トラウトバム日本語版        

DIARY

1月1日

大晦日は、カヤックの友達が来て、一緒にトンガリロ川でジョギングカヤックをする。サーフィンと360、それにロールの練習を1時間みっちりやった。水に対する恐怖心が少しずつ薄れ、勘が戻ってきているような感じがする。その後は例のごとく、酒を飲み、年越しうどんなどを食いつつにぎやかに新年を迎えた。
今朝は、ちょっとまだ酒が残っていたので、ゆっくりと朝寝坊。トマトに添木を立てたり、下の葉っぱを剪定したりなどして、一日かけてゆっくりと酔いを覚ます。
お雑煮とお節で夕飯を済ませ、一年の計を占うべく意気揚々と夕マズメに出かけたのだが、トンガリロ川に着く寸前に仕事の電話を一本かけ忘れていたことを思い出し、慌てて家に帰る。そして電光石火の早口で用件を伝え、急いでトンガリロに戻った。おかげで川に着いたのは、8時45分とびったりのタイミング。ライズはあまりしていなかったものの、そのポイントでは誰もライズを狙っていないのか、フライを投げたらすぐに釣れた。サイズはあまり大きくなく40センチあるかどうかのニジばかり。それでも20分あまりで6〜7尾釣ることができたので、そんなに悪くはない。途中から蚊の攻撃がひどく、いくら防虫スプレーをしてもまったく容赦なく目の前をうるさく飛び回るし、おまけにライズもほとんどなくなってしまったので、9時ちょっと過ぎに退散。

今年は、一体どんな年になるんだろうか。釣りに行きたい川もあちこちあるし、ちょっと真剣にやらないといけないこともあるし、いつになく拳をそっと握ったりしている正月であったりする。

1月7日

昨日は、ルイの家に遊びに行った。彼は数年前に奥さんの実家があるサモアに移住してしまったのだが、心臓の検査とかでこちらに来ていた。写真を見せてもらったら、心臓に血液を送る血管の一部が細くくびれてしまっている。それをバルーンで開き、ステントと呼ばれる物を入れるかも知れないとのこと。僕もコレステロールが高いから気を付けようっと。
他にもいろいろな古くからの知り合いが集まっていた。その中の一人が南島にしばらく行っていたのだけれど、彼の話によると、南島のあるガイドのところに一人の日本人が一ヵ月だか二ヵ月だかいたらしい。その間彼は毎日ガイドを頼み、ガイド料を払っていた。ただし、本当に釣りに行くのは、週に二日とか三日だとか。つまり、釣りに行っても行かなくてもガイド料を払っていたのだ。おまけにそのガイドは去年だかに日本に行っているのだけれど、その費用もその日本人がすべて出したのだとか。その話を聞いて、「旦那」という言葉を思い浮かべた。昔なら、吉原辺りで豪勢にお金をかけつつ粋を競って遊んでいたお金持ちの方々だ。そこらにうじゃうじゃいる、わずか一週間ばかりの短い日程で有名高級ロッジにありがたがって泊まって喜んでいる「にわか」ではなく、よく言えば腰を据えた、悪く言えば家を傾けかけない勢いの「遊び」をされる人達である。それにしても不景気だなんだというけれど、いつの世でもお金のあるところにはちゃんとあるものだと改めて認識。

夕マズメに行く。今シーズン初めて入るポイントだ。様子を見ていると、パチャパチャと手の平サイズの小鱒がライズしている。水際の大石に腰掛けて、それを片端から狙っていく。9時を回ってからようやく大きめの魚がライズするようになったが、大きいと言っても40センチほどの若鱒。横着を決め込んで、石に腰掛けたまま一歩も動かず、立ち上がることすらなく若鱒を4尾、小鱒を5尾ほど釣った。鉤のかえしは潰してあるので、手元まで魚を寄せたら、そのまま糸を手繰って竿先がフライにぶつかるようにすれば、わざわざランディングしなくとも、また魚にまったく手を触れることもなく鉤を外せる。たった一つのフライでずっと釣っていて、暗くなる寸前に二回かけそこなったので、鉤をよく見たら横にねじれていた。ライズもほとんどなくなっていたことだし、それを理由に引き上げた。
悪くない、一日。

