身体の髄まで凍える冷たい雨の中、投げちゃ引き投げちゃ引きを一日繰り返して、ようやくサーモンを釣った感動も、二度目三度目となると、もう干からびてしまう。 それなら魚を変えればと、ニュージーランドにブラウンを釣りに行った。チリにシーランを狙いに行った。クリスマス島にボーンフィッシュを追い求めて行った。 その都度、何がしかの感動はあるのだけれど、しばらくすると元の木阿弥。純粋な釣りの喜びとはほど遠いところでロッドを握っている自分がいるのだ。 あるいはなるべく人に知られていないところに行けば何か違うかと、ナイルで釣り、キューバで釣り、ベネズエラで釣った。 しかし、駄目なのだ。どこに行こうとも、何を釣ろうとも、心がのびのびと開き、光り輝き続けるということがないのだ。 摩耗してしまった心はいつの間にか固い被膜で覆われ、僕はため息をついてロッドを置くしかなくなる。 もし僕の追い求めているものが、「純粋な釣り」ではなく、「純粋な愛」であったなら、もっと簡単だったのにとさえ思う。そんなものはありはしないと言い切ってしまえばいいのだから。「愛」という観念の上に、さらに「純粋」という観念を積み重ねた、言葉の蜃気楼。そう言って、振り捨ててしまえばいい。言葉と言葉が自己増殖をして生まれた幻は、言葉の世界にしか存在しない。だからもし「純粋な愛」があるとするなら、同じように「緑の哀しみ」も「速い尊敬」だってある。そういうことだ。けれど「純粋な釣り」は違う。僕は間違いなくそれを感じたのだし、一瞬とはいえ僕の中を駆け抜けたのだ。 僕の釣りは、だから「純粋な釣り」への巡礼なのかもしれない。一度でも味わってしまったが故に、「純粋な釣り」への想いで悶々としながら、週末になると川や湖に出かけていく。行けば行くほど遠のく気もするのだが、だからといって、家にいても目的地には辿り着かない。 けれど同時に、僕はそれが僕の外にある何かではないことも知っている。 世界のどこかに「純粋な釣り」が存在し、僕はそれを探し当てればいい。 そういう問題ではないのだ。あるいは「純粋な釣り」に至るためのハウツーがあって、それに則ってロッドを振れば、巡礼が終わるというのでもない。それはきっと僕の中にあるものなのだ。けれど心の扉を開く鍵をどうしても見つけることができず、仕方なくうろうろと流れのほとりを歩き続けているのだ。 そうやって満たされない何かを抱えたまま、川を遡っていたある日のことだ。田んぼと畑の間を流れる里川で、コンクリートの護岸が痛々しい、哀しくなるような川だった。釣れる魚も、成魚放流されたヒレの丸くなったものばかり。しかし、どうにも時間の都合がつかず、こんな所でお茶を濁すしかなかった。 いっそ釣らないほうが良いんじゃないか。余計に落ち込むばかりじゃないか。 でも僕は止めることができなかった。何も期待せず、諦めに似た気持ちでロッドを振り、フライを投じ、魚をかけ、そして放していた。 昼を少し回ったころ、下流の方から三人連れの釣り人がやって来た。恰幅のいい初老の男が二人と、どこか神経質に見える痩せた男。痩せた男は僕とあまり変わらない年だろうか。 初老の二人は実に伸びやかな笑顔で、魚がフライに出る度に、ほほう、おお、と感嘆符をまき散らしながら釣り登ってくる。その大げさとも思える喜びようからして、多分、フライを始めてまだ間がないのだろう。しかし、よく見ると、ロッドの振り方、ラインの伸びる様、フライを落とすポイントなど実に勘所を得ていて、とても昨日今日フライを始めた者とは思えなかった。 不思議には感じたが、それよりも痩せた男の方に僕の注意は引き寄せられた。 釣りを楽しむというより、どこか取り憑かれたような思い詰めた目をして、流れに向かっている。