祖父が他界した。
 僕は遠隔の地にすんでいる上に、どうにも仕事から手が放せず、それで通夜はおろか、葬式にも参列できなかった。
 ようやく祖母の家を訪れ、位牌に手を合わせることができたのは、半月あまりも経ってからだった。
 久しぶりに会った祖母は相変わらず元気で、僕はその姿を見て、ほっとした。一人残され、さぞや気落ちしているのではないかと心配していたのだ。
 しばらく親類の消息など四方山話をした後で、ここまで来たついでに墓参もするからと暇を告げると、その前に僕に渡したいものがあるという。祖母は奥の茶箪笥の引き出しから、茶色く煤けた和紙の包みを取り出し、またどうせ会う機会もあるだろうけれど忘れないうちにと、手渡してくれた。
 表には何やら筆で立派な文字が記されている。が、僕にはちっとも読めない。さらに左の隅には朱色の篆刻が二つ押されていて、随分と大仰な趣が漂っている。
 厚手の柔らかい和紙を恐る恐る開けてみると、中から出てきたのは、押しつぶされて平たくなってしまった毛鉤だった。十個あまりもある。どれも和式の毛鉤で、ぺしゃんこになっていることを除けば、いかにも釣れそうな面構えをしている。
 祖父の遺品を整理していたら出てきたのだそうだ。
 祖父が釣りを、しかも毛鉤釣りをするとは知らなかった。何しろ知るかぎりの血縁関係で、釣りをするのは自分だけだと思っていたのだから。
 そう驚くと、祖母は笑った。
「残念だけれど、おじいちゃんはやっぱり釣りはしませんでしたよ。これは多分ご先祖様のものみたい」
 祖母は、封に記された文字を指さした。字体を崩してあるせいで僕には判読しかねるけれど、祖母によれば「宗嗣」と記してあるそうだ。
 確かに祖父の名ではない。けれどそれが、うちの先祖のものではないかという祖母の推察にも首肯ける。というのも、うちの先祖は伊達藩の侍で、伊達政宗の家来だったと聞く。それが何でもいつだったかの戦で功を立て、その褒美として正宗の「宗」一字を授かり、以来嫡子の名前は皆「宗」で始まることになっているのだ。祖父の名も「宗信」である。だからこの「宗嗣」という男も、何代前であるかはわからないものの、祖母の言うように先祖のうちの誰かだろう。
 僕は毛鉤を一つ一つ摘み上げては、ためつすがめつした。虫除けに入れられていたのだろうか、樟脳の香りがほのかにする。どの毛鉤も雉の羽根を丁寧に巻き込んであり、形さえちゃんと戻せば今でも十分通用しそうに思える。
 僕のあまり熱心な様子に、祖母は笑いながら、家系図がどこかにあるはずだから、今度調べておきますね、と約束してくれた。
 毛鉤を包みに戻し、破かぬよう大きめの封筒に入れてもらい、礼を言って祖母宅を辞した。

 その後、長い間会わなかった友人達と飲み歩いたり、仕事の関係先に顔を出したりと、都会での煩雑な用事をあれこれ済ませ、ようやく山里の家に帰り着いたのは二週間も後のことだった。
 出かける時には、茶色く隙間だらけだった雑木林が、すっかり新緑で埋まり、明るく輝いている。僕が留守をしたほんの僅かの間に、春が訪れていたのだ。
 竿を傍らに置き、フライを選びながら河原に座り込んでいても、背中に当たる陽や通り抜けていく風が心地よい。梢にとまっているウタツグミも、それまでの短く鋭い声から、ころころと転がるような陽気な歌を長く長く囀るようになった。
 毎日のように釣りに出かける生活は相変わらずだが、暖かさが日ごとに増すにつれ、釣りの内容は少しずつ変わり始めた。
 秋冬の間は、近所の川で湖からの遡上鱒を相手に、根気と力の勝負をしていたのだが、水温が上がるのと共に、一尾一尾鱒をまず見つけてから釣る、腕と知恵の対決をするようになったのだ。釣れる数ではもちろん遡上鱒の比ではない。ただ、魚を見つけ、唆し、鉤にかけ、取り込みに至るには、徹頭徹尾釣り人がゲームに勝ち続けなければならない。だからそれを達成できた時の満足感は、遡上鱒を釣った時よりもはるかに大きかった。
