トラウトバム日本語版        

DIARY

3月2日

いろいろあって、少し落ち込む。でも、うな垂れているわけにはいかない。

栗原 康「共生の生態学」を読み終わる。人間と自然の共生が可能かどうか。
自然は、人間がいなくとも生きていける。しかし、人間は自然がなければ、生きていけいない。そう言った意味で言うなら、人間と自然は共生関係にはない。強いて言うなら、人間だけが利益を得ている偏利共生だろう。そのうえで、それを理解したうえで、これからどういう関係を築き上げていくのか。

考えがまとまらず、仕事にも手が付かず、畑のトマトの傍らに座って、ぼんやりとしていた。

たった今届いた日本からのメールで、西山徹さんが亡くなられたことを知った。享年わずかに53歳である。僕はもう42歳だから、あと11年しかない。全く理不尽な計算であるとは思いつつ、そう考えてしまう。
そういうことだから、釣りに行けるうちに、釣りに行こうぜ。

 

3月3日

こんなメールが届いた。

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開錠工具とは、ピッキングツール・ピックツールとも言います。

この工具は、鍵が無くなった場合などに大変便利な道具です。
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カギ師を目指す方は必見!
SWATやFBIもドアエントリーの際に使用している開錠工具です。
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簡単なカギは数秒で開いてしまいます。
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エロサイトの宣伝メールが来るのは、まだ分かる。私を成年男子と認めてくれているのだろう。だから許そう。しかしだよ、このピッキングツールっつうのはなんですか?私があまりにも貧乏だから、そのうち他人の家に勝手に上がって、お金だの、食い物だの、酒だのを頂戴するようになると思ってんでしょうか。それとも、私が非常に粘着質かつ偏執系の人間で、ストーカーになるとでも?
なんでもいいけど、SWATもFBIも、ドアエントリーにいちいちピッキングなんてしないと思う。木づちのお化けのようなやつで、いきなり、どかどかドアをぶち壊して入るのが定石ではないでしょうか。

それはさておき、日がな一日、釣りにも行かず、うんつくうんつく仕事をする。

 

3月5日

昨日トンガリロ川で採集してきたコロビュリスカスがはっと気づいたら、羽化していた。前回は、ダン(亜成虫)まではうまくいったものの、その後もう一回脱皮してなるはずのアダルト(成虫)はうまくいかなかった。狭い水槽内に入れておいたために溺れてしまったのだが、それを反省し、今回は窓とドアを閉めた部屋の中を勝手に飛び回らさせておいた。狭い場所だし、隠れるところもないから、すぐに見つかると思ったら大間違い。どこかに消えてしまって出てこない。というわけで、写真も撮れず。
同時に採取してきたデリアティディウムは奥が深いことが判明。難しい。

毎日の最低枚数を決める。今月中に書いておいた方がいいもの、書かなければいけないものの枚数を足し、それを残った日数で割り、均等に割り振った。だから、この規定枚数しか書いていないかぎり、今月は休みがない。しかし、例えば6日間で7日分書ければ、一日は遊べる。まさに飴とムチ、鼻面のニンジンである。ちなみに、今日はもう規定枚数書いてしまったので、こうして日記など書いている次第。

暮れに来た知り合いから電話があった。
「いやぁ、この間のニュージーでの釣りのこと、雑誌に頼まれて原稿書いたんですけど、2万4千字を越えちゃって。原稿用紙で62枚ですよ」
すげぇじゃねぇか。
「編集の人から連載にしましょうとか言われているんですけど、もう書けないですよ。あはは。ところで、完治さんのあの「言い訳」ってどれくらいなんですか。え?たったの24枚。結構短いんですね」
バカやろぉ!短くて悪かったな。俺だってもっと長くしてぇよ。でもな、「3行入りませんから、削ってください」なんて世界で仕事をしてんだよ。それにその24枚だって、ひいひい言いながら書いてんだよ。ふんっ。
それで、突然思いだしたのだが、釣りに行く車の中で、彼がメーターを指さし、「その、走行距離って、、、」と聞くので、どうだ、凄いだろの気持ちを込めて「37万キロですよ」と言ったら、「ふーん、そんなもんなんですか」とちっとも驚かない。揚げ句の果てには「それって、メーターが一回りしたわけじゃないですよね」と言われてしまった。
うむむむむ。そりゃ私の車は見た通りのボロボロです。ボディは傷だらけだし、エンジンもガラガラと不気味な音を立てるし、ブレーキを踏むとたまにパキリなんて不思議な音がすることもありますよ。でもねぇ、いくら何でも100万キロは走ってないですってば。
はぁっと、溜め息。

