始まりは、ほんのちょっとした買い物だった。
 ふと立ち寄ったプロショップで見つけたバンブーロッドがいたく気に入ってしまった。どうしても欲しくなり、暮れのボーナスまで待てず、クレジットで買ったのだ。ボーナスが出てから手に入れたのでは、もう禁漁期間で次のシーズンまで使えない。それに量産品ではないから、次にいつ品物が出回るのかも分からない。注文して翌週という訳にはいかないのだ。ロッドができてくるまで、数年待つなんて僕にはできなかった。ひょっとしてもう二度とこんなチャンスはないかと思うと我慢できなかったのだ。支払いはボーナス一括払いにした。
 その週末には早速ロッドを手に渓流に出かけた。ロッドは予想以上に鋭く切れのあるアクションで、厚く覆い被さった枝の奥にも軽々とフライを運び入れてくれた。そのくせ魚がかかると柔らかくしなり、アマゴの峻烈なダッシュもそっといなしてくれるのだった。僕はすっかりロッドに惚れ込んだ。それからしばらくは、そのロッドを振りたくて釣りに行っているようなものだった。いい買い物をしたと納得していた。
 ところが、いよいよボーナスが出るという直前になって、車が壊れてしまった。ガラガラと異音が後輪からするようになり、そのうちいつ止まってもおかしくないほど大きな音をたて始めた。慌てて近所の修理工場に出すと、予想以上の重症で修理代でボーナスの半分が消えていた。
 やっと車が直ったのはいいが、クレジットをボーナス払いにしていたので、困ったことになった。足りない。払えない。
 それで、サラ金の門をくぐったのだ。思っていたよりも実にあっけないほど簡単にお金は借りられた。必要な書類に記入するだけで、希望した額が手に入り、クレジットの支払いも滞りなく済んだ。月々のサラ金への返済も、それほどきついものともみえなかった。簡単に返せる、そう思った。毎月の給料と比べても、その程度のお金を捻出するのはなんともない。家賃、食費、交通費など、どうしても欠かせない出費を足してみても、まだまだ余裕がある。そう楽観していた。
 でも、それが落とし穴なのだ。下り坂の第一歩だったのだ。
 ロッド一本分の貯金もない。それはこれまでの生活で、貰った給料を全て使っているということなのだ。今までの生活パターンを変えることなく、どこからともなく余分なお金が湧いてくるわけはないのだ。
 程なく、サラ金への返済が滞るようになった。その時点で目が覚めればよかったのだ。今ならそう思う。けれど、その時はわからなかった。ついふらふらと、別のサラ金に入り、返済分を借りてしまったのだ。そしてふと気づくと、何軒ものサラ金から返済のための金を借りる悪循環に陥っていた。まるで歯の痛みを忘れるために頭を殴り、その痛みを忘れるために腕をつねっているようなものだ。給料の半分近くが返済に消え、それでも追いつけなかった。もう、どうにもならなくなっていた。
 自己破産か、夜逃げか、それとも自殺か。
 そんな現実にいたたまれなくなり、僕はある夜更けに釣り道具だけを車に積んで、アパートを抜け出した。翌日の仕事などどうでもよかった。特にどこに行こうという当てがあったのではない。ただ一日、一時でもいいから、全てを忘れて魚と遊んでいたかったのだ。
 どこをどう走ったのか覚えていない。すっかり明けきった空の下、山あいの細い農道を走っていた。見覚えのない土地だった。
 これだけ山が近くにあるんだから、どこかに川もあるだろう。
 そう思ってハンドルを握っていると、トラクターに乗って野良仕事に出かける農夫がいた。車を脇に寄せ、川の在りかを聞いてみる。
「釣りかね。ええのう。羨ましいのう」
 羨ましいのは、こっちだった。はっきり言って替われるものなら替わってもらいたかった。そして田舎で心を悩ませることなくのんびり暮らしたかった。
「ここんとこずっと行ってな、突き当たりを、右に折れてな、そのまま、そうじゃな五分も行くと川じゃ」
「どうもすみません。ありがとうございます」
 礼を言って去ろうとすると、
「その川で釣りをするのはええが、縁が淵だけではやっちゃなんね」
 そう忠告された。
「なんすか、その縁が淵って」
「しばらく釣り登っていくとな、大きな岩があって、その上に一本の松が立っとる。そこじゃ。なんでもええが、そこだけは釣っちゃなんね」
