トラウトバム日本語版        

DIARY

8月6日

週末は、アッパーハットの高島宅に遊びに行き、二泊させてもらう。妻は子犬を見に、そして僕はカヤックをやりに。もちろん、夜はワインをしこたま飲む。翌朝、川には水がないけれど海は波が出ているというので出かけるが、30分も車に揺られているうちに不覚にも車に酔ってしまう。もとから乗り物は得意ではないうえに二日酔いが重なって、もうあと少し、ほんのひと揺れこられたら、大惨事になるところであった。海岸に着き、車から転げ落ちるようにしており、しばらく固まる。
なんとかぐるぐるが収まり水の上に出て遊んでいるうちに、スプレースカートが外れたので、それをはめようと俯いていたら、またぞろぶり返す。ここでもあわや大惨事。ほうほうの体で岸に逃げ、再びしばらく固まる。

机を作った。これまで使っていたものが手狭になったので、広くしようと思い、色々と考えた揚げ句、本を入れていたカラーボックスをそのまま使う形でボードを組みあわせることにした。方眼紙に設計図を書き、その通りに切り、組み立てる前にペンキを塗る。が、なんか、変だ。焦げ茶では地味すぎるし、カラーボックスの薄茶色に合わせたのでは、のっぺらとしてしまうので、落ち着いたフォレストグリーン系の色にしたのだが、どこかおかしい。塗りながら、段々塗られた面積が大きくなるにつれ、ようやく、何がおかしいか分かった。「あ、これ、戦車じゃん!」
そんなわけで、机とも、ワークステーションでもない、立派な戦車ができ上がった。
とほほ。でも、使えるからいいんです。

8月10日

やっと雨が降ったけれど、大した量ではない。昼過ぎまで仕事をして、2時過ぎにトンガリロ川に行ってみる。釣り場に着いたのは三時。川は、水量が増えているわけでも濁りが入っているわけでもない。ほんのちょっと、微かに透明度が落ちたかなという程度。いつものポイント、カトルラスラーには誰もおらず、足跡もあまりない。前回よかったプールのけつから釣り始めるもののなんの反応もなし。それで、頭の浅場に移動。ここですぐに一尾。散々走られてようやくのことで上げれば、でっぷりと太ったメス。迷わずキープ。サイズは60センチに数センチ欠けるというところか。しばらくして今度は雄で一回り小さい。これは迷わずリリース。その次の魚は、かかったと思ったらどこまでもどこまでも上流に向かって走っていく。激流の中を通り抜け、フライラインが終わり、バッキングラインがどんどん出ていくのだが、それでも下に降りず上に登っていき、とうとうティペットが切れてしまった。一度も方向を変えることができなかったので、多分、尾びれにでもスレでかかってしまったのだろう。スレとはいえ、なかなかよい魚だったのでちょっと残念。
それ以上粘っても出そうになかったので、4時過ぎに釣りを切り上げる。家に帰ってキープした魚をさばいたら、腹一杯のイクラだった。また、これでしばらく食卓が賑やかになる。

自分の回りの人、仕事、会社、そして自分自身を見ていて最近つくづく思うのだけれど、人生、山あり谷ありですなぁ。浮いているのだか、沈んでいるのだか、自分でもよく分からない今日このごろ。

8月14日

注文していた本、New Zealand Stream Invertebrates(ニュージーランド河川の無脊椎動物)が先週とどいたので、さっそく読み進めている。個々の水棲昆虫の生態に関してはさほど詳しく触れられていないが、なぜニュージーランドでは北米のような集中ハッチがないのか、その理由が推測されていたりして、総括的なところが分かって非常に興味深い。まだ三分の一ほどしか読んでいないけれど、ニュージーランドの水棲昆虫に興味がある人にはお勧めの一冊。ただし、虫の名前が全て学名なので、Guide to the Aquatic Insects of New Zealand(ニュージーランドの水棲昆虫ガイドブック)と併せて見た方がいいかも知れない。

