目が覚める。
 真っ暗だ。
 起きようとするのだけれど、身体が言うことをきかない。目を開けているのか、閉じているのか。それすら判然としない。
 まるで自分が鉱物になってしまったようだ。
 金縛り?
 そう不審に思っていると、突然大きな力で身体を抱かれ、宙に持ち上げられた。そして、ごそごそという音と共に、真っ暗だった辺りが光り輝く世界に変わった。
 そこは、僕のタイイングルームだった。
 部屋の真ん中には見慣れた顔の男がいる。
 そ、そんな馬鹿な。
 それは、「僕」だった。「僕」が僕を掴んでいるのだ。
 「僕」はにやりと笑って、声をかけた。
「じゃ、釣りに行くか」
 僕は、ロッドになっていたのだった。

 ゴトゴトと車に揺られながら、僕は暗いロッドケースの中で、それにしてもなんでこんなことになってしまったのだろうと考え続けた。
 思い当たる節が無いわけではない。
 僕は、マニアという文字が一分の隙もなく当てはまるほど、バンブーロッドに入れ込んでいたのだ。
 バンブーロッドを初めて見たのは、もう随分と前、フライフィッシングを始めた頃に、たまに行っていたフライ専門店だった。グラスやグラファイトのロッドがむき出しでゴロリと並べられていたのに対し、バンブーロッドだけはガラスケースの中に入れられ、扉には厳重に鍵すらかけられていた。ロッドの下に置かれた値札もゼロの数が一つ違い、貧乏な学生の僕に払える額ではなかった。
 そんなバンブーロッドを僕は憧れの眼差しで見たかというと、そうではなかった。手の届かないブドウは酸っぱいではないけれど、自分に買えないものだから、バンブーロッドなんてと酷くこき下ろしていたのだ。
 曰く、ブランド名と値段だけでしか物を判断できない脳足りんの金持ちが欲しがるもの。古くて、重くて、時代遅れで、骨董品としてしか価値のないもの。ありもしない古きよき時代に憧れる、逃避的懐古主義者のもの。そしていつかはグラファイトロッドに押され、消え行くもの。
 そんな評価が根本から変わったのは、卒業して社会人になって暫くしてからだ。
 友達と久々の釣り遠征に出かけた時のことだった。学生の頃は夏休みを利用してよく行っていたのだが、社会人ともなると、そうそう遠くに足を伸ばすことはできない。それでも、山里のその川がどうにも忘れられず、無理をして休みを作って出かけたのだ。
 数年ぶりに足を踏み入れた流れは、学生の頃と全く同じ無邪気さで僕たちを迎えてくれた。天真爛漫な岩魚がなんの疑いもなくフライに出る様に、僕たちはすっかり心和ませた。
 昼近く、朝マズメからずっと釣り続け、いい加減くたびれたので、河原で一休みすることにした。日陰を見つけて座り込む。
 と、農道の上から一人の釣り人が顔をのぞかせた。男は、僕たちに軽く会釈をしてから、ロッドを振り始めた。ごくゆっくりとした動作だった。さして力を入れているとも思えないのに、ロッドは緩やかに曲がり、それにつれラインがするすると延びていく。軽やかで、まるで春の風に揺れる草のようにしなやかなキャスティングだった。
 男は僕たちの見ている前で、数尾の岩魚を釣り上げた。フライを投げ、岩魚をかけ、リリースし、またフライを投げという動作が滑らかにつながり、鮮やかな手品を見せられているようだった。
 来た時と同じように軽く挨拶をし、農道に上がろうとする男に僕は声をかけた。
「いや、すごいですね。ここにはよく来られるんですか」
 男は、にっこり笑った。
「はぁ、すぐそこに住んでるもんで、毎日ですわ」
「そうなんですか。羨ましいなぁ。それにしても、綺麗なキャスティングですね」
「いや、とんでもない。我流ですわ、我流」
 男はそう謙遜しつつも、満更でもないようだった。そして満面に笑みを浮かべながら、手にしていたロッドを僕に見せた。
「よかったら、ちょっと、これで投げてみませんか」
 それは、バンブーロッドだった。それが僕が生まれて初めて手にしたバンブーロッドだった。
 グリップを握ると、木目細かいコルクがしっとり手に馴染む。思ったより随分と軽い。そっと振ってみる。柔らかな重みが手元から竿先へと駆け抜けた。リールからラインを出し、目の前の流れに投げる。
 なんだ、これは。