 

3月6日

納豆はなぜか失敗。ちゃんとした納豆菌を植え付けただけあって、さすがに前回のような腐敗臭はしていないのだが、どういうわけか糸を引かない。なぜだろうと思いつつ、食べられそうなので、とりあえず口にしてみる。味は、豆の表面では納豆の味がするのだが、中は煮豆状態。つまり納豆菌の菌糸が入り込んでいないらしい。豆が大粒過ぎたのか。あるいは保温する際に、クーラーボックスに直接お湯を入れていたのだが、それでは湯気が出て、湿気が多すぎたのか。反省点は一杯ある。それを踏まえたうえで、今度は豆を潰し、引き割り納豆で挑戦することにした。
 

3月9日

ふふふ、納豆である。大成功である。ヌチャヌチャと糸を引く、ネバネバ引き割り納豆がついにできた。偉大なる先達、たかしまさんのありがたいご指導のおかげである。何から何まで、本当にありがとうございました。

少しだれて、本に逃避。Jeff Evans「The Discovery of AOTEAROA」を読む。南太平洋の島からニュージーランドにカヌーで渡ってきたマオリ族の考証の本。前半は、民族伝承、また航海術についての検証、後半は、1985年にトータラの木をくりぬいて伝統的手法で作った双胴カヌーに乗り、実際にタヒチからニュージーランドまで航海したハワイキ・ヌイの記録。

釣りに行きたいが、じっと我慢。海釣りに向けて、休みを貯めるつもり。
そう言いつつ、チェルノビルアントを巻く。もし、ホニャさんの言うように、ニジマスの遺伝子には、これに反応せざるをえない何か、我慢できずに思わず食ってしまう何かがあるとしたら、オタマンガカウ湖でも有効なのではないか。そう思ったのだ。いつ行けるか分からないが、取りあえず巻いておく。

持ち主が一ヶ月の休暇を取ってカナダにスキーをしに行ってしまったので、その間、駄犬の父を預かることになった。おとなしくていい犬なのだが、小便垂れなのが、玉に瑕。っつうか、二つに割れるほどの大きな瑕だな、これは。見ていると、たまに、ポタポタと滴が垂れるのだ。飼い主の家は絨毯だから目立たないが、うちはフローリングなのではっきりと分かる。これから、あいつの家に行った時は、どんなことがあっても床に寝転がるのは止めようと思った。

 

3月12日

週末に黒木さんが来て、ワインをいただく。二人で二本半空ける。とても美味しゅうございました。ごちそうさまでした。

稲本正「森の自然学校」読了。タイトルだけで買ったのだが、実にくだらない本であった。著者は、森、そして木の文化が素晴らしいということを言いたいのだが、まったく説得力のないことをずらずらと並べるだけ。特に最初の方で、「複雑系」なんて言葉を何度も使っているが、それが噴飯物。曰く、木工、漆、酒造りは「複雑系」である、ゆえに科学の最先端の考えと繋がるものである、云々。アホかいな。「複雑系」であれ、なんであれ、科学の理論は、自然に実際に起こっていることを記述するための試み、またはそれに使われる概念だろうに。「複雑系」を「ニュートンの万有引力の法則」、「木工、漆、酒造り」を「林檎が落ちること」に置き換えてみるとよく分かる。もし、林檎が落ちることと、ニュートンの万有引力の法則が繋がっているとしたら、偉いのは、自然の描写に成功した法則の方であって落ちる林檎じゃない。しかし、なんだか、著者の「複雑系」という言葉の使い方を見ていると、あたかも「複雑系であること」が大したことであると思っているようなのだ。本末転倒もいいところ。
それ以外にもまったく論理的に繋がりのない話の進め方で、ひたすら「森と木の文化、縄文の知恵は素晴らしい」と言いたてる。そしてその都度、自分が主催している事業がいかに優れているかを繰り返す。これじゃ、シンパは集められても、森を潰す人に対する反論どころか、議論にもなりゃしない。まるで宗教の勧誘じゃん。そう思いながら、苦痛を堪えつつ読んでいると、なんと、最後には本当に宗教になっていた。森の癒しに関して述べ、「人間の世俗性をも超え、生物の源流にまでも届くような悩みで、それこそ動物と植物の境界をも超えるほど、生きることに切実に悩むならば、森はおおいにこたえてくれるだろう」だってさ。
岩波新書ともあろうものが、こんな本、作ってちゃいけないと思う。がっかり。

