中学二年の時だったと思う。寒い冬のことで、朝、家を出ると、道路はすっかり凍りついていた。通学路もあちこちに氷が張り、気を抜いていると、足を取られそうだった。
 回りの眼、特に女の子を、痛いくらいに意識していたころの話だ。だから、決して無様に転ぶわけにはいかない。それでいて、転ばぬように、用心しながら歩いているとも思われたくなかった。氷のことなど全く気にせず、颯爽と歩く。それが格好良いのだから。
 それでいつもより、わざと、少し大股気味に足を出す。頭は水平に保ち、足元など気にしていない様子で、さっさと歩く。数メートル先の氷の位置を覚え、なるべく下を見ないように進路を修正する。
 学校まで、あと十分くらいのところだった。突然、視界の右半分が真白になった。えっ?と思うのと同時に、白い壁は真ん中から裂け、その向こうに足を滑らせて転んでいる学生の姿が浮かび上がった。それは、よく見るまでもなく、自分だった。
 一瞬足を停める。
 地面に仰向けにひっくり返っている自分の姿は、やがて薄くなり、そのかわりに回りの風景が元のように見えだした。走っている車も、他の学生も、皆さっきと変わらぬままだ。
 私は、道端に立ちつくしていた。転んではいない。左右を見回しても、何も変わったことはない。いつも見かける顔が、同じ制服を着て、同じ方向に歩いているばかりだ。
 一体、今のは何だったんだ。
 訳の分からぬまま、足を踏み出す。ひょっとして転ぶんじゃないか。しかし用心して出した足は、しっかりと地面を捕えた。次の足も、次も。
 夕べ、遅くまで深夜放送を聞いていたんで、脳味噌が疲れ切っているのかも知れない。それにしても、いやに鮮明で、あたかもテレビを見ているようだった。踏み出した足が止らずに、そのまま前に滑った。膝をつくようにして転び、バランスを失って、仰向けにひっくり返ったのだ。
 自分には、未来を予知する能力があるのだろうか。だとしたら、いくら私が転ばないように気を付けたとしても、やっぱり転んでしまうんじゃないか。そんなことを考えながら、注意深く歩いた。
 予想に反して、学校には何事もなく着いた。友達とわいわい騒いだり、授業を受けたりしているうちに、朝見たことなどすっかり忘れてしまっていた。
 そして、帰宅途中、私は氷でも何でもない所で、見事に転んだのだ。朝見えた姿、そのままに仰向けにひっくり返った。
 これが、私が覚えているもので、一番古いものだ。
 それからも、時折、同様の体験をするようになった。見え方はいつも同じで、突然視界の右半分が白くなる。あ、来たっと思うのと同時に、白い画面の中央が縦に裂け、その向こうに自分の未来が浮かび上がる。姿が現れるのは、ほんの束の間だけ。だから、複雑なことは分からない。ほんの一瞬の動作であったり、言葉であったり。
 ただ、余り有用な能力とは言い難い。私の方で、いくら未来を知りたいと思っていることがあっても、決してそれが現れるとは限らないのだ。どうでもいい、それこそ駅前の立ち食い蕎麦を食べている自分なんて未来が見えることもある。何に関しての、どれくらい先の未来が見れるか、私自身で選ぶことが全くできない。
 役に立たないということで言ったら、もう一つある。
 人に言ってしまうと、予知が予知でなくなってしまうのだ。つまり、見えていた予知が外れ、違う未来が現実になってしまうのだ。
 まだ、能力を自分の中でどう扱ったらよいのか、分からずにいるころだ。いつものように視界が半分白くなり、その向こうに試験問題を解いている自分が見えた。一瞬のことだったけれど、五問のうち、二問までははっきりと読むことができた。それで、その頃仲のよかった友達に、「僕には何が試験に出るか、分かるんだ。あれとあれだぜ」と自信たっぷりに教えたのだ。もちろん、自分でもその問題だけは、目をつぶってでも答えられるように覚え込んだ。二問が完全なんだから、それだけで四十点。赤点の心配もない。それで、あとはほとんど試験勉強などしなかった。
 ところが、実際の試験の日、配られた問題は全く見たこともないものばかりだった。予知の中で見えたのは、二問目と三問目だった。が、本番のテスト用紙には、予知の中にはかけらもなかった、グラフがあり、それを使って解く問題になっていた。
