DIARY

5月1日

この間撮影したビデオの翻訳をする。マオリのおばさんに来てもらって、マオリ語を全て英語に直してもらい、それを私が口述筆記する。で、それをビデオ上の秒数カウンターに合わせて、日本語に翻訳する。結構、面倒臭い。
でも、お仕事ですから、仕方ありませんことよ。
でも、でも、そのお陰で、ちっとも釣りに行けないじゃありませんか。
今日中にこれを終わらせて、それから「言い訳」と思うのだけれど、書き始めようにもなにも、ちっともアイデアが浮かんでこない。
溜め息ついても、どうにもなりません。

フロントページを変えた。
って、そんな暇があるなら、仕事をしろってか。

 

5月2日

駄目じゃん、書かなきゃ。
そう思いつつ、アイデアがない、ない、ない。
それで、ソファに寝っ転がって本を読む。

ああ、こら、こら。なにが「それで」なんだよ。

Daniel Wallaceの「Big Fish」を読み終わる。死の床にある父と、息子の物語。これまでどれだけ父のことを知らなかったか、それを現実と虚構を交えて語るのだけれど、それが小説の構成としてどこまで成功しているのかは疑問。どってことなく、読み終わる。
続いて、Mark Kurlanskyの「Cod」を読み始める。Codとは魚の鱈のこと。世界中にあれだけ沢山いた鱈が、乱獲によって減っていく様を近世から現代にかけて追った話のようだ。といってもいわゆるお堅い環境告発ものではなく、パラパラと見た感じでは、ゾラ、ハックスレー、イェーツ、ソーロー、ディケンズ等、数多くの文学作品、また諺なども引用されていて読み物としてかなり面白そう。さらに各章の終わりには、様々な時代と様々な場所の鱈の料理レシピが掲載されている。試しに作ってみるのもいいかも。
ちなみに、この本は1999年度のグレンフィディッチ・フード&ドリンク・アワードで、ベストフードブックに選ばれている。というわけで、かなり期待大。

追記
「Cod」を四分の一ほど読みすすめた。すごく面白い。鱈の乱獲云々というより、中世からの物と人の流れを、鱈を中心に据えた新しい視点で語る歴史と言った方が正確。
随分と昔、大学の集中講義で、産業革命直後になぜあれだけイギリスでお茶が流行り、それがために中国からの輸入超過に悩むまでになったか、そしてそのへこみを取り換えそうと阿片を売りつけたか等を解き明かされた時のような快感がある。

 

5月3日

なんとか「言い訳」のネタを考えつく。
気が楽になったので、とりかかる前にカヤックを潰すことに。ヒートガンでカヤックを炙り、熱くなったところでその上から車を乗せる。
ここまでやるなら、新しいカヤックを買ったほうが早いのだけれど、なにせお金がない。

昨日昼過ぎに、ツランギまで買い物に行きがてらトンガリロ川の様子を見た。
かなりの数の釣り人。まぁ、車を停めてすぐ入れる場所だったからかも知れないけれど。でも、ひょっとして、あのポイントだったらこんなことはないかもなどと考えて、こっそり釣りに行こうかと考えている私。
「言い訳」が必要なのは、俺だぁ!

 

5月5日

「言い訳」を半分近くまで書いて、プロットが練れていないことに気づいたので、最初から書き直す。時間はかかるが、締め切りまではまだたっぷりあるので、余裕。
余裕ついでに久しぶりにYAHOOの掲示板を覗いてみる。フライフィッシングと海外情報のニュージーランドのところ。改めて感じたのは、すっごく見づらいということ。発言をいちいちクリックしなければならない。都会でISDNとか、あるいはケーブル接続をしているならいいだろうけれど、田舎からは辛い。56Kのモデムを使っても、途中の電話回線がアナログだから実際の接続スピードは20Kくらい。お陰で、いくつか発言を見るだけでえらく疲れ、面倒臭くなってしまう。T-Cupの掲示板みたいに、発言が一目で見られたら、もっと覗きに行くと思うのだけれど、、、。
 

5月6日

やっとどうにか「言い訳第二四回」を書き上げた。が、ちっとも自信がない。駄目かも知れない。そんな気がする。なんか、こう、飛ぶものがないのだ。小説ならではの飛躍、くだらないならくだらないなりの抜け方。それがない様な気がする。締め切りまでまだたっぷり時間はあるから、これはお蔵入りになるかも知れない。そんな予感。