1月10日

なんという喜びも悲しみも感激も感慨もないままに43歳となって一週間が過ぎた。ふむ。30にして惑わず、40にして立つなんて誰が言ったものやら。そんなことを考えつつ天井をぼんやりと見ていて、ふと、高校、大学の頃に付きあっていた同級生の女の子も43歳になっているのだと気づいた。
がーん。
43歳の女の子?なんじゃ、そりゃ。そんなものはこの世の中に存在しない。背の高い小人、金持ちの貧乏人がいないとまったく同じ理由で、43歳の女の子はいない。そこにいるのは、43歳のおばさんだけだ。
もちろん現実の彼女が女の子でなくなり、おばさんになったのは昨日今日のことではない。きっと十数年前に30を越えた辺りでとっとと女の子界から追放されているはずだ。ただ僕がそのことに軽く目をつぶっていただけだ。しかし、43歳ねぇ。うーむ。

つり人社の編集の人に電話して、売れた部数をそっと聞いてみた。
しばらく落ち込んで、立ち直れなかった。

1月14日

カメラに残っていたフィルムを撮りきってしまうために、トンガリロ川のトラウト・センターに行った。トンガリロ川の支流の脇に、コンクリートの半地下部分が作ってあり、そこに降りると川を横から見ることができる。50から60センチほどのニジマスの群れが入っていた。しばらく見ていたけれど、産卵遡上のやつらしく餌を食べているふうではない。ライズでもすれば面白いのだが。D.O.C(自然保存庁)のお兄さんと他の人が話しているのを聞くでもなく聞く。
「昨シーズンは産卵遡上が後ろの方にずっとずれ込んでね。それで、今でもこうして群れが入っているんだ」
「こいつらは、産卵するの?」
「いくつかはしてるな。ほら、尾っぽがすりきれてる。いつもなら、ホッチャレの鱒はとっとと湖に降りて、餌を食いまくって次の産卵に備えるんだけど、遡上が遅かったから今でもいるんだ」
ふんふん。なかなかためになるじゃないか。お兄さんの話だと、今年はきっとシーズンが早く始まるだろうとのことだった。

家の回りを散歩する。と、電信柱にごっちゃりとセミがとまっている。ひょっとして、今年はいいかも知れない。天気が良くなったら、トンガリロの下流まで歩いていってみよう。もし、セミが鳴いているようだったら、ボートを修理して、早速出かけなければ。

最近ようやく、自分の人生の方向性が分かりかけてきたような気がする。いや、進みたい方向、送りたい人生の大まかな絵柄が見えてきたというほうが正確だろうか。その方向になんとかして潜り込めるよう、現在、鋭意努力中。と、書いたそばから、「果報は寝て待て」と言う言葉が頭に浮かぶのはどういうわけだ。

1月15日

釣りに行こうかと思っていたのだが、天気が安定しない。土砂降りのような雨が降ったかと思うと、晴れ間が覗いたりしている。それで、原稿のための資料読みを続けることにした。ニュージーランドの釣り場管理に関しての資料なのだけれど、なぜこれらの管理方法が可能なのかという根本を問えば、ニュージーランドでは個人の権利が確立しており、それに伴ってレクリエーションというものも認められているというところに落ち着いてしまう。もしそれを潰そうと考えている政治家がいるとしたら、それに対する国民の返答は次の選挙で明確に出るだろう。それにくらべ、お父さんが総理大臣で立派な政治家だったから、その地盤を継いで政治家になりました、なんてことがまかり通っている国では、これらの方法が実施されるのは百年経っても無理だろう。ある個人が何を考え、その意見を支持するかしないかで投票がなされるのではなく、家柄で選ぶ人がまだまだ多いのだから。
となると、そんな国で、川や湖を本来あるべき姿に保つためにNZ的な管理方法を学んだところでどうにもならないのではないか。それよりも、日本に適した方法を探しださなければならないだろう。学校で教わった民主主義なんてものはお題目ばかりで、実質的内容は代々続く庄屋さんが政治を行っているようなものなのだから。

アメリカのフライフィッシング雑誌「Fly Fisherman」をぱらぱらと読んでいた。2002年2月号34ページ、ネバダ州レノにあるピラミッドレイクという湖を紹介している記事にこんなくだりがあった。
「(とにかく長い時間フライが水の中にある方が釣れる確率が高くなると言う前文を受けて)この点で、ピラミッドレイクで釣りをするにあたって一番興味深い道具、脚立が役に立つのである。ピラミッドレイクの常連の間では、脚立は、ロッドとリールと同じくらい最低限必要な道具と見なされている」
おお、アメリカでも脚立を使って釣りをしているやつらがいるのか。やっぱり、考えることは皆同じらしい。ここで、はてニュージーランドではどうなのだろうという疑問が浮かんだので、早速D.O.C.に電話をしてみる。対応してくれた係官によれば、彼が知るかぎりでは、ニュージーランドで脚立の使用を制限するルールはないとのこと。そんでもって、タウポ湖で既に実際に使って釣りをしたやつもいるみたいで、その時は多くの苦情が寄せられたらしい。底が砂地で、おまけに急に深くなっていて崩れやすいから、気をつけてやれよな、と温かい言葉までかけていただいた。
うーむ、それって、俺にやれってことですか。

