いくつ目かの街を走り抜け、ようやく郊外に出る。それまで遠くに霞んでいた山々が大きく聳え立つ。山の名の由来ともなった兎の形の雪渓はもうすっかり溶け、陰も形もない。家並みはだいぶ疎らになり、緑も鮮やかな若稲が風にそよいでいる。 ある村外れの農道の脇に車を停めた。 ねっちりとした日差しが肌を炙る。時折吹く風も、暑さをかき回しているだけのようだ。セミの声に包まれながら、釣りの準備をする。 ウェーダーを履き、ベストを着込んで、ふと、笛の音がすることに気づいた。細く甲高い音が、飄々と田んぼの上を渡ってくる。 見れば幟を先頭に十人ばかりがゆっくりと畦道を歩いている。その後をやはり十人くらいの子供がついてくる。何やら祭りのようだ。笛の音に合わせて、歌を唄っているらしい。どこかのどかで、それでいて悲しげな旋律だ。 なんのお祭りなんだろう。夏祭りにはまだ早いし、七夕はもう終わったし。 不思議に思いながら見ていると、集団はゆっくりとした歩調で、段々こちらに近づいてきた。それは歌というより、何かの呪文のようだった。 「サイトコベットコサイノボリ、イイネノムーシャニーシイケ」 集団が俺の前を通り過ぎる時、先頭の幟を持っている老人と目があった。 何もしないのもまるで無視したようで嫌だったから、帽子を取って軽く挨拶をした。老人は深く頭を下げ、「どうもですわ」と言って歩き続ける。その後に続く人たちも、俺が知り合いであるかのように軽く会釈をしてゆく。子供たちが、また呪文を謳い上げた。 「サイトコベットコサイノボリ、イイネノムーシャニーシイケ」 畦道を少しずつ遠ざかる集団を見送りながら、一体なんなのだろうと訝しく思った。俺が育った田舎では、あんな風習は見たことがない。もっとも俺の故郷はここから大分離れているし、それに漁村だから、この辺りの農村と違っていても不思議ではない。 田んぼの片隅でようやく止まった集団をしばらく眺めてから、俺は畦道を彼らとは反対の方に歩き、川に向かった。 五分も歩いただけで、ウェーダーの中はもう暑くて堪らない。流れに辿り着くや、すぐにジャブジャブと入り、腰を下ろす。下半身がひんやりとして、ほっと一息つく。しばらくの間そうやって涼みながら、水面を観察していた。 古びた護岸を覆い隠すように草が生い茂り、流れの所々に大石が顔を出している。水面は複雑に入り組み、縒れては解けを繰り返している。 小さなカゲロウが水面にぷつりと浮かんで流れてきた。あるかないかの小さなクリーム色の胴から、にょっきりと羽根が突き出ている。風に煽られ、倒されそうになりながらも、何度か羽根を震わせている。二度、三度羽ばたき、ようやく舞い上がったと思ったら、ほんの数センチ飛んだだけで水面に落ちてしまった。じっと動かない。しばらくして、思いだしたように突然ふわっと宙に浮き上がり、そのまま高く昇っていく。 その途端、黒い影が横切り、クチリと音がしてカゲロウが消えた。ツバメだった。 俺は小さめのパラシュートフライを結び、釣り上がることにした。 石の後ろ、草の陰、ちょっとしたたるみ。 瀬の脇、泡の切れ目、落としの横。 ここはと思う所をしつこく流してみるのだけれど、魚の反応は全くない。 フライが違うのだろうか。それとも、水面を見ていないのだろうか。 それならと、フライの先に三十センチあまりティペットを結び足し、それにニンフをつけた。これで、水面、水中の両方を探れる。 この組み合わせでしばらく釣り登ってみる。 護岸の脇を流している時だった。突然パラシュートフライが水中に引きずり込まれた。慌ててロッドを立てる。ごんごんという手応えに続いて、いきなり横にラインが走る。手前に来たものだから、ラインをたぐる手が追いつかない。ラインが弛む。 やばい。 必死で左手でラインを引くけれど、どこまでいっても手応えがない。そのまま、ラインの終わりまでロッドに入ってしまった。 ちぇ。 鉤を外され、逃げられてしまったのだ。針先が鈍っていないか、フライを点検する。 