 川岸をなるべく水に入らず、足音も立てず、姿勢を低くしたまま歩き、魚に悟られぬよう背後から近づく。よもや後ろから性悪者に凝視されているとは露知らず、魚は時たま頭を左右にゆっくり振り、白い口を開け無心に何か食べている。
 水面の物にはあまり関心がないのだろうか、それとも流れ下る虫がそれほどいないのだろうか、一度も鼻先を水から突き出そうとしない。蝉やバッタにはまだ早く、これといって目立つカゲロウも飛んでいない。でも、まあ、ものは試しと、小さく黒いフライを結び、魚の一メートルほど上流に落としてやる。
 手元にあった時は小さいと思っていたフライも、水面に浮かべてみると、やたらと大きく感じられる。こりゃもう一回り小さいフライの方が良かったかしらと後悔する。しかし投げてしまったものは仕方がない。今更どうにもならない。ええい頼むから食ってくれと念じつつ一心に目を凝らす。
 フライは流れに乗り、うまい具合に魚のほぼ正面、僅か右寄りを下ってゆく。よし、行け、と見守る中、魚は体をくねらせ頭を水面に伸ばす、、、。
 が、そこで動きが止まってしまった。フライから数センチの間を取り、一緒に流れ下りながら、じっと見ている。疑っているのだ。迷っているのだ。食っていいものか、いけないものか。
 いけっ。食えっ。
 叫びだしたくなるほどじれったい気持ちでいる釣り人を嘲笑うかのように、魚はすっとフライから離れ、また元の位置に戻っていった。そして何事もなかったかのように、右に左に揺れている。
 ため息が大きく漏れる。
 悔しさと嬉しさがごちゃごちゃに混ざり合い、大声で笑いながら辺りを駆け回りたいような、変に高揚した気分に包まれる。
 そうか、そうか。そっちがその気ならこっちにだって考えはあるんだぜ。
 性悪者は、悪巧みのぎっしり詰まった取って置きの箱を胸のポケットから取り出し、あれで行くか、それともこれで行くかと選びにかかる、、、。
 そんな風に、河辺で一日一杯魚と遊んだある日、家に戻ってみると祖母からの便りが届いていた。
 家族や親戚の近況に続いて記されてあったのは、あの「宗嗣」のことだった。
 読書家だった祖父の書庫の整理がやっと終わり、漸く件の家系図を探しだすことができたらしい。それによると、「宗嗣」は、祖父の三代前の家長で、文化二年に生まれ、安政三年に五十一歳で没している。ざっと今から百五十年前のことだ。となると、あの毛鉤も江戸時代後期のものということになる。
 僕は、引き出しの奥深くに仕舞われたまま、すっかり忘れられていた包みを取り出した。中から毛鉤を出すと、手に取って改めてしげしげと眺めた。ぺしゃんに押しつぶされた毛鉤は、どこか情けなく哀しく感じられた。何とかできないものか。
 その夜、僕は毛鉤を一つ一つピンセットで摘み、ヤカンの蒸気に当ててはドライヤーで乾かし、当てては乾かしを何度も根気よく繰り返し、どうにか元の状態に戻そうと試みた。
 H.D.ソーローが「森の生活」を書く、その少し前に巻かれたであろう毛鉤は、あまりにも長く深い眠りだったせいか、容易には起き上がってくれない。が焦ってやって毛鉤を壊してはご先祖様に申し訳ない。ここはひとつ、気長にやるよりなかった。随分と根気のいる仕事だった。おかげで結局全部をやり終えるのには十日あまりもかかってしまった。
 最後の一つが漸く見られる形に立ち直った夜、僕は「宗嗣」の毛鉤を机の上に並べ、ひとつずつ手の平の上で転がしては、祝杯をあげた。わざわざ仙台の地酒を酒屋まで買いに行き、一人で盛り上がり、ご先祖様に思いを馳せた。
