DIARY
先週末はオークランドから根岸さん、黒木さん来訪。いつものようにワインをたくさん飲んで幸せになる。土曜日は釣りに出かけるが、たった一尾かけた魚もばれ、しかも、そもそも魚がかかったのは場所移動中に水中に糸を垂らしていたら偶然に食いついたという、全くついていない一日。それを雪辱するべく日曜日も出かけ、半日竿を振った。どうにか一尾をあげたものの、ちょっと小振り。何だかあまりいい釣り日和ではなかった。
今までHDを三つのパーティションに切っていたのだけれど、どこでどう間違ったのか、二つはHFS拡張にしていたのに、ひとつだけHFS標準という仕様になっていた。そのせいか、なんだか具合が悪いようなので、HDを初期化してすべて入れ直し。数時間で済むと思ったら大きな間違いで、結局半日かかってしまい、釣りにもカヤックにも行けず。 |
朝からCDを焼きながらその隣でお勉強の本を読む。しかし、それも長続きせず3時ちょっと前に何となく引かれて釣りに出かける。トンガリロ川のいつものポイント、カトルラスラーにはもう既に二人の釣り人がいた。諦めようかと思いつつ近寄ってみれば、どちらも子供でおまけにウェーダーもなく岸からやっている。そのせいで釣れなかったのだろう、僕の姿を見たら場所を譲ってくれた。あ、どもどもという感じで竿を振ったら、一投目で何とヒット。50センチほどと小振りだが、メスだったから迷わずキープ。今しがた魚が釣れたポイントをよく見ると、うっすらと魚影がいくつも揺れている。それでしつこくそのあたりを狙ったけれど、残念ながら後が続かなかった。それからアッパーバーチまで歩いていき、瀬の中のポイントを狙う。一度大きなあたりが出ただけで、しかもそれもフライに鱗を一枚残してさようなら。 イクラはいつものように醤油とショウガ漬け。身の方はちょっと色が薄かったので、みそ漬けに。 エッグフライで釣れない魚にはスメルトが効くのではないかという仮説は、今のところタウランガ・タウポ川でのあの一回きりでその後の実証例がない。うーむ、やっぱり、駄目なのかしら。 エポキシ・スメルトは自重があるため、重たいニンフの後ろに結ぶとキャスト中に糸が切れてなくなることが多い。おかげで全部どこかに行ってしまったから、また作らねば。今度は、もうちょっと太めの糸を使おう。 |
金曜日に高島さんご夫妻来宅。例のごとく、ワインテイスティングから始まり、犬の話で終わる。土曜日には、フルジェームスに水が出るということだったので準備万端出かけてみたら、ガセネタで水はなく、波も全くできていない。それでもせっかくここまで来たのだからとロールの練習がてら流れに出る。ところが、すぐに沈をして、そのまま岩に激突してしまい、右腕をしたたか打ち付ける。なんとか起き上がったものの、しびれてしまってしばらくは全く力が入らない。川のほとりで一休みしていたがだんだん痛みが増してきたので、早々に退散。家に帰って見てみたら、ひじの内側が大きな痣となっていた。パドルや竿はもちろん、痛くて歯ブラシも満足に使えなくない惨状だ。これは、この一週間はどこにも遊びに行かず、まじめに勉強するようにというお告げなのかもしれない。幸い、天気もひどく、川はどこも増水で釣りどころではないから、心安らかにお告げを受け入れることにした。 それにしても、43歳にもなってこんな青あざまで作って遊んでいるなんて、おれもまだまだ行けるじゃんと、けっこう喜んでいたりする。 |
女房の友達夫婦が遊びに来てくれた。だんなはキウィで、グリーンピース。当然のことながら、捕鯨、大企業が第三世界に工場を持つことの是非について、議論する。 1. クジラのある種のものは、絶滅に瀕している。いかなる動物種でも、人間の手によって絶滅に追いやるのは、してはいけないことである。(斉藤、賛成) 2. そのためには、捕鯨を禁止しなければならない。(斉藤、反対。絶滅の危機がないものなら、ある程度まで捕獲することは許されてもよいはずである。ちょうど、タウポ湖でマスを釣って食べるように) 3. だが、お前、見ろ。みんながみんな、鱒をたくさん取ってしまったら、私たちの世代で取り尽くして、これから来る次の世代、子々孫々に鱒が残らなくなるではないか。(斉藤、賛成。だからこそ、一人当たり一日3尾という制限がある) 4. だいたい、一部の金持ちの欲望のために、素晴らしいクジラを捕ってよいと思うか?(斉藤、賛成。しかし、日本でクジラを食べているのは、一部の金持ちではなく、ごく一般的な庶民である。だから、これは日本には当てはまらない) 5. クジラはユニークなんだ(斉藤、賛成。ただし、鱒もユニークであり、鯛もユニークであるという意味において) 6. だから、捕鯨は禁止しなければならないんだよ(斉藤、反対。だから、さっきから言っているように、鱒と同様、制限捕獲数を決めて捕鯨することのどこがいけないんだ?) ここで、1.に戻り、これを2時間繰り返す。 大企業が第三世界に工場を持つことについて。ナイキなどの大企業は、発展途上国の人々を低賃金、長労働時間で無理やり働かせている。公正な労働条件にしなければならない、という一見まともそうな主張なのだが、よく聞いてみると、ナイキの工場で働いている発展途上国の人々には、生きていくために、1.死ぬほど過酷な労働条件でナイキで働く、2.売春をする、3.ごみ箱をあさる、の3つの選択肢しかないというのである。おいおい、それはいったいどんな国だ?これも堂々めぐりというか、理路不明解、理解を越えた主張を2時間ほど繰り返すだけ。