そして、魚が彼の投げたフライに反応すると、たとえ鉤に乗らなくとも、ああと声を上げ、目を固くつぶり頭を垂れる。しばらくしてから、感極まったというような溜め息を漏らし、天を仰ぐのだ。決して悔しがっているのではない。それどころか、口元は緩み、今にも笑いだしそうな顔になっている。 魚が釣れようものなら、男は膝まづき、足元に寄せた魚をいつまでもいつまでも愛おしそうに見ているのだった。写真を撮るのでも、連れの者に見せるでもなく、ただそうやってずっと見つめているのだ。 よほど嬉しいんだろうな。 オーバーな喜び方ではあるけれど、男のことが、少し羨ましかった。僕は彼らに軽く会釈をすると川から上がり、車へと歩き始めた。 僕にもあんな時があった。釣れる魚、釣れる魚、一つ一つが光り輝いているのだ。 けれど、その光もいつかは褪せる。鈍くくぐもり、流れの底に沈んでしまう。あの男も、そう遠くない将来、僕と同じ道を辿ることだろう。そう考えると、なぜか男が可哀想に思われた。 楽しめるうちに楽しんでおいた方がいい。萎えた人生を蘇らせるバイアグラはないのだから。 それから一月あまりも経ったある週末、僕はまたその里川に立っていた。川の眺めや釣れる魚の見栄えはともかく、とりあえず数だけは出るし、それに何より高速を飛ばせば日帰りできるので、時間のない時はついここに来てしまう。 トビケラの青黒いニンフを結び、小さな赤い毛糸を目印にして釣り始めた。拳大の石が転がるザラ瀬を丹念に探っていくと、すぐに目印が吸い込まれた。 細いロッドがぐいぐいとしなる。しかし魚は重さの割には走らない。これまで小さな池に押し込められ、上を向いていればいくらでも餌が舞い落ちてきたのだから、俊敏さに欠けていても仕方あるまい。 尾びれも胸びれも丸く、頭まで丸く潰れている魚をずるずると岸に寄せ、フライを外した。 ひょっとして天然もの、あるいは先シーズンからの生き残りがいるかと、勢い良く流れている瀬の真ん中をしつこく狙ってみたが、目印は素通りするばかりでなんの反応もない。しかし、少し淀んだところを流すと、必ずと言っていいほど、ヒレの丸い鱒がフライをくわえてくれるのだった。 かなり長い瀬を端から端まで釣り、開けた大きなプールに出たら、先行者がいた。瀬は場荒れした様子もなかったから、道路からプールに直接降りたのだろう。よく見れば、この間の三人連れだった。初老の二人が先になり、その後ろから痩せた男が釣り登っている。 三人の釣りはかなりゆっくりしたペースなので、程なく追いついてしまった。 痩せた男は僕がいることなど全くかまう様子もなく、一心に流れにフライを投げている。しかし、初老の二人は僕と目が合うと、帽子を取り、挨拶をした。 「おや、どこかでお見かけしませんでしたかな」 一人が声をかけた。男は見事なビヤ樽体型で、首の回りにたっぷりと脂肪がつき、歩くだけでも汗が吹き出しそうだ。丸く膨れた顔の上には、ごま塩になった髪が厚く撫で付けられている。 「先月、この川の、もう少し上流のポイントで」 僕がそう答えると、ああ、ああ、と頷きながら、もう一人の男と顔を見合わせている。もう一人はごま塩男ほどではないが、やはり全体にぽっちゃりとしている。頭が見事に禿げ上がっているせいか、どこかぬめりとした印象を受ける。禿げ男もニコニコ笑いながら頷いている。 「この川には、よく来られるのですかな」 「そんなにしょっちゅうと言うほどじゃないんですが」 「この近くにお住まいで」 いや、と街の名を告げると、ごま塩男がホウと口をとがらせた。 「これは奇遇。私達もそうなんですよ。おっと、これは失礼、まだ名前を名乗っておりませんでしたな。私は、横地と申します」 禿げ頭が後を継いだ。 「野上です。この横さんは私の釣りのお師匠さんでね。