結構ないい型だったのになぁ。 いつまで悔やんでいても仕方がない。そう気を取り直して上流に進む。が、どうしたことか芳しくない。手の平に収まるほどの小さな山女魚は出るのだけれど、それより大きい魚の反応がない。 やっぱり時間帯が悪いのか。 時計を見るまでもなく、陽はまだ高く、夕マズメはまだまだ先の話だ。それでしばらく釣りをやめ、水棲昆虫の観察をすることにした。ベストから、妻に作ってもらった採集網を取り出す。レースのカーテンのあまり布と竹の菜箸二本で作ったごく簡単なものだ。これを右手で持ち、目当ての石の下流側で待ち受ける。そして左手で石をひっくり返すのだ。 石を持ち上げるのと同時に細かい泥が湧き上がり、瞬く間に広がってゆく。それを逃さぬよう網で掬い上げる。右手の網と、手の中の石を見比べる。網を膝に起き、石にしがみついている水棲昆虫を網の上に落とす。葉っぱのかけら、砂、小石に混ざって、たくさんの虫が網の上で蠢いている。 カゲロウ。カワゲラ。トビゲラ。 ひとつひとつ選り分け、水を張ったタッパーに入れ観察する。大きさ、色、形。 緑色の大きなトビゲラの幼虫がうねうねと身体をくねらせ、小さなカゲロウの幼虫が尻尾を振って泳ぎ回る。じっとしたまま動こうとしないカワゲラ。小石を集めた殻に閉じこもっていた小型のトビゲラが、恐る恐る頭と足だけを出して歩き出す。 川の中は、それこそ生き物で溢れかえっているのだ。 一通り見終わったら、そっと流れに戻してやる。そうやって川のあちこちをひっくり返しながら、虫取りに没頭した。 ふと、何かを感じて顔を上げた。対岸の土手の上から、先ほど幟を持っていた老人がこちらを見ていた。 「精が出ますの。お筒様をお探しかいの」 「あ、いや、べつに、、、」 おつつさま?俺は老人が何を言っているのか分からなかった。 「そうですかいの。よかったら、茶でも飲んで行かんかいの」 ちょっと迷ったけれど、まだ夕マズメまではしばらく時間があったし、その誘いを受けることにした。気になっていた先ほどのお祭りのことも色々と訊ねられるだろう。 老人の家は、土手のすぐ向こうにあり、縁側からは、対岸の山、一面の田んぼ、そして川などが一望にできた。 「年寄りの一人暮らしじゃで、なんのお構いもできんが、ま、茶でも飲んでいきなされ」 「あ、ありがとうございます」 縁側に腰を下ろし、老人が入れてくれたお茶をいただいた。 「あの、ちょっとお尋ねしたいんですが、、、」 俺は先ほど見た行列について聞いてみた。 「ああ、あれですかいの。あれは虫送りですわ」 「虫送り?」 「はぁ、稲に悪い虫がつかんよう、実盛様のお怒りを静めてもらうのですわ」 老人は、お茶を啜りながら、しゃがれた声で虫送りの由来を語ってくれた。 源氏と平家がまだ入り乱れ、各地で合戦に明け暮れていた頃のこと。平家側に斉藤別当実盛と言う武士がいた。その昔、源氏方の木曽義仲幼少の折り、義仲が殺害されるところを匿ってやり、いわば義仲の命の恩人でもあった。ところがその実盛が、皮肉なことに義仲の軍団と一戦交えることとなった。時に実盛は既に七十歳を越えていた。老体を敵に侮られまいと白髪を染め、また義仲の恩人であることを隠し、名乗りもあげずに潔く戦ったが、あえなく討ち取られてしまった。乗っていた馬が稲藁につまずいたのが原因で、その恨みが高じて実盛はイナゴとなり、稲に取り憑いては食い荒らすのだという。 老人は、先ほど田んぼの脇で聞いた呪文をゆっくりと呟いた。 「サイトコベットコサイノボリ、イイネノムーシャニーシイケ」 斉藤別当実盛、稲の虫は西行け。斉藤別当実盛様、稲の虫ではあるけれど、西、つまり平家のもとにお帰りください。そういう意味なのだ。 漁村育ちの俺が知らないわけである。ついでにさっき老人が口にした、おつつ様についても訊ねた。 「お筒様ですかいの。いや、それは、、、」 老人はちょっと口ごもった。それから黙ってお茶を飲み干すと、急須を持って奥に入ってしまった。 