夕方、堪え切れずに、釣りに行く。本当はオタマンガカウ湖に行きたかったのだが、風が強かったので諦め、トンガリロ川でお茶を濁す。けれど、半ちくな所に入ったおかげで、ライズも魚も見ず。当然なにも釣れず。久し振りに、ケネディ・フィッシャーの竿を使った。ここのところずっとセージだったので、柔らかさと粘りが懐かしい。セージばかり使っていたのは、別に好みでなく、釣りが終わるとフライも切らずにそのままガレージに竿を置き、次ぎに出かける時はそれを掴んで車に乗る、横着者の怠け者だから。

 

3月16日

「釣り師の言い訳」を書き終わる。ふう。
実を言うと、この数回、正確に言えば「僕の中の山女魚」以降、飛距離に悩んでいた。どうしても高く遠くに飛んでいないのだ。どこかにありそうな、どこかで読んだような、今までの話とどこが違うのって感じで。まぁ、早い話がマンネリですね。それで、今回の話を書くにあたって、ずっと色々考えていたのだけれど、突然、ぽっといいアイデアが出たおかげで、久し振りに面白いものになったのではと思う。これまでのものとはまったく違うので、あるいは、編集サイドからの意見で没になってしまうかも知れず、いまのところそれが一番の心配。

今、家に泊まっている飯塚さんが、昨日、ランギタイキ川の運河に行ってきた。なんと、釣り人が八人もいたそうな。魚の出も悪く、夕マズメを待たずに帰ってきたのだけれど、途中、釣り場に向かう釣り師二人とすれ違ったとのこと。前回、彼が行ったときも車を八台ほど見たらしいし、こちらの釣り雑誌に紹介されたせいか、一挙に人気スポットになったみたい。

天気もいいのに、家に篭って仕事。でも、夕方に我慢できなくなりそうな予感。六時ころには、車に乗っていそうな予感。でもって、六時半ぐらいから、釣りをしていそうな予感。果たして、この予感は当るのだろうか。

 

3月23日

二十日から今日まで海釣りにいってきた。場所は、北島イーストケープのワイハウ・ベイ。ボートを引っ張っていったので、片道6時間の長距離ドライブとなってしまった。三泊四日で、中二日が朝から釣り三昧。釣り場所は、ワイハウ・ベイでボートを降ろし、そこから東に20分ほど走ったケープ・ランナウェイ。駆け落ち岬とはおつな名前なり。もう随分前に友達とここに来たときに、結構美味しい思いをしたのだ。それでさっそく糸を垂らすが、うんともすんとも来ない。友達、わし、女房、誰も釣れない。コマセを撒いたらわんさかと寄ってくるブルーマオマオはそこそこ釣れるのだが、これはあまり美味しくないので、パス。結局、あちこち場所を変えたにも関わらず、コッドの仲間が一尾でだけで、あとは、カス。
キャンプ場の梅宮辰夫風オヤジに聞いたら、「ケープ・ランナウェイは駄目だ、こっちのここがいい」とボートランプそばのポイントを教えてくれた。しかし、そこでもやってみているんだけど、マオマアしか釣れなかったんだよなぁ。三人で作戦会議を開き、ケープ・ランナウェイの方が水も綺麗だし、魚のいる雰囲気もあったので、とりあえず、翌日もう一度粘ってみることにした。
朝、ボートを降ろして走り出すとすぐ後から梅宮オヤジのボートが白波蹴立てて追い越していく。そして、ケープ・ランナウェイに向かうじゃありませんか。沖に出て、マーリンやツナでも狙うのかと思ったら、アンカーを打って底物釣り。あれ、ここは釣れないんじゃないのかよぉと見ていると、釣るわ、釣るわ。僕たちもその近くに停めていたのだけれど、どうしたものか全然駄目。うーむ、これは仕掛けに秘密ありと睨み、梅宮オヤジの仕掛けを遠くから見て判断する。それまで重り、餌の順につけていたのを、餌、その下に重りと換えたら、これが正解でした。シマアジの入れ食い。タイも混ざって、いやぁ、嬉しい、嬉しい。ランディングに成功したのは、シマアジ九尾、タイ二尾だったけれど、これと同じくらいの数の魚に、根に入られてしまったり、当りだけでいきなり糸を切られているので、すごく面白い釣りを楽しめた。ちなみに、女房はバスロッド、わしはNZ製鱒用ルアーロッド、友達は行く道すがらの釣り具屋で買った中国製リールとロッドのセット$50つうシロモノで遊んだのでした。梅宮オヤジや他の人は、みなゴッツイ、マジな海釣りタックルでやってんだから、馬鹿にしてるといわれるかもしんないが、ま、いいじゃん。
コマセを撒き続けていたら、マオマオに混ざって、シマアジも浮いてきて、最後には六十センチくらいのヒラマサまで寄ってきたのに、残念ながらフライを食わせることはできなかった。次回の課題。
ちなみに今回の教訓は、ローカルの言葉は信じるな、でも行動は盗め。
というわけで、二日ほど、シマアジ、鯛の刺し身が続いて、とっても幸せ。今日あたりは帰りに潮干狩りでとってきたピピでも食べようかいな。