 すっかり当てが外れ、試験はさんざんの成績だった。おまけに、友達には「おまえのヤマだけど、見事に、カスリもしてねぇな」と揶揄された。
 確かにあれが出るはずだったんだと、言い張ったところでどうしようもない。出なかったものは、出なかったのだ。
 それで、あれこれ思いだしてみれば、これまでだって予知能力も一〇〇パーセント確実というわけではないことに気づいた。
 ベッドに寝っ転がって考えていたら、ふと、これまで予知が見えていたのに、当たらなかった時のことがいくつか蘇ってきた。
「大した予言だわな」
「未来が判れば、世話ねぇよな」
 いつも誰かに、そう馬鹿にされ、嫌な思いをしている。だからと言って、当たった時に、誰かに感謝されたり、驚かれた覚えがない。ひょっとしたら、誰かに予知を告げてしまうと、外れるのだろうか。
 それから、未来が見えると、意識して誰かに告げたり、誰にも話さなかったりしてみた。そして判ったのは、内容を少しでも他人に明かすと、確実に予知は外れるということだった。
 他人に話すと効力がなくなるのだから、テレビに出て有名になり様もないし、占い師にすらなれない。
 ほとんど役に立たない予知能力だと言っていいだろう。
 大学を卒業し、会社に就職してからも、相変らず、たまに未来を覗き見できた。しかし非常に断片的で、おまけに瑣末なものばかりだった。ただその頃には、どうやって覗き見した未来と付き合ってゆくか、自分なりに対処できるようになっていた。そりゃそうだ、中学二年からだから、もう十年以上やっているのだから。
 もし、見えた未来が嫌なものだったら、冗談めかして誰かに話してしまえばいい。例えば、課長に呼ばれて怒られている自分を見たとする。なんだ、どうせ怒られるのか、と気を抜いて仕事をしても、あるいは逆にそうならないように一生懸命働いても、どっちの路線でも、結末は同じ。何か、どこかでミスをして、課長に怒られるのだ。避ける道はただ一つ。誰かに話すこと。
 この点、私の予知能力は都合がいい。いくら真顔で話したところで、絶対外れるのだから、変に当たって気味悪がられたり、逆に担ぎ挙げられたりする心配がない。ただの、馬鹿話、冗談で済んでしまうのだから。
 もし、唯一役に立ったと言えることがあるとしたら、それは妻と結ばれたことだろう。
 彼女は、出張で行った地方都市の取引先に勤めていたのだ。初めて見た時から、可愛いな、と惹かれるものがあった。何度か会ううちに、自然と話を交わすようになり、食事も誘ったりするようになった。
 ただ、これまで全く女の子にもてたことがない上に、元々の引込み思案の性格から、なかなか一歩踏み込めないでいた。彼女の態度から、真意を今ひとつ読めなかったこともある。ただの、食事を一緒にする程度の友達でいるつもりなのか、それとももう少し深く付き合ってもよいと思っているのか、計りかねていた。
 そんなある日、彼女と町を散歩しているときに、突然見えたのだ。私と彼女がひとつのベッドに寝ている姿が。
「それまで、あなたって何だか煮え切らない態度で、私もどうしようかなって思っていたの。でもある日、自信と落ち着きみたいなものが急に感じられるようになったよね。一体何があったんだろうって、いまでも不思議なんだけど」
 私が見たものを誰にも話しさえしなければ、うまくゆくとわかっているのだから、余計な心配はいらなかった。彼女になにかプレゼントをしても、気に入ってもらえるだろうかと、おどおど気をもむ必要もなかった。それが、自信と落ち着きと映ったのだろう。
 もちろん、いくら結果的にそうなるとわかっているからと、彼女の気持を考えないような、無神経な振る舞いは極力控えた。私と彼女がひとつベッドで寝るということは確かだけれど、彼女が私に対して好意を持ってくれるのかどうかまでは、予知できないからだ。未来のある一部分を見えたからと、安心してはいられない。問題なのは、それをどう解釈するかだから。ひとつベッドで寝ていることが、ハッピーエンドの証とは限らない。たとえば、彼女は陰で売春をやっていて、それを知った私がやけのあまりに彼女を買った、そんな可能性だってあるのだから。