この2、3日、ニュージーランドは、トウモロコシのことで、政府が遺伝子操作に関して隠蔽工作をしたというグリーン関係の告発本で大いにもめている。しかし新聞などを読んでいると、それがあまりにもお粗末なので、なんとも情けなくなってくる。おおまかに言うと、トウモロコシのある試料をテストしたら、その内のいくつかが「陽性」と出た。しかし、その後の結果解析で問題なしとされたというだけの話なのだが、これをグリーンは、トウモロコシのある試料をテストしたら、その内のいくつかは「遺伝子操作」されていることがわかった。しかし、その後いつの間にか、問題なしとなっている。これは政府が隠したに違いないとして、大声で騒いでいるのだ。 オポッサム退治の方法として、雄のオポッサムの睾丸を燃やしその灰を森にばらまけば効果があると、真顔で言い始めたころから、僕の中ではグリーンに対する信用は地に落ちているのだが(ちなみにこの説を唱え始めたのは、教育方法などで名の知られているシュタイナー)、世論調査などを見るとグリーン支持は延びているし、今回の遺伝子操作問題でまた伸びるような気がする。つまりは、理にかなった説明より、人間の脳の一部をなす爬虫類の部分、感情的な部分にそっと囁きかける方が効果があるという気がしてならない。
「強力な哲人国王という古来の着想、すなわち綿密に考え抜かれたある諸計画を実行に移すという哲人王の観念は、地主的貴族階級を利するために創案されたお伽話であった、という。
腕の痛みはもうほとんど無くなったけれど、それと反比例してアザはどんどん広がっている。ひじの外側、内側とも、手首方向に腕を半分ほど進んでいる。いやぁ、よっぽどひどく打ち付けたんだなぁと改めて感心。 |
腕の方はすっかり良くなったというのに、いまだに釣りにもカヤックにも行けずにいる。火曜日の朝から喉がおかしくなり、ずっと風邪の引きかけ状態なのだ。咳が止まらず、おまけに時折寒けまでするものの、熱があるようでも寝込んでしまうほどでもない。というわけで、ガンバレ免疫、負けるな免疫の願いとともに、以下のことを実行中。 |
内田正洋氏からメールをいただいた。去年の8月24日の日記を読まれたらしい。ということで、早速お返事を書かせていただく。
========================= また片山一道氏の本の情報をありがとうございました。ニュージーランドの田舎に住 んでおりますゆえ、すぐにというわけには参りませんが、機会があったら手に取って みようと思います。 メールをいただいてから、内田さんが「アウトドア」誌に連載されていた記事を全部 通して再び読まさせていただきました。それで思いましたことを率直に述べさせてい ただきますと、内田さんのカヌー、特にシーカヤックに対する熱い思い入れから、日 本人がポリネシア系の人たちのように海洋民族だったと主張されているように見受け られました。ただ、その主張のもととして挙げられていることの多くは、考古学の素 人である私のような読者にとって、非常に弱い、あるいは根拠となっていないように 感じられました。
「カヌーの語源は、日本語のカノーかもしれない」は、日記にも書きましたように、
太平洋の各民族でカヌーという言葉が使われていない以上、単なる偶然でしょう(英
語のnameと日本語の名前(namae)、boyと坊や(boya)同様の類似の域を出ないもの
です)。 内田さんのシーカヤックにかける想いは素晴らしいと思いますし、カマ・ク・ラ号に も是非とも成功してもらいたいと思います。縄文人が海を使って本州島、さらに九州 島を巡っていたのは事実のようですから、このことの再現ということだけでも十分に 素晴らしく、また意味のあることなのではないでしょうか。 それでは、日本はうだるような暑さのようですが、お体にお気をつけください。
追伸 風邪はすっかりよくなったので、釣りに行きたいのだが、今日明日は野暮用で駄目。残念。 |
デッキのペンキを塗り直す。これが予想以上に大変であった。本来なら、今塗ってあるペンキの上から、新しいのをばさばさと塗ればお終いとなるはずなのだが、実は最初にペンキを塗ったときにチョンボをしたため、そのツケがしっかりと回ってきてしまった。 デッキができ上がった時点で、すぐにペンキを塗るようにという大工の言葉を馬耳東風に聞き流し、「はいはい、いつかそのうち」としばらくほったらかしにしていたおかげで、木の表面がちょっと風化していたのだ。ようやくペンキを塗ろうという気を起こしたのは数年後で、その時に表面を紙やすりで削ればまだ良かったものを、「面倒くさいなぁ。ま、なんとかなるだろう。塗ってしまえばもう見えないし」といい加減な気持ちでお仕事をしてしまった。塗ってから1、2年はどうにかごまかせたものの、時間が経つにつれ、ペンキよりも何よりもその土台となる材木ごとぽろぽろと剥がれ落ちるようになってしまったのだ。というわけで、女房と二人で、埃まみれ、粉だらけになって、ひーひー泣きながら一日じゅう紙やすりをかける羽目に。いい加減な亭主の尻拭いに追われる女房とは、まさに人生の縮図ではないかなどと密かに思ったりもしたのでした。 |