いつもお供させて貰っておるんですわ」 「また、そういうことを」 笑いあっている二人に僕も朝倉ですと名乗った。それからしばらく僕たちは当たり障りのない話を交わしたのだが、去り際に横地が名刺を取りだした。 「同じ町から来たというのも何かの縁。もしよろしかったら、連絡をください。酒でも飲みましょう」 裏に、自宅の電話番号と住所を書き込んでから渡された名刺には、 XX大学医学部大脳生理学教室助教授 医学博士 横地 慎吾 と記されてあった。自宅の住所を見れば、僕の家から車で二十分くらいのところだ。横地はそれを知ると相好を崩した。 「なんだ、そんなに近いところにお住まいなんですか。じゃ、こうしましょう。今度の火曜日、ご都合いかがです?よろしかったら、ちょっと一杯」 横地の人の良さそうな笑顔に押され、僕はあまり人付き合いが得意でもないのに、いつのまにか酒を飲む約束をしていた。 横地が待ち合わせ場所にしたのは、繁華街の外れにある居酒屋だった。焼き肉が売りで、板の間に掘りごたつが切ってあり、注文をするとまず小さな七輪を客一人一人に持ってくる。なかでは真っ赤な火がおこっている。それで、炭火焼きの牛タンやミノに舌鼓を打つという趣向だ。 外の暑さを洗い流すように、僕たちはまず生ビールで乾杯をした。淡い苦味が喉を走る。 「朝倉さんはもうどのくらいフライフィッシングをやっておられるんです。失礼ですけれど、年の割にはかなりとお見受けしたんですが」 横地が首の回りをハンカチで拭いながら話しを向ける。 「高校生の時に、安い三点セットを買ったのが始まりで、それから数えるともう二十年近くになります」 「おお、それじゃ、私らよりずんと先輩だ」 野上が、網の上でシシトウをひっくり返しながら感心する。 横地はうんうんと頷いている。 それから僕たちは、例の川の最近の釣果や水棲昆虫の羽化の具合を酒の肴に、随分と盛り上った。 生ビールから升酒になり、つまみもあらかた食べたころ、酒の酔いが回ってきたのと横地の聞き上手に釣られて、いつの間にか僕は「純粋な釣り」について話していた。 それを横地も野上も目を輝かせながら聞いている。これまで釣り友達にこんな話をすると煩がられるだけだったので、つい僕も嬉しくなり、自分の中に溜まっていた想いをまくし立ててしまった。 「分かりますよね、横地さん。純粋な釣りなんですよ、純粋な」 「朝倉さん。いや、よく分かります。それこそ、私達が釣りに行く理由ですから」 それまでじっと考え込んでいた風だった野上が横地に向き直った。 「どうだい、横さん。例の件。朝倉さんならちょうどいいんじゃないか」 「うん、実は私もそれを考えていたところなんだ」 「え、なんすかぁ」 ぐらぐらと揺れる頭で二人の顔を見比べる。 「朝倉さん、今度の週末、私達と一緒に釣りに行きませんか。純粋な釣りに私もとても興味があるんです」 それで、土曜日の夜明け前に、僕が二人を迎えに行く約束が決まった。 釣り場への車の中では、横地も野上も頻りに恐縮していた。 「朝倉さん、いや、済みませんね。実は、我々車の運転ができないもので」 「いつもこうやって、誰かの釣りに同行させていただいてるんですわ。コバンザメみたいなもんで」 「とんでもない」 この間の酒の席の話や川で見た様子からすれば、二人ともかなり腕はいいようだ。それなら足手まといどころか、こちらが学ぶこともあるだろう。それに、二人とも話をしていて面白かった。 釣り場に付き、ロッドを継いで、いざ釣り始めようかというときだった。横地がベストのポケットから、緑色のプラスチックケースを取りだした。フライボックスではなく、ピルケースだった。中には、小さなピンクのカプセルが三つ入っている。それを一つ、太い指で摘むと僕に差し出した。 「朝倉さん。これを飲んでみてください」 「なんですか、それ」 僕は訝しながら訊ねた。 