 幸いなことに、私と彼女は、もっと素直な形で同じベッドで眠るようになった。そして、しばらくして私たちは結婚した。
 もし、未来が見えていなかったら、あるいは私は彼女に踏み込むことができず、それで一緒になることはなかったんじゃないかと思う。
 どのカップルもそうであるように、私たちも喧嘩をするし、疎ましく思うこともある。ただ、それ以上に一緒になってよかったと感じているような気がする。細かいところに目をつぶって、大まかに評価すれば、彼女と知り合い、一緒になったのは正解だったというところだろうか。
 だから、これが多分唯一、私の予知能力が役に立ったと思うことだ。
 会社では、特に目立って成績を上げるでなし、かと言って役立たずの後ろ指を刺されるでもなかった。
 未来が予知できるものの、見えるのは、ほんの極く僅かの部分に過ぎない。後は、普通の人と同じように、見えない未来におののき、あるいは期待を寄せて毎日を暮らしている。もし能力がもっと強くて、私の知りたい未来を見渡せるなら、もっと違った人生を歩んでいたと思う。こちらの意志と全く無関係に見える未来は、余り有用ではない。
 いや、害すらある。遊びに夢中になれないのだ。ゴルフをやっていても、突然、今日のスコアが見えてしまったりすると、面白みが俄然無くなってしまう。たとえ、そのスコアが今迄にないくらいよいものであってもだ。見えてしまった時点からあとは、決められたスコアへの収束に過ぎない。未知数のない遊びは全く面白くない。決められた手続きを踏んだ作業。ただそれだけだ。もちろん、見えたスコアを誰かに話してしまえば、違う未来が広がる。しかし、一度興醒めしてしまうと、あまり乗り気にはならない。
 おかげで、これまで私があまり趣味というものを持たなかった。仕事の付き合いで、色々な遊びをしたけれど、どれも長続きしなかった。
 なのに、どう言うわけか、五年前に知り合いに誘われていった釣りには魅力を感じて、自分からやってみようと思った。
 フライ・フィッシングという、餌を使わない釣りだ。始めのうちは、うまく投げることができなかったフライも、少しやるうちに、ある程度なら飛ぶようになった。
 なぜか理由は解からないけれど、この釣りに関してだけは、未来が全く見えなかった。それが、余計新鮮で、この遊びを面白くしてくれた。
 よく出かけていったのは、近郊の薮沢だった。家からそれほど離れておらず、夜明け1時間前に出かければ充分間に合った。国道のすぐ脇を流れているのだが、被い茂る木に隠されて、あまり入る釣り人がいない。河原は全くなく、川通しに釣り上がった。
 石の後ろのちょっとした弛みや、倒れ込むように伸びた枝の下を丹念に探ってゆくと、山女や虹鱒がぽろぽろ釣れる。どれもそんなに大きくなく、手のひらか、それよりも一回り大きいくらいだった。
 釣りを通じて知り合いも増えた。近所に、フライフィッシングだけを扱っている小さな店があり、そこで顔をあわせる人達と、一緒に釣りに行くようになったのだ。
 ただ、学生や独身者と違い、それほど頻繁には行けない。特に、私が釣りを始めた翌年に娘が生まれ、一月に一回行ければよいほうだ。普段、仕事で忙しく、なかなか遊んでやれないので、休みの時くらい一緒にいてやりたいのだ。妻にそうして欲しいと頼まれたわけではない。むしろ、彼女は私が釣りに行くことを喜んでさえいた。これまで、全くと言ってよいほど無趣味だった私の生活に、彩りが出たというのだ。
 
 一年前の初夏のある日のことだった。
 いつものようにフライショップの前で待ち合わせ、釣りに行くことになっていた。一緒に行くのは、常連客と店長の二人。
 まだ辺りは真っ暗で、誰も通りにはいない。酔っ払いはとっくの昔に寝床に潜り込み、新聞配達が起きだすにはまだ早い。雲ひとつない夜空には、沢山の星が瞬いていた。私が着くと、二人はもう車に乗って待っていた。
 行き先はいつもの薮沢。少しづつ東の空が白み始める中、車を走らせる。眠気覚ましの深夜放送を聞きながら、馬鹿話を交わす。
 峠をひとつ越えれば、もう川は近い。国道から、細い砂利道に入り、橋のたもとに車を停めた。大分明るくなって、ライトなしでもフライを結ぶことができる。