 伊達藩ゆかりと言うからには、この毛鉤を懐に、仙台辺りの川で山女魚でも釣っていたのだろうか。その頃なら、町の近くでも山女魚が沢山群れていたんだろうなぁ。それとも馬に乗り、山奥に分け入り、岩魚と戯れていたのだろうか。竿はどんなものを使っていたのだろう。釣った魚はやっぱり焼いて食ったんだろうか。
 ご先祖様の釣り姿を肴に飲む酒は、随分と旨いものだった。
 翌日、僕はコルクボードを買ってきて、毛鉤を飾ることにした。ちょうど机の上の壁が寂しかったので、そこにボードをかけた。
 この机は、僕が普段フライを巻く所でもあり、夢中になって手先に集中していると、自然と頭が垂れる。それを上から、整然と並んだご先祖様の毛鉤が見下ろしているわけだ。僕はさしずめ、天界より降臨する天使を前に、頭を垂れて敬虔な祈りを捧げる信徒か、さもなければ職員室に呼ばれ説教を受けているデキの悪い生徒というところだった。どちらにせよ、僕がここで過ごす時間は以前にも増して長くなり、夏に向けてせっせとフライを巻き続けた。

 いくら呑気で気ままな一人暮らしとはいえ、やはりそれ相応の制約はあり、釣りたい放題いつでも行けるわけではない。仕事はもちろんのこと、それ以外にも雑事は次々出てくる。
 洗濯、掃除、買い物。この三つを済ませるだけで、優に一日は潰れてしまうのだ。あまり怠けていると、着る物はないわ、食う物には困るわ、家の中はゴミだらけだわと、それこそ「男寡婦に蛆が湧く」を絵に書いた惨状になる。
 さらにどんな山奥に一人で隠れ住んでいようとも、制度の網の目からは逃れられない。やれ税金だ、やれ銀行への払い込みだと、あちこち駆けずり回らなければならないことも出てくる。
 そんなことで丸々三日全く釣りに行けずじまいになってしまい、よし明日こそはとフライを巻いているところへ、電話が鳴った。
「元気?あたし。ねぇ、明日、山へ鳥を見に行くんだけど、一緒に行かない?」
 これも独身者が、釣りばかりには行っていられない理由の一つだ。もっともこれはどちらかといえば歓迎される部類に入る。
 彼女は近くに住んでいる陶芸家で、バードウォッチングによく出かける。そして、時折僕を誘ってくれる。初めのうちは、僕も男だし、あるいは何かあるのだろうかと勘ぐった。しかし、彼女の方はちっともそんなつもりではなく、ただ単に山に一人で入るのがどこか不安なのでお供を求めていただけだった。だからそれ以上のことは起きないし、これからも起きるとは思えない。彼女は、結構素敵な人だったので、ちょっと残念ではあったけれど、仕方ない。無理に押すのは、僕の趣味じゃない。それに僕としても魚とばかり付き合っていると、たまには人恋しくなる。だから断る理由など一つもない。誘われれば喜んでお供させてもらう。
 八時に登山口の入り口でと約束し、僕は双眼鏡やガイドブックなどを準備してから、早々とベッドに潜り込んだ。
 翌日目を覚ますと、頭がひどく痛んだ。後頭部の奥の方を誰かが両手で包み、じわじわと力を入れ、潰しにかかっているみたいだった。それに体が妙にだるい。全身にあまり力が入らない。
 風邪でもひいたんだろうか。こんな調子では、鳥どころではないかもしれない。彼女に電話して断ろうと思い、目覚まし時計を見て愕然とした。
 三時。
 最初は時計が止まってしまったのではないかと疑った。が、ベッド脇に置いた腕時計も同じ時刻を示している。どうやら完全に寝過ごしてしまったらしい。いくら僕が朝に弱いとはいえ、これはひどい。あまりのひどさに、頭痛やだるさも手伝って、起きる気力すらなくなった。ベッドに横になったまま、どうやって彼女に言い訳しようかととりとめもなく考え続ける。
 五時近くになって漸く体の調子も良くなり、ベッドから抜け出す気になったものの、さりとてしなければならないこともない。この際だから部屋でも少し片づけるかと、一面に散らばった釣り道具や本を整理し始め、ふと、机の上に水が零れているのに気づいた。