このところ数日とても暖かったので、このまま春になるかと油断していたら、いきなりの寒波で思いきり冷え込む。しかも、天気予報とは裏腹に雨が降らない。ただ天気は良くなかったのでお山には雪が降ったようだ。スキー、スノボには嬉しい知らせだから、この週末は混むに違いない。となると、ママと子供はスキー、パパは釣りなんて家族連れも来ることが予測されるから、川にも釣り人があふれるかも。それを見越して木曜か金曜あたりにさっさと釣りに行ってしまおう。

ところで、私の本は、一体何冊くらい売れたんだろう。聞くのが、恐いような、、、。

8月19日

17日に高島さん来訪。ファカパパでスノボをやってから家に来られ、翌18日は僕も連れてってもらって一緒にランギタイキ川にカヤックをやりに行く予定。だったのだが、18日未明、斉藤、トイレで倒れる。17日の昼に食べたものがよくなかったらしく、一日腹具合がおかしかったのを、胃薬を飲んで無理やり押さえていた。しかしその努力も虚しく、上と下から一斉に体外排除。おかげでカヤックどころではなく、午前中ベッドでうつらうつら。

18日夕方、オークランドから五十嵐夫妻来訪。皆で鍋をつつきつつ、あれこれ楽しく過ごす。そのころには、身体もほぼ全快に近づいていたので、ワインなどをちびちびといただく。

今日は日曜で、しかも夕べ雨が降ったから、きっとたくさんの釣り人が川にいるだろう。ということで、自宅にておとなしく仕事をする。そろそろ「釣り師の言い訳」にとりかからねばならないし。

カヤックに備え、ここ一週間あまり柔軟、ストレッチなどをやっていたせいか、またぞろ、腰の痛みがうっすらと浮上。むむむむ。

8月21日

Jan Fennellの「The Dog Listner」を読み進めている。これまでに何冊も犬の飼い方について書かれた本を読んだけれど、これほどよいと思った本はない。まず非常に分かりやすく、かつ理由も説明してあるので説得力がある。
犬のしつけをする際に、力で押さえ付けたり、叱ったりするのではなく、まず、飼い主が犬のリーダーとならなければならないことが何度も繰り返し述べられている。
では、どうやってリーダーとなるか。彼女のすすめる方法は、犬の祖先とも言うべき狼の群れを観察し、そのリーダーであるアルファカップルがどのように振る舞うかを模倣するのだ。人間の言葉、あるいはボディランゲージで犬と接触しても、犬にとってはまさに唐人の寝言、チンプンカンプンで分からない。それゆえ、犬がわかる犬の言葉を人間が使うしかないというわけだ。
色々と方法が説明されていたけれど、中でも面白かったのが、食事のやりかた。狼の場合、まずリーダーが食べ、そのお余りを群れの他のメンバーが食べることを許される。その様子をそっくり真似するために、まず犬の餌箱をテーブルの上などに置き、犬の餌の準備をする。そしてあたかもその餌箱からとって食べているかのように見せて、テーブルの上のビスケットやクッキーなどを人間が食べる。その時に犬のことはまったく無視する。見ることさえしない。狼のリーダーが他を寄せつけず、ゆっくりと獲物を堪能する様子を再現するのだ。そして、それを食べ終わったら、やおら、「余ったからお前にもやるわ」という感じで餌を与えるのだ。
群れのリーダーという地位は、一端なればいつまでも続くというものではない。人間の議員さんとはそこが大きく違う。リーダーは常にメンバーに対して、私がリーダーであると誇示し、見せていなければならない。群れもリーダーが誰であるか、常に確認しつつ行動する。リーダーがリーダー性を保持できなくなった場合、群れ全体の存続にもかかわるので、新しいリーダーが取って代わることになる。というわけで、飼い主が犬と接する際に、常にリーダー確認の儀式を織り込んでいかなければ、人間は知らない間にリーダーの地位から落ちてしまう。
いかに犬と付き合っていくか、そのつきあい方を根本から考えさせてくれる本であった。
出版されたのが2000年、つまり去年だから、もう翻訳も出ているのかも知れない。犬を飼っている人、飼おうと思っている人には是非ともお勧めの一冊です。