ここのところ、変に忙しくて釣りに行けなかった。明日から日本に行くまでは基本的にお休みなので、久しぶりにトンガリロ川で重量級ニンフをぶん投げてくることにしよう。

「COD」、半分ほど読み進める。時代が下るにしたがって、鱈の量が減り、どことなく暗いものが背後に漂い始める。けれど、読み物としてはかなり面白い。日本に行く前に読み終えたい。

日本に行ったらしたいこと一覧。
美味しいラーメンを食べる。
美味しい餃子(特に水餃子)を食べる。
美味しい日本酒を飲む。
美味しい寿司をつまむ。
その他いろいろ美味しいものをたらふく食べる。

 

5月9日

いよいよ明日から日本だぁ。
これまでに書いたものをもって、あちこち駆け回る。ひとつ嬉しいのは、獏さんが見てくれそうなこと。駄目といわれたら、人生の路線変更を考えなければならないかも。
 他にも、いくつか廻る。廻る、廻る、ぐるぐる廻る。
そして、そこから仕事が生まれることを祈るばかり。

昨日、トンガリロ川に行ってきた。駐車場に着いたのが、11時30分。そこから30分ほど歩いてポイントへ。途中すれ違った釣り人が、「あかん、釣れへん」と言っているのを、ふふふ、それは君の腕が悪いからじゃないのか、などと心の中で思いつつ急ぐ。
水温、11度。前日の雨のため緑濁り。雨と風が入り交じり、横殴りに吹きつける。
そのポイントで、風にも負けずキャストすること30分。12時30分、あっさりめげて、泣きながら帰る。

日本から戻ってくる27日まで、更新はありません。
それでは。

 

5月27日

帰って参りました。すごく忙しい毎日でした。そんな中で、ふと気づいたこと。
たまに日本からビデオが送られてくると、コマーシャルの部分がちゃかちゃかとして非常にせわしない。それでいつも早送りにしてしまう。ところが、日本に戻って2日もしないうちに、それが気にならなくなった。そんなにテレビを見ているわけでもないから、テレビのリズムに頭が慣れたというのではない。そうではなく、日本での生活自体があのリズムなのだと気づいた。あれは、新宿、渋谷の人込みのリズムなのだ。あるいは、ぎっちりと隙間なく建てられて沢山の家、ビルの間合い。あるいは歩道にまで溢れるように並べられたマツモトキヨシの商品の賑やかさ。あれなのだ。そう考えて、納得した。

今回、一度も寿司屋に行かなかった。いや、たった一度、昼に握り定食を食っただけだ。しかし、東京にいた13日間の間に、ラーメンは12杯も食うことができた。ふふふ。食うも食ったり。ラーメン屋のハシゴまでしたもんな。お陰で、久しぶりに美味しいラーメンを腹いっぱい食った気がする。

とりあえず、今日、明日はお休み。買ったばかりの新しいカメラをぶら下げて、写真でも撮りに行こうか。

 

5月29日

やはりなんだかんだ言って、日本での二週間はとてもきつかったのかも知れない。帰ってきた二七日の夜は十四時間、昨晩は十二時間も眠ってしまった。これじゃまるで、寝逃げをしているみたいだ。お陰で、たいしたこともできずにいる。
ちょっと反省して、明日からは生産的なことをしようと思う。

しかし、ちゃんと早めにベッドに入っているのに、起きたらもう昼過ぎってぇのは、、、。

 

5月30日

随分と久しぶりに、The Visual System of Fishを読み進めた。これまでの脳細胞があーたらこーたらではなく、行動学的な部分が出てきたので、すこし興味深くなってきた。で、気になったところだけ、いつものように書き抜き

雨が一日降り続いた。多分明日は川は濁ってしまっているだろう。仕事でもしよう。

 

5月31日

ぽんぽんと、小さな翻訳の仕事が二つ入った。一つは、日本で造った船舶の航行試験成績書の英訳。変なもんが回ってきたもんだ。もう一つは、南島マタウラで釣りガイドをやっている人のホームページの日本語訳。これは訳すだけでなく、HTMLファイルにまで仕上げ、んでもって、サーバーにアップして、日本のサーチエンジンに登録まで。ま、ちょっとした小遣い程度だけれど、仕事は仕事。ありがたいものです。

言い訳のプロットをつくる。2時過ぎにできたので、トンガリロ川まで様子を見に行く。10センチほど増水していて、緑濁り。水温10度。ハッチェリーの裏でしばらく竿を振ってみたけれど、当たりがない。そのうち雲行きが怪しくなってきた。雨具はおろか、ウェーダーもなしでやっていたので、雨が降りださないうちに退散。
魚の見えない釣りは、どうしても散漫になっていけない。