 はて、何だろう。雨漏りでもなし、まさか猫の小便では、と指に付けて匂いを嗅いでみる。が、どうやらただの水らしい。夕べは酒は口にしていないから、酔って訳の分からないことをしたのでもない筈だし。
 妙なこととは思いながら、ただの水のようだし、さして気にも留めず雑巾で拭き取り、そのまま忘れてしまった。
 夕食後、彼女に電話をすると、怒気をはっきりと含んだ声で、
「今日は釣れたの?」
ときた。
 釣りばかりしている僕だから、そう思われても仕方がない。ただ今日のところは、正真正銘の無実なのだから、用意しておいた言い訳を述べ、誤解を解いてもらう。
「あら、変ねえ。てっきりあなただと思ったのに」
 登山道へと向かう途中、橋を渡る際に、河原を歩いている僕を車から見たというのだ。
 誤解も甚だしい。背格好といい被っている帽子といい、僕とそっくりだったのでそうに違いないと思い込んだようだ。
 その男は帽子を被りサングラスをしていた上に、彼女は走っている車から、しかも運転しながら見ているのだ。
 人間なんて、帽子とサングラスで驚くほど人相を隠せる。僕の友人は、スキー場で帽子とゴーグルを付けた女の子をそのスタイルだけから判断し、お茶に誘ってえらい目に遭ったことがある。レストハウスで帽子とゴーグルの下から現れたのは、明らかに彼より二回りは年上と思われる女性だったのだ。
 すっぽかした僕も悪いけれど、彼女の早合点にもひどいものがある。もっとも、以前から思い込みの強いところのある人だとは感じていたから、彼女なら仕方ないかと納得もすぐにできたけれど。
 僕は、頭痛とだるさを少々大袈裟に訴え、この次は必ず行くからと約束し、電話を切った。
 翌日は朝からいい天気だった。風もなく、ぽかぽかと暖かい。それで久しぶりに友達と湖にボートを浮かべ、のんびりとビールを飲みながら釣り糸を垂れた。川へ行くには、まだ何となく体が本調子でないような気がしたからだ。
 川釣りと違い、湖のボート釣りは、一度湖面に出てしまえば、後はほとんど座ったままだし、友達とくだらない冗談を交わしながらでも、そこそこの釣果はあがる。
 たまにはこういう釣りもいいもんだ。ぼんやりと辺りの景色を眺めながら、だらだらと世間話をする。魚、魚と殺気だったところがどこにもなく、それどころかお大尽の船遊びという雰囲気すら感じられないこともない。これで芸妓さんと太鼓持ちがいれば完璧だが、そこまでは高望みというものだ。
 そんな釣りを二回も楽しんだろうか。
 しかし体の調子が元に戻ると、やはり川釣りへの魅力にはかなわなかった。根っからの貧乏性なのか、お大尽よりもちょこちょこと走り回る狩人の方が僕には似合っているらしい。そして以前のようにあちこち出かけるようになった。週のうち四日は竿を手に、残りの三日で種々の雑事や仕事をやっつけと、釣り人にとってはほぼ理想に近い形での生活。都会から遊びに来た友人の表現を借りるなら、「釣り、釣り、食う、釣り、飲む、釣り、寝る、釣り、釣り、、、」である。

 そんな生活を繰り返すうちにいつの間にか日差しはすっかり夏のものになり、袖を捲り上げた腕が、一日で痛いくらいに赤く焼けるようになった。
 高く濃く生い茂った草叢を、流れを目指して掻き分け掻き分けして行くと、不意にウサギが飛び出し、また緑の海へ消えてゆく。対岸の淀みを音もなく下る親鴨の後ろを、まだ生まれて間も無い、基と茶の縞になった子ガもが四羽、ピピピピと鳴きながらついてゆく。
 今ごろ、山の上の小さな湖では、沢山のイトトンボが水面近くを飛び回り、さらに無量無数のヤゴが羽化するために岸へ岸へと這いずり出しているはずだ。
 よし、行くか。