何か聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうか。 気を揉んでいると、ほどなく老人は何か小さな黒い箱をもって戻ってきた。 「これがお筒様でござります」 手の平に乗るほどの小さな黒塗りの箱を渡された。恐る恐る開けてみる。 ん? 細長い小さな砂の塊がそこにあった。長さは二センチもないだろう。砂粒が皆鈍く金色に輝いているところを見ると、砂金だろうか。 よくよくその塊を見て、あっと驚いた。 これは、ニンギョウトビケラの筒巣じゃないか。 「この川でざざ虫を探しておりますとの、このお筒様がたまぁに見つかることがありますんじゃ。虫送りの後にこのお筒様が見つかると、その年はイナゴも湧かず、豊作になると言われとります」 老人の説明によると、このお筒様というのは、実は実盛の孫娘であったそうだ。実盛を討ち取ったものの、その子孫による復讐を恐れた源氏は、一族を殺害した。まだ赤子であったお筒様は、金の刺繍が施された衣に包まれたまま川に放り込まれたらしい。不憫に思った村の者がせめて亡き骸だけでも弔ってやろうと探したのだが、衣もお筒様も見つかることはなかった。それ以来、虫送りをした後には川でお筒様探しをするのが習わしになっている。そしてお筒様が見つかると、成仏できるように丁寧に供養してやる。イナゴとなった実盛は、孫娘を丁重に扱ってくれたことを感謝し、稲に悪さをすることもなく西に去り、さらにはたわわに実った米を残していくというのだ。 その話を聞きながら、それにしても、一体なんで砂金だけを使って筒巣を作るトビゲラが現れるのだろうと不思議に思った。それこそ、お筒様の怨念なのだろうか。 老人の家を辞し、川に戻って釣りを始めてからも、お筒様のことが頭から離れなかった。おかげで気が散って、夕マズメも大した釣りにはならず早々に引き上げてしまった。 家に帰ってもお筒様が気になって仕方がない。 お筒様には何かある。なんだか分からないけれど、いや、分からないからこそ、余計に引っ掛かるのだ。 これまでいろいろとトビゲラの巣を見てきたが、材料となる砂礫に何か特別な嗜好があるものなど一つもなかった。辺りにある手ごろな砂粒を適当に集めているだけのように見えた。それがなぜ、あの川のトビゲラ、それもある個体は砂金ばかりで筒巣を作るのか。 そのことを逡巡していて、ある可能性に気づいた。ひょっとして、お筒様を作るトビゲラは砂金を選んでいるのではないのかも知れない。ただ単に、回りにある砂を無造作に使っているのだけれど、それが全て砂金なのではないか。 川の流れのいたずらか、どこかに砂金が集まる場所がある。たまたまそこでトビゲラが巣を作れば、砂金ばかりの筒ができ上がる。そして、雪解け、あるいは大水で下流に流されたものが、お筒様として有り難がられる。 ならば、あの川の上流のどこかに、砂金の溜まりがあるはずだ。 俺はまず地図を調べた。廃坑になった金山でもないかと思ったのだ。が、その予想は外れた。金山どころか鉱山マークすらない。念のために図書館に出かけ、あの流域の地誌を紐解いてみたけれど、過去に金山があったとは一言も書かれていなかった。 だとすると、天然の金脈がどこかにあり、それが人知れず露頭しているのだろうか。しかしその可能性は低いように思えた。流れの加減とは言え、一ヶ所に集まるほど砂金が流れ出しているのだ。だとしたら、そこに留まらなかった砂金だってあるはずだ。いやその方がはるかに量が多いだろう。それが今まで気づかれずに済んだとは思えない。 なら、一体どうして、、、。 川のある限られた一ヶ所に、砂金が集まっている状況を想像してみる。 そんなことが起こるなんて不自然だ。 あ、そうか、自然現象ではないのだ。人間の手によるものなのではないか。誰かがどこかから砂金を集めてくる。それを川に溢してしまう。そうすれば、そこで筒を作るトビゲラは、金の衣装を纏うことになる。 でも、だれがそんなことを。 そう考えて、「埋蔵金」という言葉が頭に浮かんだ。 