 本当にそう思った。これまでグラファイトのロッドでは一度も味わったことの無い感覚だった。ロッドが、力でもスピードでもなく僕の意志に感応し、それをラインが表現するとでも言ったらいいのだろうか。
 上手に折った紙飛行機が優雅に宙を滑空するように、ラインは美しい曲線を描いて延びていった。ロッドを振ることがこんなにも楽しいことだと初めて知った。
「すごいですね、このロッド」
 素直に感服してそう言うと、男は嬉しそうに破顔した。
「いや、実は、それ、僕が作ったんですわ」
「えっ」
「はぁ、バンブー作っちゃ、こうして試し釣りしておるんですわ」
 僕は男にせがんで、すぐ近くだという彼の工房を見せてもらうことにした。
 彼について行くと、川から数分歩いたところにある古びた農家に案内された。大きな欅が庭を覆うように茂っている。庭の片隅にプレハブの離れがあり、そこで彼はバンブーロッドを作っているのだった。
 誘われるままに中に入れてもらう。天井の梁の上には丸のままの竹が何本も置かれ、焼き入れをする筒が壁に立て掛けてある。棚の上にケースが一杯に並び、沢山のガイド、グリップ、リールシート、スレッドなどの部品が整頓されている。大きな木工机の上には、モーターやら、何に使うのかわからない道具、メーター付きのゲージ、ネジが一定の割合で飛び出ている細長い金属製の工具などが雑然と置かれていた。床には削られた竹の屑が一面に散らばっている。職人さんの仕事場という感じがいかにもする空間だった。
 奥の一角には、でき上がったバンブーロッドが数本、白い名札を付けて並べられている。依頼主の名前のようだ。
 男といろいろと話をしながら、さっき振らさせてもらったロッドがどうにも気になった。あの何とも言えない気持ち良さをもっともっと味わいたかった。あのロッドが欲しくてならないのだ。が、仮にもバンブーロッドである。軽々しく手の出せるものではない。それで、恐る恐る値段を聞いてみた。
 え?ほんと?
 彼の告げた値段は、有名メーカーのグラファイトロッドとさして差があるものではなかった。今すぐという訳にはいかないが、ボーナスまで待てば、充分僕でも買える値段だ。
 この時に、僕のバンブーロッドに対する偏見は、全て崩れ去った。一も二もなく、僕はあのロッドを買うことに決めていた。
 そして注文してから、ロッドが届くまでの二年あまりの間、僕はバンブーロッドに関する本を片端から買い漁り、貪り読むようになっていた。それまで忌み嫌っていた反動かもしれない。バンブーロッドの作り方、歴史、ロッド職人の紹介、果ては竹に関する本にまで触手を伸ばした。ロッドそのものを手にできないなら、少なくともその世界に触れていたかったのだ。
 待ちに待ったロッドが手元に届いた頃には、一端のバンブーロッドマニアを気取るようにすらなっていた。


 面白いもので、一度新しい世界に目が開かれると、これまで思いもよらなかったものが次々と見えるようになる。そしてそれにつれ、僕の釣りに対する姿勢も変わっていった。
 その頃一緒に釣りに行っていた友達とよく酒を飲んでは議論になったものだ。
「バンブーでもグラファイトでもなんでもいいけど、単なる素材じゃん」
「だから、お前は分かってないんだよ。逆だよ。素材の違いじゃなくて、思想、哲学の違いが素材に現れるんだよ」
「おいおい、大袈裟なやつだな。難しい言葉を並べればいいってもんじゃないぜ」
「じゃぁ、釣りをどう思っているか、そう言い換えてもいいさ。カーボン、グラスのロッドはどこまで行っても、工業生産品なんだよ」
「じゃ、バンブーは家内制手工業ってとこか」
「いや、そんなもんじゃない。まぁ、いいから聞けよ。工業生産品というのは、徹頭徹尾、効率化と均一化を図ったものなんだ。いや、効率化を図った副産物として均一化が出るというほうが正解か。まぁ、いいや。どっちにしろ、どのロッドを買ったところで、同じメーカーの同じ型番のものなら当たりも外れもない」
「バンブーはその点、手作りだから、同じ職人が作るものでも逸品もあれば、駄作もあるってのか。宝くじじゃあるまいし、そんなところのどこがいいんだ」
「いや、駄作を作るのは、だめな職人だよ。優れた職人が生み出すのは、素晴らしいロッドと、奇跡のようなロッドだけさ」