1月16日

昼過ぎにトンガリロの下流にセミの様子を見に行った。既に車が一台入っていたので、期待していなかった割りには、あちこちにブラウンの姿を見つける。ほとんどは例の「寝て鱒」だったものの、いくつかは食い気があるようだ。そんなやつのひとつにフライを投げたら、ゆっくりと頭をもたげるのだが、もう少しで食うかというところでドラッグがかかり、沈んでしまった。フライを変えるたびに見に来てくれるのに、そのたびにドラッグが邪魔してくわえてくれない。3つ目のフライを投げたら、とうとう足元まで追ってきて、それで目と目が合ってお終い。ちなみに投げたフライは最初がチェルノブリ・アント、次がセミ、そして最後はブラックビートル。順番間違ってるかしら。
岸から入れる最下流部までいったら、けっこうセミがうるさく鳴いていた。いつも大きなブラウンがいる対岸の浅場をしばらく見守っていたのだが、水面に落ちたセミもライズもなし。気晴らしに、スティールヘッド用の大きなドライフライ、ボンバーを思いきり投げ、水面をトクトクと引いてくる。ゴボッと派手な水しぶきをあげてでかいニジマスが下から食らいついたりするようなことは起こらず、ただ淡々と水面をフライは滑り続けた。一度だけ、小さな、多分15センチくらいの鱒が飛び出したけれど、フライがでかすぎて食えなかったようだ。
セミはだいぶ出始めてはいるけれど、まだもう少しというところか。あと10日後くらいが良いのではないかと思う。そうすれば、寿命の尽きたセミが水面にぽつぽつと落ちだし、鱒もお手軽な食事に夢中になるだろうから。もっともここのポイントは、岸からでは釣りにならない。川の真ん中にボートを停め、それで両側を狙っていくしかないのだ。と言うわけで、明日はボートを直そう。

ジョギングカヤックをやりながら、サーフィンで左へのカーブは切りやすいのに、右カーブはいたく緊張することに気づいた。波が右下がりになっているせいもあるのだろうけれど、それだけに右カーブがきれいに決まったときは気持ちがいい。また行こうっと。

1月19日

牧場の川にハミルトンの伊藤さんとその友達と入った。魚の姿がめっきり少なくなっている。なぜだろう。釣り人が入っているわけでもないのに。ここ数年ずっとそうだから、あるいは水質、水温など魚の住環境になにか問題が起きているのだろうか。それとも、ここと本流との間になにか障害物でもできて、産卵の為に魚が上ってこれなくなっているとか。不思議。今度、一度本流から上へ歩いていってみようかしらん。
しばらく前にポールとランギタイキ川に行ったときも魚影がまったく見られなかった。あそこは植林の伐採が数年前にあったので、それで日照条件や土砂の流れ込みなど、棲息環境が変わってしまったのかも知れない。いずれにしても、楽しく釣りをできる川を見つけてこないとなぁ。
数年前まで個人でやっていた知り合いのガイドが、ここしばらく、高級ロッジからのお客を中心に案内していた。彼と話していて、「キングカントリーまで車で1時間半もかけて走っていって、小さい鱒を追いかけるより、ヘリでバックカントリーに行ったほうがはるかにいいぜ。ヘリならロッジまで迎えに来てくれるし」と言う言葉が出てきたのには、驚くとともにある感慨を持った。お金持ちを相手にしているとやっぱ、変わってくるんですね。まぁ、彼の言うのももっともで、ロッジとへり会社が取り決めをして、そのロッジのお客でないと飛んでくれない川なんても何カ所もあるみたいだし。

それはともかく、僕が釣って、僕が楽しむ、ただそれだけの川を見つけてこよう。知りあいに自慢できるほど魚が大きくなくとも、魚影が濃くなくともいい。忘れられたような川の、そっと隠れていたポイントをぽつぽつと釣り歩こう。

僕がジョギングカヤックで右カーブがなんていってるころ、世の中ではもっと凄まじいことが起こっているようだ。それにしても、ここまでやるかぁ?