埋蔵金。それなら全ての説明がつく。そうか、そうに違いない。埋蔵金といっても金の延べ棒や小判ばかりとは限らない。砂金を集めている可能性もあるのだ。山奥のどこかに密かに隠しておいたものが、長年の地形の変化で少しずつ露出する。例えば小さな革袋に入れられた砂金が川に転げ落ちる。革袋はいつか朽ち果て、中の砂金が溢れ出る。 俺は興奮した。それだけの金が手に入れば、仕事も辞め、欲しかったバンブーロッドを買って、日がな釣りをしていられる。 あの老人にもう一度会おう。そして詳しく話を聞こう。 それから、俺はあの川に足繁く通うようになった。もちろん、埋蔵金なんて言葉は口にもしない。民俗学、古い言い伝えに興味があるという振りをして老人に近づいた。茂一というあの老人もすっかり打ち解けてくれ、色々なことを教えて貰えるようになった。 「こんにちは、茂一さん、また来ました」 「おお、おお、遠いところを、よお、おいでっくだすった。待っておりました。まぁ、上がらんかいの」 茂一老に誘われるままに部屋に上がる。仏壇の前に小さな飾り棚があしらわれ、その上には、いつかみたお筒様が祭られていた。 「それならば、早速、裏虫送りを始めましょうかいの」 裏虫送りとは、この一帯の名主であった茂一老の家でしか行われない、しかもこれまでずっと門外不出だった儀式だそうだ。しかし、不幸にも茂一老は子供に先立たれ、後継者がいなくなってしまった。このままでは裏虫送りの存在すら歴史から消えてなくなるということで、記録として残すため、特別に俺に見せてくれるというのだ。 茂一老は、お茶を出すと、一端奥に入った。 しばらくして再び出てきた茂一老は、金糸銀糸で刺繍を施したきらびやかな衣に身を包んでいた。静々と音もなく廊下を歩んでくる。 部屋の中央で立ち止まった茂一老が、すっと腰を落とした。 一瞬間を置いて、朗々とした声が部屋中に響き渡った。 「からぁいとさまにはぁ、ひさぁごぉの、おたからぁ、、、」 謡に合わせてゆるゆると舞い始める。摺り足で進み、手が緩やかに円を描く。どこか太極拳を思わせる舞いだ。閉めきられた部屋のほぼ中央で、いつまでも茂一老の謡と舞いが続く。 一頻り舞っていたかと思うと、始まった時と同じように突然謡が終わった。茂一老はお筒様の方に向き直り、頭を垂れている。 しばらくそうしたあとで、ゆっくりとお筒様を右手に取り、懐から取りだした和紙に包んだ。 「では、参らせましょう」 そう言うと、茂一老は和紙を両手で額の前に掲げたまま、部屋を出て縁側に降りた。そのまま庭先を回って土手を越え、流れの脇にしゃがむ。ゆっくりと和紙の包みを水に浸し、それをもう一度恭しく額にあてる。 「富貴万福利、富貴万福利、おん願い申し上げ奉る」 茂一老は三度そう唱え、それから包みを川に流した。白い和紙が流れに揉まれ、浮き沈みしながらどこまでも下ってゆく。 家に戻ると、茂一老は畳に手をついて深々と頭を下げた。 「これが裏虫参りですわ」 俺も頭を下げた。先ほどから聞きたくてならないのをずっと我慢していたのだが、そんなことはお頚にも出さず、ついでにという感じで一呼吸おいてから謡について訊ねた。 「ああ、あれですかいの。あれは、代々当家に伝わるもんでの、何かお家の一大事の時には助けてくれると言われておりますんじゃ。もっとも、息子が交通事故でやられた時にはなんの助けにもなりませんだがの」 茂一老は、ふっと小さく溜め息をついた。 「あの、もし宜しかったら、あの謡の文句を書いていただけますでしょうか」 俺は、あの謡の中に、必ずや埋蔵金に関するヒントが隠されていると睨んだのだ。 茂一老は、半紙と筆を文机から出し、さらさらと書き連ねた。
唐糸様には瓢のお宝
「お願いですがの。ここに謡を書き申したが、誰にも見せんでくださらんかいの」
(初出 フライフィッシャー誌2000年5月号)
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