「説明すると専門的になって長くなってしまうんですが、まぁ、ビタミン剤みたいなもんです。さ、どうぞ」 僕は恐る恐る手を出した。手の平でピンクのカプセルがころころと転がった。しかし、どうにもそれを口にする気になれない。訳の分からない薬を僕に飲ませ、人体実験でもしようというのではないか。ビタミン剤という言葉をそのまま信用する気になれなかった。 そんな僕の様子を見て取ってか、横地はまず自分から一つ飲み下した。それに続いて、野上もカプセルを口に放り込むと、ミネラルウォーターのボトルに手を伸ばした。 「朝倉さんから、純粋な釣りの話を聞きましてね、あなたこそ、この薬を飲むに相応しい、そう思ったんですよ」 横地が口をハンカチで拭ってから話し始めた。 「隠してしても仕方がありませんな。これはビタミン剤なんかじゃありません。この薬はですね、あなたが探し求めている純粋な釣りへの扉とでも言ったらいいでしょうか」 野上がうんうんと相槌を打っている。 「大脳生理学の研究をしている内にですね、ある発見をしたんですわ。エコープラナーMRIといって、まぁ、そうですなぁ、CTスキャンの親戚と思っていただければいいんですが、それで人の脳を調べておって、、、」 横地は、時折僕の分からない専門用語が出てくると分かりやすく解説しながら説明してくれた。 それによると、たとえば、人が笑い話を聞き、面白くて笑っているときにMRIをかけると、脳のある部位の活動が活発になっていることが分かる。これにより、笑いを司る脳の部位がわかる訳だ。横地は、同様の手続きで、人が釣りをして感動する際に脳のどの部分が関与しているかを調べた。実際に釣りをしている人にMRIをかける訳にはいかないから、テレビゲームで代用したらしい。それによると大脳側頭葉辺縁系の扁桃核から海馬状隆起に至るサーキットに秘密があるらしかった。 次に横地は、その脳の部位で使われている情報伝達物質の解明に取りかかった。主にドーパミン系シナプスが関与しており、ノルエピネフリンもなんらかの役割を果たしているが、もっとも重要なのはD2と呼ばれる物質であることを突き止めた。その化学特性を調べているうちに、横地は半ば偶然、D2の分泌を促し、かつ放出されたD2が再び吸収されるのを阻害する化学物質を見つけてしまったのだ。これを服用すると、普段より多くのD2が出され、しかも吸収されないものだから、いつまでも神経を刺激し続けることになる。 横地は、自らを実験台に、釣りに出かけてみた。結果は予想以上だった。 「釣りの楽しさ、喜びをここまで深く味わえるとは思ってもいませんでした」 しかし、そう言われても、いまひとつカプセルを飲むのは躊躇われた。確かにこの薬は横地の言う通りの効果があるだろうが、果たしてそれが「純粋な釣り」に至る正しい道なのだろうか。 「分かりますよ、朝倉さん。あなたの言いたいことは痛いほど分かります。でもですね、あなたも本当は良く承知しているように『純粋な釣り』なんてどこにもないんですよ。いや、違います。全ての釣りが、実は『純粋な釣り』なんです。ただ、あなたの心が固く窓を閉ざし、何も感じられなくなっているだけです。この薬は決してありもしないもの、幻覚を見せてくれるんじゃありません。目の前にある『純粋な釣り』にもう一度触れられるよう、朝倉さんの心の襞に詰まった汚れを洗い流してくれるだけなんです」 僕は、手の上で揺れる小さなピンクのカプセルを見つめた。横地も野上も何も言わず、じっと僕を凝視している。 薬を飲むことは、純粋の定義に反しているのではないか。そういう疑問も浮かんだが、「純粋な釣り」の魅力には勝てなかった。僕は、思いきって、カプセルを喉の奥に放り込んだ。 「いや、分かってくださって、ありがとうございます」 横地が嬉しそうに笑った。 