 が、そう思った矢先に車が壊れてしまった。メインシャフトがジョイント部からぽっきり折れ、エンジンは音高く回るものの車はピクリとも動かない。
 家の斜め向かいにある修理工場に言って、車を持っていってもらった。いつできるかと聞くと、部品が届くまでに二日、それに今は農機具の修理がたて込んで手が放せず、どうしても三日後の夕方にならないとできないという。
 こればかりは仕方がない。何せ地球を軽く十周はできるほど走り込んだオンボロ車である。小さな部分品でなく、そろそろ重大なところに疲労が蓄積している。いっそのこと新しいのを買えば、と知人は勧めるが、そんな金はどこにもない。第一たとえあったところで釣りに使ってしまうだろう。
 車がないとなると、遠出はできない。もっとも家から数百メートルほど横を川が流れているので、釣りに行こうと思えば歩いていける。けれどあくせくすることはない。このところ釣りばかりで、ほかのことは何一つできなかったから、たまには腰を落ち着けてゆっくりしよう。
 それでそれからの三日間、僕は庭に椅子を引っ張り出し、ビールを片手に、以前から読もうとして机の上に積み放しになっていた本を片端から開いていくことにした。
 どれもが釣りに関する本で、ビールの酔いに揺られながら、日がな一日、鱒を釣り、鮭と戦い、大洋をカジキに引きずり回された。
 約束の夕方、工場へ顔を出すと、男はすまなそうに、実は部品が今届いたばかりなのだ、もう一日待ってくれと謝る。近所のよしみで普段から工賃をだいぶ割り引いて貰っていることもあり、こちらとしてもあまり強いことは言えない。ああ、いいよと答え、家に戻った。
 たった一日だし、それにちょうど手を付けたばかりの本が意外に面白く途中で止めたくなかった。中世から現代に至る西欧の歴史の中で、鱈がどんな役割を果たし、そして消えていったかという話だった。できればこのまま一息に読み上げてしまいたかった。
 もう一日、ビールと読書と洒落込もう。
 そう決めると、僕はまた本とビールを手に取り、北大西洋の鱈の来し方行く末を辿っていった。そして日が暮れ、夕飯を食べると、早々にベッドに潜り込む。ぬくぬくとした布団の下でよろよろと活字を追っているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。
 翌朝、僕は耐えられないくらいのひどい頭痛で目を覚ました。誰かが後頭部をしっかりと握りしめているように痛む。しかも胃がむかつき、今にも吐いてしまいそうだった。
 二日酔いとは思えない。昨日はビールを半ダース、本を読みながら一日かけてゆっくり飲んだだけだ。
 あまりのひどさにトイレに行き、胃の中を空にする。病気だろうか。嘔吐物に血は混ざっていなかったから、胃潰瘍ではないだろう。でも何にせよ、この間のことといい、どこかおかしいのは確かだ。一度医者に診てもらおう。まずは予約を入れねば。
 そう思い、時計に目をやり驚いた。四時半である。夕べ夜更かしをした訳でもないのに、ほぼ半日以上眠り続けたことになる。
 ひょっとして、脳に異常でもあるのだろうか。
 自分の健康にすっかり不安を覚え、明日は絶対に医者に行こうと決めた。それには車がなくては街にも出られない。とりあえずふらつく足で、工場に車を取りに行く。
 車はでき上がっており、男は愛想よく鍵を渡してくれる。車に乗り込もうとすると、
「あれからどうだった?」
と尋ねられた。えっ?と聞き返す僕に、
「ほら、今朝、お前、うちの前を通ってそこの川に出かけていったろ。挨拶もしねぇでさ。昼飯時に暇なもんで見に行ったら、あそこの木の下でいい奴を上げているところでよ。川のこっちから声をかけたんだけど、魚に夢中で気がつきゃしねぇもんなぁ」
と、男は笑いかけた。
 え、なんだって?