 効率を追求したロッドは、効率を目指す釣り人に求められる。効率、それはどこまでいっても数字で表されるものだ。何キロの反発力のグラファイトシートなのか。何ヤードまでラインが飛ぶのか。一年間に何日釣りに行き、何尾鱒を釣ったか。大きさは何センチで、重さは何グラムだったか。それはまた、何本のロッドを作り、何本売れ、利益はいくらかという、資本主義の世界でもある。
 利潤という数字を求める企業が素材にグラファイトを採用するのは当然のことだ。工業生産品は、素材の均一な質と安定した供給が無ければ成立しない。竹にはそれができない。
 酒で言うなら、グラファイトのロッドは、近代的設備を駆使して、空調の効いたガラス張りの工場で作られる日本酒のようなものだ。そこから生み出されるのは、あくまでも経済原則に則った酒だ。いかに少ない材料と短い日数でアルコール発酵をさせるか。そういう酒だ。そういう酒に求められているのは、味わいじゃない。値段と量。つまりやっぱり数字で表されるもんなんだ。
 けれど杜氏が一樽ごとに仕込む酒は違う。例えば精米した米を洗う、単純なように思えるそれだけの作業でも、加減というものがある。年によって米の出来具合は違うのだからその加減は微妙に変わってくる。洗いすぎて米が水を吸ってもいけない。もちろん洗い足りなくて糠が落ちていないようでは失格だ。どの程度洗えばいいか。それは決して数字で表されるものではない。
 米全体に手を回し洗っていると、糠が切れてくるのが手の感触で分かる。そして、よし今だ、そう感じる瞬間がある。杜氏はそう言うのだよ。
 バンブーロッドだって一緒だ。材料となる竹は、生き物だ。年が変われば気候も違う。それどころか、同じ年、同じ土地で採れたものでも、ちょっとした日当たりの善し悪し、風の通り抜け具合に影響される。だから一本一本が同じということは絶対にない。それで、職人は竹の性格を寸分の狂いもなく見極め、暴れ癖を矯め、たおやかさを引きだしして、ようやく一本のロッドに仕上げるのだ。
「だから、お前がグラファイトのロッドをいくら振ったところで、そこには何も生まれないんだよ。けれど、バンブーは違う。バンブーロッドを手にした瞬間に、釣り人はそのロッドをこの世に生み出した職人と向きあうことになる。酒だってそうだろう。自動販売機で買うような酒を誰が味わう。あれは、アルコールを飲んでるだけなんだ。でも、この大吟醸はそうでないだろう。ほら、ここを見ろよ。ちゃんと杜氏の名前まで書いてあるじゃないか」
「おい、大丈夫か。なんか、だいぶ、酔っぱらってないか」
「うるせえ。数字から生まれた工業品を喜んで振っているようなお前に何が判る。バンブーロッドは芸術だよ。存在の一瞬を永遠に結びつけるんだよ」
「わかった、わかった。わかったから帰ろうぜ、もう」
「いいや、言わせてくれ。グラファイトのロッドはお前をどこに連れていく?ああ?どこでもない。でも、違うよ、バンブーは。バンブーを振る、バンブーを持つということは、僕という釣り人がだよ、そのロッドを通して、もう一人の人間の生き様に向かい合う、そういうことなんだ」
 大概は、こんなふうに泥酔した僕のしつこさに辟易した友人が、適当にその場をいなしてお開きになるというパターンが多かった。
 けれど、僕がここまでバンブーロッドに入れ込んだ理由の一つに、それを作った人間に会えるということがあったのは事実だ。そのロッドがどういう考え方のもとに作られたのか、それを自分の目で見て実感できる。そのことが僕にはとても大切なことのように思われたのだ。だから、僕の持っているバンブーは皆日本人が作ったものばかりだ。ロッドを注文する前に全て工房まで出向き、完成品を自分の手で振るだけでなく、ロッド職人と話を交わし、それから買うことを決めたものだ。
 いや、例外が一本だけあった。それは知り合いが持っていたロッドで、手にした瞬間に僕は虜になってしまったのだ。
 どこまでも柔らかく繊細なのだけれど、それだけに終わっていない。小気味いいほどの切れがその下から顔を覗かせている。まるで山女魚の危うい煌めきと峻烈さをそのまま形にしたようなロッドだった。
 一体どんな人がこれを作ったのだろう、是非とも会いたい。そう真剣に思った。
 しかし聞けば、そのロッドを作ったのはオーストリアの職人ということだった。飛行機代、滞在費、休暇。どれをとってもしがないサラリーマンの僕には無理な話だった。いやそれどころか、良く調べたら、その職人はほんの数年前に交通事故で亡くなっているのだった。