僕は自分の中に起こるだろう変化に耳をそばだてた。しかし、何も変わったところはない。 横地と野上に促されるままに、流れのほとりに立ち、ロッドを振る。 水面が光り輝くわけでも、大きな魚が宙を飛んでいるわけでもない。いつもの、コンクリート護岸に挟まれた哀しい川があるばかりだ。そしていつものように、ヒレの丸くなった情けない魚が釣れてくる。 なんだ。騙されたのか。横地達にかつがれたのか。 そう思いながら、四尾目を狙っている時だ。視界の隅が、ぐにゃりと歪んだ気がした。しかし、それもほんの一瞬で、おやと思った時には、何の変哲もない川に戻っている。 今のはなんだったんだろう。 と、小さな水しぶきが上がり、フライが消えた。 ロッドを立てる。魚の引きがぐいぐいと手に伝わってくる。 途端に頭の中が真っ白になった。 うわ、魚だ。え、あ、どうすればいいんだ。引いてるよ。くわぁっ。 気持ちが上ずって、何をどうすればいいのかわからない。 「ライン、ライン!ラインを出してっ」 横地の叫び声が飛んだ。 慌てて僕は握りしめていたラインを放し、魚の引きに任せた。小さい流れの中を魚が縦横無尽に走り回る。その度に思わず喉を突いて声ともならない音が放たれる。 うう。おお。 何をどうやったのか、良く分からないままに魚が足元に寄ってきた。 手の平を少し越えるくらいの放流魚だ。 うわっ、釣れた。釣っちゃったよ。 僕は膝まづいて、魚に見とれた。 なんて綺麗なんだ。 いつまでもいつまでも見ていたかった。 「あんまりそうやっていると、魚が可哀想ですよ」 いつの間にか横に来ていた横地の声に、僕は慌ててフライを口から外し、魚を流れに戻した。しばらくの間、魚が消えていったあたりから目が離れない。 「どうです?効果は」 そう聞かれて、初めてこれが薬のせいだということを思いだした。信じられなかった。こんなことが可能だなんて、思いもよらなかった。まるで、生まれて初めて魚を釣ったかのように興奮しているのだ。心が弾んで、胸の奥に熱いものが次々沸き起こってくる。 「凄いです。こんなに良い釣りをしたのは、本当に久しぶりです。ありがとうございます」 「いえいえ。朝倉さんのような方だったら、きっと喜んでいただけると思っていました」 それ以来、横地達から声がかかると、僕は喜んで彼らの釣りの足となった。たとえ一日運転することになろうとも、あるいは仕事を休む羽目になろうとも、忠実な運転手として横地達を釣り場まで送り届ける。もちろん、あのカプセルが目当てだ。一度あれを飲んで釣りをすると、もうあれなしの釣りは苦痛以外の何ものでもなかった。 考えてもみて欲しい。僕はもう二十年近く釣りをしている。ポイントの見方、フライの選択、流し方、それなりに自信はある。だから技術的にはベテランだといっていい。それが薬さえ飲めば、腕はそのままで心はすれることのないウブな初心者に戻れるのだ。こんな素晴らしいことがあるだろうか。 ふと、横地達に初めて会った時に同行していた痩せた男のことを思いだした。きっと彼も僕と同様にカプセルに釣られて、運転係を務めていたのに違いない。 しかし、彼の姿はあれ以後ぱたりと見ない。横地達の間で話に上ることすらない。 ひょっとして、この薬の副作用か、あるいは中毒で、廃人にでもなったのだろうか。だとしたら、いずれ僕もそうなる日が来る。 一瞬僕は悩んだが、それも束の間だった。 その時はその時だ。人間、いつかは死ぬのだ。それまで僕は浸れるだけ「純粋な釣り」に浸っていよう。もう二度と味わえないと諦めていたのだから。
(初出 フライフィッシャー誌2001年4月号)
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