 一瞬、僕は男の言っていることが分からなかった。ようやくそれが何を意味しているのか理解できた途端、僕は背後から闇に吸い取られるような恐怖を覚えた。キーを放り投げると、走って家に戻った。
 玄関を開けるのももどかしく廊下を走り抜ける。勝手口の横の壁に掛けておいたウェーダーは調べてみるまでもなく、ぐっしょりと濡れている。
 そんなはずはない。ある訳ないじゃないか。この四日間一度も釣りに行っていないんだ。でも、工場の男は僕を見ている。僕が釣りをするところをはっきり見ている。夢遊病にでもなったんだろうか。
 頭の中は混乱し、まとまったことが考えられない。何をどうしていいのかさっぱり分からないまま部屋に入る。
 山里の一人暮らしで釣りばかりして、揚げ句の果てに気が狂って、、、。
 そんな言葉すら浮かんでくる。
 ふらふらと当てもなく彷徨っていた視線が、ふと机の上に止まった。
 ああ、こんなところに水たまりが。
 そう思った途端、ぽたりと滴がたれた。
 あれ、どこから、と顔を上げ、僕は全てを理解した。
 壁に飾られた毛鉤は皆しとどに濡れそぼち、滴を滴らせていたのだ。そしてどれも不思議な生命感を漂わせて輝いている。窓の光のせいではない。
 こいつだ。「宗嗣」の仕業だ。
 きっと、釣りへの妄執のせいか、まだ成仏できずにいたんだ。そしてこれまでひっそり眠っていたのに、僕はご丁寧にもそいつを起こしてしまったのだ。普段はおとなしく僕の釣りを一緒に楽しんでいるものの、僕が三日以上竿を握らないと分かるや、勝手に体に乗り移り釣りに出かけるに違いない。だから、あの日彼女が車から見たのも多分僕、いや「宗嗣」だろう。そして、今日、川へ出かけたのも。
 おまけに体を勝手に使った礼を言うどころか、僕が釣りに行かない罰だとばかりに、頭痛だの吐き気だの、堪え難い置き土産をしていく。それも回を重ねる度に段々ひどくなっている。
 僕は一体どうなってしまうんだろう。
 押し潰されるような恐怖に捕らわれたまま、身動きもできず、僕はただ毛鉤を見続けていた。

 以来、僕は全ての誘惑を断ち切り、どんなことがあろうとも三日と空けず竿を振るようにしている。おかげで「宗嗣」は静かに壁で眠っている。
「毎日毎日釣りができて、実に羨ましいですね」
 事情を知らない人は、やっかみ半分に言うけれど、僕はそれに答える気力すらない。
 本当は僕だって女の子と遊んだりしたいのだ。竿なぞ投げ出して、面白おかしく暮らしたいのだ。
 でも僕にはそれができない。
 なぜなら、僕は釣りに行かねばならないから。
 つらい。

(初出 フライフィッシャー誌1992年8月号)

 

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