 そうなると、僕のそれまでのロッド選びの基準からすれば、外されても良さそうなものだけれど、どうにもそれができなかった。それだけの理由で諦めるには、あまりにもあのロッドの印象は強すぎた。
 注文してから二年三年待つのはバンブーロッドの世界なら特別なことでもない。職人が生きている限り、いつかは手に入る。が、職人がもうこの世にいないとなると、話は別だ。中古の出物を待つしかない。しかし、どれだけ待てばいいのか。どこで出るのか。値段はいくらか。全く見当もつかない。僕は途方に暮れた。
 けれど、だからといって、ただ待っていればロッドが向こうからやって来てくれるわけではない。何かしなければ。
 僕は手始めにインターネットのオークションから当たることにした。また、バンブーロッドを数多く扱っている骨董品のディーラーにも問い合わせの手紙を書いた。しかし、彼のロッドを扱っているところはどこにもなく、それどころか、彼の名前すら聞いたことが無いという返事がほとんどだった。
 そうなると、いよいよ欲しくなる。
 無名の、夭逝の天才が作り上げた幻のロッド。そんなロッドと再び邂逅を望むなんて、奇跡を二度願うようなものにすら思えてきた。


 しかし半ば諦めながらもしつこく探し続けたのが功を奏し、思いもかけない方面から機会は訪れた。
 僕が初めてそのロッドに出会ってから三年ほど経ったある日、僕が血眼で探していることを覚えていた友人が、耳寄りな情報を持ってきてくれたのだ。
 釣り好きで、百本以上ものバンブーロッドを収集しているある企業家がいる。けれど、事業に失敗して多額な借金を抱えてしまったらしい。もちろん家も土地も抵当に入っているが、バンブーロッドだけはなんとか差し押さえを免れた。しかし、それでも山のような借金はまだ残っている。それで泣く泣く貯め込んだロッドを手放すことになった。そして、その中に件のロッドもあるというのだ。
 人の不幸につけ込むようで随分と躊躇したが、背に腹は代えられなかった。僕は早速知人から聴いた電話番号に連絡をとった。
 家に出かけてみると、中から出てきたのは、小太りの身体に脂ぎった浅黒い顔を乗せた、いかにも欲深そうな男だった。少し前までは、その欲がうまく廻って儲けていたのだろう。が、今はその欲深さが深い憔悴の元となっているようだった。
 部屋に通されて驚いた。それこそカタログでしか見たことの無いような高価な竿が無造作にごろごろと転がっていたのだ。ある所にはあるものなのだと感心させられる。その中に、僕の目指す一本も混ざっていた。
 男と話を交わすうちに、こいつはバンブーロッドがどうのというより、単にブランド名と値段だけを気にし、高額なロッドを所有している、そのことを誇りたいだけだなという印象が強くなってきた。振り心地や魚をかけた時の感触に関する話は全くなく、ただひたすら値段といかに有名かということばかりを口にするのだ。
 こんな男が持っているより、その価値を正しく評価する僕の様な人間が持っている方がロッドのため、そしてそれを作った職人のためにもはるかにいい。そう思うと、金に困った男からロッドを買い上げる罪悪感は綺麗に消えた。
 随分と厭らしいやり方だとは知りつつ、バッタ屋が商品を買いたたく要領で、現金を目の前に並べ、それで狙いのロッドを買い取った。男は、他のロッドも引き取って欲しいようだったが、僕にはそんなお金は無い。あったところで、他のロッドにはあまり興味はない。
 ロッドをケースにしまい、それをまた持参した大型のケースに入れ、早々に家を辞した。
 自宅に帰り着くのももどかしく、仔細にロッドを点検してみる。ほとんど使っていなかったのだろう。どこにも傷も汚れもない。
 おお、なんという掘り出しもんだ。もしこれが有名ブランドだったら、人に見せびらかすためにちょっとは使ったかも知れないが、その点このロッドは無名であることが幸いしたようだ。
 ためつすがめつして、軽く振ってみる。
 あの山女魚の息吹が手の中で蘇った。
 思わず溜め息が出る。
 そんな様子を、妻は呆れたような、諦めたような顔で見ている。けれど、それはお互い様だ。彼女だって、彼女が入れ込んでいるアンティークドール、しかもビスクドールのいいやつが手に入った折りなど、食事を作るのも忘れていつまでも見入っているのだから。