 何故だろう。でも、どうせくだらないカッパだの川神様だのといった迷信の類いだろう。
 縁が淵の由来を説明しようとする老人を遮って、はいわかりました、しませんと適当なことを口にし、さっさとその場を後にした。
 老人に言われた通りに車を走らせると、道は土手にぶつかって消えていた。土手から見た感じでは、水量といい透明度といい渓相といい、なかなか期待できそうな流れだ。それで早速ロッドを繋いだ。
 ぱらりと薄くハックルを巻いたフライを結ぶ。対岸の草の脇ぎりぎりにそっと浮かべてみる。
 ピチ。
 小さな波紋とともに、フライが消えた。ロッドを軽く合わせると、魚のすばしっこい動きが手元に伝わってきた。
 あまり大きくないな。
 一年子だろうか、幼い顔に可愛らしい赤点がよく似合う小さなアマゴだった。
 フライの水気をよく切り、フロータントをもう一度まぶして、釣り登る。
 それからも、決して大きくはないけれど、美しい鰭と赤い点を身に纏った魚が飽きない程度に釣れ続いた。
 土手はいつしか山となり、両側から壁のように森が伸しかかってきている。流れも所々に大石を配し、それまでの里川から渓流へと風貌を変えていた。夏の名残でまだ水温が高いのか、開きよりも白泡の中を狙うといい型の魚が出てきた。


 昼近く、対岸が垂直の崖となって流れに落ち込んでいる大きな淵に出た。絶壁のはるか上には、林道だろう、白いガードレールが見える。こちら岸には大岩があり、その上には松が一本立っていた。
 縁が淵かな、これが。
 一瞬、釣りをしようか、よそうか迷った。
 せっかくこの川を教えてくれた老人の信心を踏みにじるのはさすがに気が咎めたのだ。
 が、そんな殊勝な気持ちはすぐに消えた。
 淵尻でライズがあったのだ。水音も何もしない、けれど決して小さな魚のものではないライズ。複雑に右に左に渦を巻いている淵の中を、細かいゴミが筋となって流れている。その中だ。ライズを目の前にして、釣るなというのは、肉を犬の前に置いて食うなというのより酷い。できるわけがない。
 何にライズしてんだろ。
 じっと目を凝らしてみる。
 と、また波紋が広がった。
 くううう、いいねぇ。
 僕は、それまで使っていたフライよりも一回り小さいものに替えることにした。これだけゆっくりな流れだから、魚もじっくり見てかかるだろうから。
 ベストからフライボックスを出そうと、水面から目を離して、崖の上に人がいるのに気づいて驚いた。
 やってはいけないことを見つかったようで、一瞬身体が竦み上がる。
 それは夫婦と小さな子供の家族連れで、ガードレールの向こうから、じっとこちらを覗き込んでいた。服装の感じからして、どうやらこの辺の人間ではなさそうだ。田舎には不似合いな、いかにも「親子三人、アウトドアを楽しんでます」風な垢抜けた格好だった。
 土地の者でないと分かると、僕はほっと安心するとともに、いよいよその魚がどうしても釣りたくなった。観客がいるなら、是非ともいいところを見せたい。そういうことだ。
 僕は姿勢を低くして、足音を立てないようにそっと淵に近づいた。流れは緩いけれど、その分複雑になっている。ラインの着水にも気を使わないといけない。ドラッグもかかりやすい。魚のあまり上流に投げすぎてもいけないし、目の前でもいけない。
 頭の中でああでもない、こうでもないと考えながら、フライを落とす位置を目で探す。
 リールからラインを引きだし、キャストを始める。魚に見つかりにくいよう、空中のラインをなるべく低い位置に保つ。
 筋からほんのちょっとだけずれたところにフライは落ちた。
 魚まで一メートル。
 七十センチ。
 五十センチ。
 三十センチ。
 よし、見えるだろ。美味しいよ。食えよ。
 筋の下から、すっと影が動き、フライが消えた。
 いったぁ。
 ロッドを立てると同時に、僕は誇らしげに崖の上に顔を向けた。が、そこには家族連れの姿はなかった。
 ちぇっ。せっかく釣れたのにぃ。
 ちょっと肩透かしをくらった様な気がした。しかし、淵の中を勢いよく走り回る魚に、そんなことはすぐにどうでもよくなった。足元のラインがするすると出てゆく。それをロッドの腰を使ってため、おもむろに引き寄せ手繰り入れる。魚がロッドを曲げる度に、おほほうと笑いが口から漏れた。