仕事のことは綺麗に忘れて遊んできたんだけれど、帰ってみたら、ひとつ、悪い知らせがあって、がっくり。トホホ。
収入、仕事、そんな生活にまつわる色々を考えると、頭を抱えてうずくまりたくなるのだが、今週はどこに釣りにいこうか考えている。まぁ、なんとかなるだろう。

 

3月25日

以前、うちにしばらく居候していたカヤックバムの竹本君からハガキが届いた。ザンベジ川を下りにジンバブエに行っているらしい。去年はたしか、チリにフタレフ川を下りに行き、アメリカにも足を伸ばしている。そんでもって、この6月にはグランドキャニオンをやるつもりだそうだ。あははは。こういうやつがいてくれるおかげで、わしも、やる気が出てきた。昨日までの意気消沈が、少し吹き飛んだ。ありがとうさんです。
遊び倒そうじゃないか。なぁ。
うっしゃぁ。

と言うわけで、明日はまたヘリに乗って、バックカントリーで魚釣りじゃ。よほほほ。
非難があるやつは、どんと来い。
わしは、どんと除けて立つぞ。

 

3月27日

何故だ、何故なんだ。
昨日は、ンガルロロ川にヘリで行ってきた。先月ホニャさん、ニョニョさんと行ってきたのと同じ場所である。前回は、釣りのあと小屋まで戻ってきたけれど、今回はそのまま上に抜け、上流の避難小屋で拾ってもらった。朝九時から夕方六時まで、ひたすらの釣り歩きである。しかし、しかし、だ。この川はもともと決して魚の濃いところではないのに、それが前回よりも更に少なくなっていて、三分の一か、四分の一くらいしか姿を見れなかった。それだけ数が少ないから余計に心して釣らねばならないのに、だれていい加減な釣りをしたものだから、バラシ1、すっぽ抜け2という、早い話がつまりはボウズを食らってしまったのだ。いやはや。へたっぴーだなと意気消沈。
チェルノビル・アントを食ったかのように見えたのに、合わせると手応えも何もないということは、わしのフライの巻き方に問題があるのだろうか。鉤がかりが悪いとか。それとも食ったように見えて食っていなかったのか。
 

3月29日

二週間ほど家に泊まっていた友達が、今日、日本に向けて発った。そして五週間にも渡って面倒を見ていた駄犬の父も、今日飼い主がカナダの休暇から戻り、引き取られていった。という訳で、いきなりガランとしてしまう。

ここのところ、めっきり気温が下がって、すっかり秋らしくなってしまった。産卵遡上の鱒が上り始めるのも、そう遠くない。今年は、ちょっと思うところあって、数を稼いでみようかと思う。

一日、家に篭って、お仕事。今月中になんとかケリをつけたい仕事があるのだが、まだ終わっていない。六分の五まで来ているから、もう一歩なんだけれど。

 

3月31日

今日で、いよいよ三月も終わる。秋らしくなったので、秋らしいことをしようと、芋掘りをした。畑のじゃがいもを手で掘り当てる。これがなかなかワクワクする。トマトのように実が生るものと違って、掘り出すまで隠れているところが、嬉しい。こんなにあったのかと思うほど、沢山取れた。さっそく夜は新ジャガをいただく。うまいっす。

釣りガイドをしているころに、色々な意味でお世話になったフロンティア・インターナショナルという旅行代理店を、興味半分で検索してみた。いくつかひっかかったのだが、なんとこんなページを見つけてしまった。イエローストーン近辺のフィッシングツアーのご案内をしているのだが、日程などちゃんと出ているのに、料金表では金額が全て空欄になっており、しかも、どこを探しても連絡先が出ていない。なんだか、幽霊を見ているような気分になってしまった。今でも、あの会社はあるんだろうか。