 それぞれの趣味の世界は、敬意を払って立ち入らない。それが僕たち夫婦の間での決まりだ。
 それにしても、素晴らしいロッドだった。
 それまで釣りに行く時は、持っていたバンブーを交代に使っていたのだが、それ以来このロッドしか手にしなくなった。
 このロッドを振った後では、どのロッドも物足りなさが残るのだ。鰭のピンと張った野生の山女魚を見た後で、養殖の尾の溶けたようなヤマメを釣ってしまったようなものだ。
 釣りだけではない。家でロッドの手入れをする時も、まずこのロッドから始まり、そして最後にもう一度このロッドを眺めて終わるのが常となった。
 秋の夕日に揺れる稲穂のような深い色合い。
 人の手を誘ってやまないグリップの曲線。
 しっとりとした輝きを放つスレッド。
 いつまで見ていても飽きることがなかった。
 ロッドに注がれた職人の思いが、僕の中に染み込んでくるようだった。
 僕という存在と、ロッドが一つに溶け合う様な気すらした。
 それは、職人が夢にまで描いた理想の世界なのではないだろうか。

 そうか。そういうことだったのか。
 僕は、あのロッドになってしまったに違いない。
 とすると、「僕」は、ロッドに入れ込まれた職人の魂だろうか。
 そう思った時に車が止まり、僕はケースから出された。
 「僕」が釣りの支度をして、河原に立っている。慣れた手つきでラインを僕に通し、軽く振り始める。
 ゆっくり、ゆっくり。
 力が足元から頭の先まで漲ってくるのが判る。身体が隅々まで心地よく緊張し、貯め込まれた力が何倍にもなって発散されていく。
 どこにも無理がない、美しいキャスティングだった。
 「僕」はさすが元ロッドだけあって、ロッドの使い方を心得ていた。
 緩やかな曲線を描いて、ラインが長く長く延びる。
 その「僕」が突然にやりと笑って、キャストのリズムを変えた。
 ひどかった。
 やめてくれ。
 ちぐはぐな力の入れ具合に、それでもなんとかステップを踏もうとして、身体のあちこちが軋んだ。
 躓いた。
 蹌踉めいた。
 転んだ。
 ラインはミミズがのたくったように、宙に散らばっている。
 「僕」は、またにやりと笑うと、先ほどの優雅なキャスティングに戻った。
 身体が自然に反応し、ラインが滑らかに延びていく。
 そうか。「僕」は、僕のキャスティングを真似したんだ。
 そんなに酷かったのか。
 僕のキャスティングでは、ロッドの力の十分の一も発揮されていなかったんだろう。そして、それがロッドには歯がゆくて仕方なかったに違いない。
 気持ちよく力が体を駆け抜けてゆく。
 僕は何もしていない。
 僕はしなやかな純粋曲線となって、力に共鳴し、ラインとダンスを踊るだけだ。
 はるか彼方に向かって、ラインが解けていく。
 キャスティングをしながら、つくづくバンブーロッドになれて、幸せだと思った。バンブーロッドマニアにとって、これ以上の幸福があるだろうか。
 僕は、ロッドになってしまったことをちっとも後悔していない。「僕」が釣りに連れていってくれるのが待ち遠しくてならない。ケースの中で過ごす時間があまりにも長くなると、泣きたくなってくる。
 僕は、バンブーロッドなのだ。
 僕は、キャスティングをするために、魚と戯れるためにあるのだ。
 そう大きな声で叫びたくなる。
 水のほとりで、「僕」が釣りをしている、その瞬間だけを僕は生きている。
 もっと、もっと、もっと、僕は生きたいのだ。
 暗い布袋の中にいる間、遠い流れや、山女魚のことばかりを考えている。
 「僕」はそのことを知ってか知らずか、毎週のように釣りに釣れていってくれる。
 妻もそれに文句を言うでなし、笑顔で送りだしてくれるようだ。
 ふと、妻と「僕」が仲良くしているところを想像して、軽い嫉妬の念が沸き起こった。
 だが、待て。
 あれは、本当に僕の妻なんだろうか。
 ひょっとして、妻ではなく「妻」なのではないか。
 本当の妻は今ごろ、リビングルームのアンティークドールとなって、、、。

(初出 フライフィッシャー誌2000年10月号)

 

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