 けれど、ようやく足元に寄ってきた魚を見て、僕は心底がっかりしてしまった。岸辺に横たわったそのアマゴは、胸びれが溶けたようになかったのだ。
 なんだ、養殖もんか。しかもグー鱒じゃん。
 ジャンケンをしても、グーしか出せないグー鱒。鰭の溶けた養殖鱒を、僕はそう呼んで馬鹿にしていたのだ。フックを外そうと魚を持ったら、反対側の鰭も奇妙にねじ曲がっていた。魚に罪がないことは百も承知だけれど、こんな魚が釣れるとなんだか騙された気になる。
 次、次。
 気を取り直して、水面を見つめる。先ほどライズがあった筋をゆっくり上流に目で辿っていく。淵の中ほどで、筋が横に動くのと同時に、波紋が静かに広がった。
 いるじゃん、いるじゃん。
 僕はまた姿勢を低くして、そっと上流に足を忍ばせた。
 河原に膝まづいて、フライを替える。パターンはあのままでいい。
 最初のキャストはショートしてしまった。筋から50センチも離れている。
 気づくなよ。これはミスキャストなんだから。
 下手にフライに興味を示されて、嫌われるより、気づかずにいてくれる方がありがたい。そうすればまだチャンスはある。
 魚の見える範囲からすっかり流れきったところで、そっとピックアップして、もう一度投げた。今度は、ばっちりだ。
 思惑通りの所にフライが入り、さっきライズがあった辺りへと流れてゆく。
 この辺だったはずと思う間もなく、波紋と共にフライが沈んだ。
 いただきっ。
 ざっと飛沫を散らしてラインが宙に上がる。ロッドが撓む。銀色の魚が水面から飛び出した。
 緩やかにしなるロッドと魚の引きを堪能しながら、徐々に魚を岸に寄せていく。
 げ、なんだ、こりゃ。
 浅場に横たわった魚を見て、嫌な気分になった。背中がヘの字に曲がっているのだ。
 今度は、奇形かよ。
 やっぱり、爺さんの言いつけを守らずに、ここで釣りした罰が当たったのかねぇ。
 でも、そんな迷信は信じたくなかった。それで、流れがうねりながら淵に流れ込んでいる、淵頭に場所を移して釣りを続けた。早い流れと淵のたるみが縁を接している辺りを狙ってみる。そのまま同じフライを流してみたけれど、なんの反応もない。
 よし、ニンフにしよう。
 軽くウェイトを噛ませたボサボサのニンフを結び、その少し上に目印をつけた。
 ここと思われるポイントのだいぶ上流に投げ、ニンフが沈む時間がしっかりと取れるようにした。
 小さいけれどよく目立つ目印が、流れに揉まれながら、走り下ってくる。
 底の石が見えるほど浅い流れが急に淵の碧に溶け込む、その境目をわずかだけ過ぎた所で、目印がついと上流に走った。
 すかさず腕を引いて合わせる。
 いったん上流に向かったかのように見えた目印が、淵の深みに一直線に消えていく。派手な色のラインがその後に続き、リールがチリチリと逆転する。右手のひとさし指にかけたラインを軽く押さえ、魚の走りを堪える。
 ぐいと力が伝わる度に指をさっと伸ばし、ラインを開放する。そして少しでもスキが見えたら、ロッドを矯めラインを巻き戻す。そんなやり取りを何度も交わしている内に、ようやく目印が水面から顔を出した。
 銀色に光る魚体が、その先で右に左に走っている。
 でかい。尺はある。
 僕は慎重に慎重を重ね、ゆっくりと魚を岸に誘導した。浅い流れの中を、砂を巻き立てて魚はまだ逃げまわろうとする。それを行く手を阻むようにロッドを寝かせ、魚を倒してしまう。そして一気に岸に寄せた。ふっくらとしたアマゴが浅い水辺に横たわった。
 なんか、変だ。
 魚の姿を見た瞬間に思った。どことはすぐには分からなかった。が、しゃがみ込んで近くで見てびっくりした。
 鰭も斑点も綺麗なアマゴなのに、頭が妙に丸いのだ。鼻先が潰れてしまっている。そのせいか目が異常に前に寄っている。
 いや、そればかりではない。普通なら顎の方まで延びているはずの唇が途中で切れ、おまけに内側に折れ込んでいる。お陰で口の回りの印象がのっぺりとして、魚ではないみたいだ。
 フックを外そうと魚を持ち上げて、ぎょっとした。
 前から見た魚は、まるで人の顔そっくりだったのだ。
 人面魚。
 うわっと思わず声を上げて、魚を落としていた。浅い水の中で魚は横になったまま、逃げようともせずじっとこっちを見上げている。
 やめてくれよなぁ。