 小さな川だったから、三人で同じ所に入るのは、多少きつい。けれど、まだ初心者の域を出ない私にとって、手練の二人の釣りを間近で見れることは、この上ない勉強になった。それで、無理を言って、同行させてもらった。彼らは、いやな顔ひとつせず、むしろ喜んで、私の面倒を見てくれた。
 雪解けで冷えきっていた水が、ようやく初夏の日差しで温められ、川全体に生き物の気配が溢れていた。水面を注意深く見ていると、小さなカゲロウが、よろよろと危なげに流れてくる。岸に張り出した枝に体が触れる度に、薄茶色の蛾のような虫が、なん匹も飛び出した。
 まだ、陽の差さない薄暗い流れのあちこちで、鱒達は、流れてくる餌を、ぴしゃりと小気味よく捕えていた。
 店長に言われるまま、小さいけれどよく見える白っぽいフライを結んだ。
 比較的簡単なポイントは私に譲ってくれ、二人は、流れの向こうの、枝の奥の、岸ぎりぎりの、草の下と言った、難しいポイントを好んで釣り上がった。それでも、腕の差は歴然として、私が1尾釣る間に、彼らは3尾も4尾も釣り上げていた。上流の橋に着くころには、陽はすっかり上がり、木漏れ日が、流れのあちこちを照らしだしていた。
 欄干もない、朽ちかけた古い木橋に腰掛け、来る途中コンビニで買ってきたお握りを食べる。足元の川は浅く早く流れ、瀬音が心地好く響く。
 一休みした後で、また釣り上る。橋から上流は、これまでとうって変わって、開けた渓相になる。その分竿を振り回しやすいが、魚が居つくポイントも少なくなる。
 右に大きく曲がった流れが、土手をえぐり、ちょっとした淀みを作っているところで、小さな水しぶきが上がった。
 下流からそっと近づくと、20センチあまりの山女とおぼしき魚が、底の方から時折泳ぎ上がっては、水面の餌を取っている。
 二人は、これまでのように、この簡単なポイントを私に譲ってくれた。
「一端下流に戻ってさ、で、対岸に渡ってやった方がいいと思うよ」
 店長が丁寧に教えてくれる。
「手前に変に早い流れがあるでしょ、ほら。向こうに渡ってしまえば、キャストも楽だし」
 常連さんが言葉を継ぎ足した。
 確かに言われてみれば、魚が餌を取っている本流の手前に、もうひとつ早い流れがある。フライをうまく魚の上流に落としても、この手前の流れに糸を呑まれて、フライが手前に引きずられる。魚の姿を見てしまうと、まだまだ焦ってしまって、回りの状況を見る余裕がない。
「なるほど。じゃぁ、向こうに渡ってみます」
 淀みの尻まで一端下り、そこで対岸に渡った。
 魚を驚かさないように、ゆっくり慎重に足を進める。先ほど魚が餌を取った辺りから、五メートルほどのところまで来た。
「フライ、なに付いてんの?」
店長が尋ねた。
「え、さっきのあの白い奴ですけど」
「うーん、もうすっかり陽も上がったし、もう少し地味で小さめな奴に変えたほうがいいかも知れないよ」
 朝方、木の枝から何匹も飛び立った蛾のような虫を思い出し、薄茶色のフライに結び変えた。その間にも、魚は二回ほど水面で小さな波紋を広げた。居場所はさっきと全く変わっていない。
 慎重に、今水しぶきが上がった辺りの、少し上流を狙ってフライを投げた。
 が、フライは狙いを見事に外れ、魚の一メートルも左に落ちてしまった。土手の下の緩い流れを、薄茶色のフライがとろとろと進んで行く。
 フライが魚の下流まで流れ切ってから、もう一度投げようと竿を少し上げた時だった。
 土手の下から黒い影が飛び出し、フライを横ぐわえにした。思わず竿を上げると、強い、これまでに感じたこともない衝撃と共に、竿が引きずり倒された。その瞬間、銀色に光る鱒が、水面から高く舞い上がった。
「おおっ!」
 三人同時に声を上げていた。
「でけぇ」
 店長の溜息とも驚きとも取れる声がその後に続いた。四十センチはありそうだ。
 それからが大変だった。
「もっと、竿を立てて!」
「無理すんなよぉ!」
「走らせろ、走らせろ!」
「魚を止めようと思うなよっ!」
 淀みの中を縦横無尽に走り回る魚に翻弄され、二人のアドバイスに従おうにも、竿にしがみついているのが精一杯だった。
「おほーっ!」
 魚が水面から飛び上がる度に、店長の陽気な声が響き渡る。