いろいろあって、今日も釣りにいけない。雨が降ったので、今ごろ川は産卵遡上の鱒で溢れかえっているかも知れない。そう思うと、こんなことやってないで、さっさと仕事を書き上げて、釣りに行けよとカツを入れたくなるけれど、これが、なかなか書けないのよね。

8月23日

このところニュージーランドの新聞やテレビでいろいろと騒がれているニュースのひとつに、南島西海岸の露天掘り金鉱の開発申請を、環境保護省大臣が却下したために取り掛かれないでいる、それに対し地元の人達が反発しているというものがある。自然保護か、開発か、そう簡単に片づく問題とは思えないけれど、ずいぶん日本とは違うなぁという思いを抱きながら眺めている。
まず状況を簡単に説明すると、国有地、私有地に限らず、ニュージーランドで鉱山を始めるには、資源管理条例に基づく同意、商取引条例に基づく免許、そして土地所有者の許可の三つが必要になる。そして、南島西海岸の金鉱会社の場合、前二者は取得済みであった。問題は、最後の土地所有者の許可である。
申請されていた場所は、国有地で、ビクトリア森林公園として指定されている中の一部。森林公園は、国立公園と違って、自然保護ばかりではなく、自然と歴史的資産の保護を図りつつ、様々な土地利用を図ることになっている。そして、それを管理するのは環境保護省であり、つまりその土地で行われる活動に対して、許可あるいは不許可を与えるのは、環境保護省大臣ということになる。
開発側、そして地元住人は、金鉱により二百人分の職が増える、金鉱がなければ西海岸は衰退の一途を辿るばかりだと主張し、反対陣営は、露天掘り金鉱のもつ危険(広い地域を掘り崩すことによる自然への影響、金摘出の後に残ったガラの処理、金摘出過程にともなう水汚染、処理水を溜めるためのダムの建設とその安定性など)が大きすぎると主張している。
いずれの主張に重きが置かれるかは、具体的に個別の要素を見てみないと何とも言えないけれど、僕が面白いなと思ったのは、「日本では、これまでに、地元が開発を求め、それに必要な条項を全て満たしていたのに、環境庁長官(あるいは環境省大臣)の鶴の一声でとりあえず中止になったものがあるだろうか」ということだ。
環境保護省大臣はテレビのインタビューで、「私は環境保護省大臣であり、環境を保護するのが私の役目だ。それゆえ私は私の職分を果たしただけである」と述べていたけれど、それに比べたら日本の環境省大臣は一体何をしているんでしょうかね。環境省は名前を見ても分かる通り、どこにも保護なんて看板を掲げていないから、環境が悪化しようがどうなろうが関係ないもんね、ということなんだろうか。

また雨が降っている。机に向かっている場合じゃなく、川に立っていなければならないのに、まだ「言い訳」が終わらず、しかも遅々として進まない。それどころか、こうして関係もないものを逃げるように書いていたりして、、、。

8月24日

Jan Fennellの「The Dog Listner」は、今年の5月発売で日本でも出てました。 ジャン・フェネル「犬にならって 犬の言葉を学ぶ」だそうです。

「Outdoor」七月号が手元に届いたので、ぱらぱらとめくってみる。その中に「甦る古代航海民の魂」というタイトルで内田正洋氏が記事を書いている。ハワイから日本へ昔ながらの手作りの船で渡ってこようという試みを応援しつつ、記述しているのだが、その中の一節を読んで、それはないだろうと思ってしまった。
「さらにカヌーという言葉の語源は、カノーという発音であり、カノーという言葉は、日本書紀や古事記にも出ていて、しかも伊豆でそのカノーを作っており、さらにそのカノーは双胴船であり帆船だったという話もある。(中略)ナイノアは、日本を自分たちの最初の祖先の島だと直感的に考えていたのだろう。そしてその直感は、どうも事実に近いらしい。縄文人は海を自由に航海できる能力を持っていた。彼らは航海カヌーも持っていた。土器を持ち、黒曜石というナイフも持っていた。ポリネシア人の祖先だといわれる謎のラピタ人が、縄文人である可能性は高い。ということは、ハワイ人と日本人は同じ祖先を持つということになるわけだ」