 早くフックを外したいのだが、どうしても魚に触れない。それで目印を取って、竿先がフックにぶつかるまでラインを巻き込み、ロッドを使ってフックを外した。
 それでも人面魚は、なかなか泳ぎ去ろうとしない。恐々ロッドでつついてみると、ようやくヨロヨロと淵の深みに消えていくのだった。
 もう僕はすっかり釣りをする気をなくしていた。
 奇形の魚を三尾立て続けに釣るだけでも参るのに、人面魚だ。爺さんの言うことを聞いておいたほうがよかったかなぁ、これは。
 そう思いながら、河原を車へと戻った。

 まだ陽が高い中、車の横で釣り支度を解いていると、先ほどの老人が土手の上を下流の方から歩いてきた。犬の散歩をしているらしい。
「ほほう、これは先ほどの。いかがでしたかな」
「いやぁ、それが、、、」
 人面魚のことを話そうかと思った矢先、いきなり犬が唸りだした。低くくぐもった声を咽喉から放ち、牙さえ剥いている。
「これ、ハナ。何を唸っておるんじゃ」
 老人が叱りつけたが、犬は一向に静まる気配もなく、低く唸り続けた。
「これ、いかんと言うとるのに。ん?おまえさま、ひょっとして、、、。ちょっとここで待っていて下されよ」
 老人はそう言うと、犬を連れて土手まで戻り、土手際の並木に犬を縛りつけた。その途端、犬は、何事もなかったかのように唸るのをやめ、後ろ足でわき腹を掻いたりしている。
 老人は険しい顔つきで、僕の方に戻ってきた。
「あれだけいかんと言うたに、縁が淵で釣りをなさったろう」
 いきなり老人が切りだした。嘘をつく暇もなく、思わずすみませんと頭を下げていた。
「なんてことをしなすった。あそこの淵はな、どんなことがあっても釣りをしてはならんのじゃ。それを言うて聞かそうとしたのに、ないがしろにしおって」
 僕は人面魚のことを思いだし、老人の厳しい言葉にうな垂れるよりなかった。
「あの淵には、いわくがあるんじゃ。ずっとずっと昔からな。あそこは、人死にが絶えんのじゃよ。なんでもその昔、平家の落人がこの流れの奥に隠れ住んでおったのじゃが、とうとう見つかって追いつめられてのう、部落の者皆が次々に崖から飛び降りたという話じゃ」
 明治維新の直後には、官軍に追われた旧幕府軍の少年隊が近くに立て篭もり、自害することもかなわぬ年少組が切腹の代わりに飛んだというし、また第二次大戦中には強制労働に連れてこられた人たちが、あまりの過酷さに逃げ出したものの逃げ切れず、やはり身を投げたのだそうだ。それ以降も、様々な理由で崖から飛び、自らの命を断つ人が絶えない。
 村の人はその暗い歴史をひた隠しにしている。マスコミに自殺の名所などと書き立てられたら、それこそ全国から自殺志願者が集まってきてしまうからだ。しかし、それでも縁が淵の魔が引き寄せるのか、今でも崖から向こう側の世界に旅立つ人たちは少なくない。
 去年のちょうど今ごろも、家族が車ごと崖から淵に落ちた。借金に追われ、行き着いた先が崖だったらしい。
 半ば投資のつもりで買ったマンションが暴落し、売るに売れず、かといって高額なローンも払い続けることができなくなり、せっぱ詰まってサラ金に手を出した。後は推して知るべしだ。雪だるま式に借金が増え、例えマンションを手放したところで膨大な借金の前には焼け石に水、一生かかっても返せるかどうかの負債を抱えることになってしまったのだ。返済の催促は攻め立てるように押し寄せ、仕事場に電話がかかってくるのは当たり前、家にいてもびくびくとしながら暮らさざるを得なくなった。
 そして、ある日、経済的にも精神的にも追いつめられ、どうにも行き場がなくなった家族は、崖の上から一家心中を図ったのだ。
 それだけでも悲惨なのに、結果はもっと惨いものだった。
 子供は両手がもげ、内臓破裂で死亡、奥さんは背骨を骨折してやはり死亡。が、車を運転していた旦那の方は、ほとんど無傷で生き残ってしまったのだ。びしょぬれのまま岸に座り込んで呆然としているところを、地元の消防団に保護されたらしい。その時点では、事件の背景がまったくわからず、事故とも故意ともつかなかったので、取りあえず病院に収容された。しかし、警察の事情聴取が始まる直前に、男は病室を抜け出し、裏の雑木林で縊死しているのが発見されたのだ。
 僕はその話を聞いて怖気だった。
 それじゃ、僕が縁が淵で釣った三尾のアマゴは、、、。