 二度、三度竿をのされた後で、さすがの鱒も疲れ果てたのか、少しづつ足元に寄って来た。水面に顔を出し、横になった鱒を見て、膝ががくがくと震えた。でかい。これまでに見たことがないほど大きな鱒だ。
「おお、でけえニジだなぁ」
 店長が声を上げた。
「ゆっくりいけよぉ」
 竿を矯めて、慎重に寄せにかかる。
 横倒しになった鱒が、流れを横切って、近づいてくる。
 背中から手網を出し、そっと水に入れた。
 鱒の頭が半分網に入ろうとしている時だった。突然、あれが来た。視界の右半分が白くなり、壁となった。真ん中から裂けた向こうに、未来の姿が広がった。
 それと同時に、網が頭にぶつかったのだろうか、鱒はいきなり暴れ、派手な水しぶきを上げた。
 あっと思った時には遅く、鱒は糸を切り、もんどりうって流れの中に消えていってしまった。

「まぁ、がっかりするわなぁ。ありゃでかかったもの」
「最後の最後だったから、余計悔しいもんなぁ」
「どれ位だろうな。四十は軽くあったぜ」
 帰りの車の中で、二人はしきりにあの鱒のことを惜しがった。私は、ただ、ああ、とか、ええ、とか相槌を打つだけだった。二人は、余りにも大きな魚を逃したから、それで私が落ち込んでいるのだと思ったらしく、あれこれ慰めてくれた。けれど、私が沈んでいるのは、そのせいではなかった。あの一瞬に見えてしまった未来が、私を暗い気持にしていた。
 それは、私の葬式だった。
 花輪に囲まれた中に、私の写真が飾られていた。いつの写真だか、わからない。見覚えがないから、あるいはこれから撮られるものかも知れない。喪服に身を包んだ妻が、下を向いて泣いていた。私の写真だけで、子供の写真がなかったことが、なぜか私をほっとさせた。
人間、誰だって、死ぬ。例外なく、誰でもいつかは死ぬものだ。そう頭では分かってはいても、こうして改めて事実を突き付けられると、うろたえてしまう。
 一体いつ頃、私は死ぬのだろう。妻の顔も、子供の姿も見えなかったから、どれくらい先の未来なのか、全く予想ができない。今年中なのかも知れず、あるいは十年先の話なのかも知れない。
 悶々と考えていても仕方がない。いつものように、見てしまったいやな未来は人に話すに限る。そうすれば必ず外れるのだからと、口に出そうとして、ふと思い止まった。妻が泣きながら、口にした言葉が頭に浮かんだのだ。
「あの時、あの人が釣りに行っていさえくれれば、、」
 と言うことは、多分、私は、釣りに行くはずが行かない、あるいは行けないことになって、事故にでも巻き込まれて、死んだんだろう。それは、裏を返せば、私が釣りに行き続けている限りは、死なないということではないか。
 人間、いつどこで死ぬかなんて、誰にも分からない。それが、私の場合は、とりあえず、釣りさえしていれば、死ぬことはないのだ。死ぬ可能性が、釣りをすることで、ゼロになるのだ。
 以来、私は、休みの度に釣りに出かけている。もちろん一日中実際に釣り続けている必要はない。釣りに出かける、そこが大切なのだから。とにかく、釣りに行けるうちは、行こうと思う。そして、何かの事情でどうしても行けなくなったら、その時初めて誰かに見えた未来について話せばいい。そうすれば、釣りに行けずに死ぬという未来はなくなる。そのかわり、いつどこで、どう言う風に死ぬのか、全く分からぬまま毎日を過ごすことになるが、それは誰でも同じことだ。皆と同じ地平に戻るだけの話だ。
 始めのうちは、喜んで送りだしてくれた妻も近頃は不平を言うようになった。妻の気持はよく分かる。できることなら、私も家にいて、妻や娘と楽しい時間を共有したいと思う。
 けれど今、私は死ぬわけにはいかない。
 娘はやっと四歳になったばかりだ。それに、去年やっと苦労してローンを組み、家を買ったところなのだ。返済まではまだ遠い。これからまだまだ働かねばならないのだ。
 そして釣りにさえ行っていれば、私は死なないのだ。
 妻よ、娘よ。わかって欲しい。
 私は、決して自分の楽しみで釣りに行っているのではないのだ。
 私は、おまえ達のために釣りに行っているのだ。

(初出 フライフィッシャー誌1998年8月号)

 

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