1月25日

21日に成史さん、東さん来宅。そのまま、22,23,24日と三日連続で釣り三昧。
22日はボートでトンガリロ川を遡り、セミフライで遊ぶ。たくさんのセミが元気よく鳴いているのは嬉しいが、まだ羽化したばかりだから、産卵を終え力尽きて水面に落ちるやつが少ない。そのせいか、浅場に出て目を水面に釘付けにしてセミを待ち受けている鱒の数はまだまだ。
23日は、ランギタイキ川の運河に。風もなく、運良く他の釣り人もいなかったので、運河本来の釣りを堪能できた。30センチほどの小鱒が、あちこちで元気よくイトトンボに飛びついていたけれど、50センチを越えるやつらは、静かに水面の小虫(特にハッチはなかった)、あるいは藻の上の水棲昆虫をついばんでいた。試しにイトトンボフライを投げたら思いきり無視されたので、あとはアリ、ミニ甲虫で遊ぶ。一生懸命釣っていて、ふと気づくと僕の真横にいつの間にか一尾入り込んでいた。そっとドライを投げたら見ようともしないので、それならとホーンカディスのニンフでいただく。
24日は牧場の川。前回と同じく魚の姿は少なかった。ただ、分岐点から上の水の澄みきった流れの中には、これまでとさほど変わらない数の鱒がいた。ほとんどがドライで出たけれど、無視するやつらには同じくホーンカディスで勝負。それでも乗ってこない選り好みの激しいやつには、コロビュリスカスできっちり落とし前をつける。
三日間晴天に恵まれ、 成史さん、東さんとも釣りを楽しんだようだ。良かった。良かった。
やっぱり釣りは面白い。

1月28日

昨日もトンガリロ下流部にボートで入った。3連休の中日だったこともあり、人がたくさん出ていたが、幸いなことに僕たちより先に川に入った釣り人はいなかった。家を出たのが11時ちょっと前とかなり遅いスタートだったから、ラッキーの一言である。大型セミフライでニジとブラウンを釣る。前回は操船をしていたおかげで僕はほとんどロッドを握れなかったけれど、今回はきっちりと釣らせてもらう。60オーバーのブラウンとニジを5尾かけるものの、2尾は糸切れで逃げられ、ランディングは3尾だけ。河口近辺まで来たら、ボートが4艘も川に入っていた。
まだ、水面に落ちているセミは少ないが、あと数日で始まるはずだ。ポールでも誘ってまた出かけよう。
トンガリロの帰りに、浅場に出てスメルティングをしている鱒を狙う。東さんが一尾かけてばらしただけで、そのうちにライズが遠のいてしまった。発電所の放水が止まったのかも知れない。

流されずに波に乗るためには、体力というより、波への入り方、体重のかけ具合、パドルワークなど、基礎的なテクニックがちゃんとマスターされているかどうかが、なによりもものを言う。今年はそこのところをきっちりと抑え、なんとか波にうまく乗れるようにしよう。なにせ老齢年金がもらえる65歳まで、あと22年間も僕は世間の荒波でサーフィンをしなければならないのだから。

1月30日

女房が昨日から出稼ぎに行っているので、11日まで独身者。
スーパーに買い物に出かけ、食肉売り場で、ふと、あるものに目が留まった。以前からたまに売っているのを見かけてはいたのだが、女房がこういうものは大嫌いなので、手に取ることなどさらさらなかった。それにしてもこんなものをごろんと売ってるなんてスゲェよなと思いつつ値段を見ると、なんと、たったの3ドル98セント、日本円にしたら240円ではないか。今を逃したら、これから先一生買うチャンスはないかも知れないと、思わず買ってしまった。
しかし、豚の頭丸ごと一個なんて、一体どう料理すればよいのだ?
皮は剥いであるから、耳も鼻もなく、沖縄料理のミミガーはできない。「豚 頭 レシピ」のキーワードでインターネットで検索をかけても、豚骨スープくらいしか出てこない。それではと、家にあった「Unmentionable Cuisine(口にできない料理たち)」というゲテモノ料理本をめくってみたら、フランス、アイルランド、ノルウェイ、アメリカ南部などのレシピが出ていたので、あとでひとつひとつじっくり読んで、どれを試すか決めるとしよう。
冷蔵庫の底に眠る、豚の生首、一つ。
それにしてもなんとも、シュールな。

明日は、天気が良ければ、近所のポールと一緒にセミの釣りに出かけるつもり。
命、短し、釣りせよ、おのこ。