 老人が、その後の顛末を話し続けるのを、僕は上の空で聞いていた。
「口さがない村のもんは、あれは保険金目当てじゃなかろうかと噂したもんじゃ。揚げ句、自分のやらかしたことに空恐ろしくなって、首でもくくったんじゃなかろうかとな」
 どうしたらいいんだ。そんな淵で僕は釣りをしたばかりか、三人の生まれ変わりのようなアマゴを鉤にかけてしまって。
 僕は泣きたくなるような、すがりつきたくなるような気持ちで老人を見つめた。が老人はそれを知ってか知らずか、一頻り話し終えると、また犬を連れて去っていってしまった。
 帰り道、車を運転しながら、時折背筋を寒気が走り抜け、どうしようもないほどの震えが起こった。恐くて、バックミラーを見ることができず、前ばかりを凝視して家まで辿り着いた。
 家のドアを開けると、いつもならミーミーと啼いて餌を催促する猫が、僕の姿を見るなり、背中の毛を逆立てふううと唸り声をあげている。
 僕は堪らなくなって、近くの寺に電話をしてみた。霊が取り憑いているなら、懇ろに供養して、成仏してもらおうと思ったのだ。応対に出た男に事情をすべて話すと、それには位の高い僧侶が数人で読経せねばならず、これだけかかりますと、とんでもない値段を告げられた。
 どうしようか迷った。そんな金はどこにも無い。またサラ金から借りるしかない。しかし、これ以上借金が増えたら、それこそ今度は僕が縁が淵に沈む番だ。それではなんのための除霊なのか。けれど、供養をしないと霊は憑いたまま。どっちにしても地獄のようで、気が滅入った。
 一晩中、まんじりともせず、僕はどうしたらいいのか考え続けた。
 僕に霊が憑いているとしたら、多分例の家族の男の方だろう。余程未練が残り、それでこの世を去りきれずにいるに違いない。自分が犯した間違い、それに巻き込まれた家族。できることなら何度やり直したいと思ったことだろう。人生にリセットボタンがあればとどれだけ願ったことだろう。
 僕は、ふと、もし男が僕に何かを望んでいるとしたら、それはまず僕自身がサラ金地獄から這い上がることなのではないかと思った。男がやろうとしてできなかったこと。それを僕が成し遂げることで少しは男の供養になるのではないか。借金、それは男の悔いが一番残っていることのはずだ。それを僕が返す。いや僕に憑いている男と二人で返していくのだ。その上で、寺なりなんなりに頼んで供養をして貰えれば、それが男にとって最も嬉しいことなのではないだろうか。
 そう思ったら、なぜか気が軽くなった。そしてなんとしてでも借金を全て返さねばと思った。
 僕がまず始めたのは、とにかく今借りている額が全部でどれだけあるのか、正確に把握することだった。クレジットを使った買い物も含めて全てをノートに記入し、利子込みで返済しなければならない金額を細かく記録した。その上で返済計画を立てた。どれだけ時間がかかってもいいのだ。その場しのぎのことをしたり、一度に返そうと無茶なことを考えるから、泥沼に陥るのだ。無理せず、けれど着実に払っていくこと。
 車も車検や駐車場代など、維持費が馬鹿にならないので手放した。
 ああ、これでしばらく釣りには行けないな。知り合いの車に乗せて貰うにしてもガソリン代くらいは払わないとならないし。バス代も電車賃も捻りだせるかどうか。やっぱり釣りは諦めるか。
 がっくりしながら、部屋の外を見ていると、子供が下を通りかかった。中学生だろうか、自転車にロッドを括りつけ、ブラックバスを釣りに行くところのようだ。
 そうだ、その手があるじゃん。
 僕は早速中古の自転車を手に入れた。それに跨がり、ペダルを踏んで街の外れを流れる川に行った。あちこちで鯉がライズしていた。

 あれから数年、借金は徐々にだが減リ始めている。男の霊も憑いているんだかいないんだか、その後おかしなことは何もない。多分、彼も嬉しいのだと思う。
 僕はといえば、鯉釣りの面白さに引き込まれどっぷり浸かってしまった。先日もふらふらと入ったタックルショップで、鯉釣りにもってこいのフライロッドがあり、思わずつい買ってしまいそうに、、、。

(初出 フライフィッシャー誌2000年2月号)

 

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