おいおい、ちょっと待て。まず、カヌーという言葉だが、この語源は、カリブ海西インド諸島のアラワカン語であり、それがフランス語経由で英語に流れたというのが一般的な説だ(Websterによる)。つまり、ハワイを含む南太平洋では、フランス語、英語が入ってくるまでカヌーという言葉は使われていなかったのだ。では、あの丸木舟はなんと呼ばれていたかというと、ハワイではWa'a、トンガではVaka、そしてニュージーランドではWakaだ。ちなみにポリネシア人は、台湾辺りから数万年前に南下し、ソロモン諸島に約3万年前、フィジー、トンガに二千年前、そこで二手に分かれ、一派はハワイへ、もう一つはクック諸島へそれぞれ千二百年前に渡り、ニュージーランドへはクック諸島から八百年前に辿り着いたというのが定説となっている。船という島の生活に密着した物であるがために、時代と場所を通じてもその呼び名にあまり変化のないことがよくわかる。だから、例え、日本書紀や古事記にカノーと読める言葉が船の意味で使われていたにせよ、それと南太平洋諸島の船とはまったく関係ないのだ。では、古代日本の民がカリブ海西インド諸島の民と関連があったかといえば、これも噴飯物でしかない。少年のことを英語ではboy、日本語では坊や(boya)と呼ぶから、日本民族とアングロサクソン民族は大昔につながりがあったと言い立てるのとほとんど変わらないくらい馬鹿げた話だ。
つぎに「ポリネシア人の祖先といわれる謎のラピタ人が、縄文人である可能性は高い」だが、これは非常に低い。というか、ない。その理由は、DNAにある。遺伝子がそれぞれの人種グループ間でどれだけ似ているかを比べた1994年の研究によれば、日本人と一番近いのはチベット人。その次が韓国人となっている。もしポリネシア人と日本人が同じ祖先を持つ言うのであれば、同様にオーストラリア先住民、パプア人、フィリピン人、インドネシア人、タイ人、南部中国人、モンゴル人も日本人やポリネシア人と同じ祖先を持つと言わなければならない。それだけ、日本人とポリネシア人の間は隔たっているのだ。似たような研究はいくつもあり、血清の補体タンパク質、あるいはHLA抗原を比較した研究でも同様の結果が出ている(いずれも平凡社「南太平洋の人類誌」フィリップ・ホートンから)。逆に内田氏の「その直感は事実に近いらしい」というのは、一体何を根拠にしているのか、それが知りたくなってしまう。

名前のある程度知られた人なんだから、もうちょっとちゃんと調べてから色々と書いて欲しい。内田正洋氏。

8月31日

「釣り師の言い訳」第39回目の原稿を送る。なかなか良いお話ができたと自己満足に浸っていたら、原稿受け取り確認のお返事といっしょに、連載が40回で終わることになりましたとのお知らせ。
う、む。
そうか。いつかは来るとは思っていたが、、、。ついに来たか。
収入のほぼ三分の1から半分を占めていた仕事が、ポンと無くなった。しかし、これも一重に自分の責任だからどうしようもない。もっと、面白いもの、人を惹きつけてやまない話を書いていれば、打ち切りになろう筈もないのだから。
いつかは来ると思っていても、やはりショックを受ける。座り込んでしまいたくなる。
けれど、いつまで落ち込んでいても仕方がない。何もしていなくとも、川は流れるし、月は満ち、欠ける。 今回のことを深く心に打ちつけて、皆様に喜ばれる芸人になろう。もっと芸を磨こう。そう思った。

ついでに本の売れ行きを聞いたら、半年経たないと分からないとのこと。その時点で売れ残った本が本屋から返品されてくるらしい。

何度か仕事をさせてもらった雑誌Aが休刊になり、直後にやはりたまに仕事を貰っていた雑誌Bの編集長がいきなり変わり、そして「言い訳」の連載が終わり、かと思ったら、これまでつきあいの無かったところ二箇所から立て続けにお仕事をいただいたり。殴られているのか、蹴られているのか、抱きすくめられているのか。痛みと気持ちよさが複雑にからみあった、何がなんだか分からない波乱万丈の人生となりつつある。