トラウトバム日本語版        

DIARY

9月2日

昨日の昼過ぎ、トンガリロ川に釣りに行った。1時間ほど粘ったかいもなく、あたりもかすりもしないので、4時前だったけれど諦めて川から上がる。帰りに買い物をしようとスーパーに寄ったら、フリースのズボン、あるいはちょっとだぶつき目のズボンの裾を靴下の中にたくしこんだ、「ハイ、たった今ウェーダーを脱ぎました」という格好の男たちが店内のあちこちで買い物をしていた。やっぱり今日は釣れませんかね、と思っていたら、ウェーダーを履いたままのやつまでいるではないか。さすがはツランギ、トラウトフィッシングの首都と言い切るだけのことはある。釣りそのままのいでたちの男がスーパーで買い物をしていても奇異な目で見られない街なんて、いくらニュージーランドが鱒釣りで有名だからといって、そうそうはないだろう。

夜更けから大分雨が降ったので、これならばっちりなはず、そう期待して今日もいそいそと出かけてみたら、ツランギに着く前に国道が水没していた。当然のことながら、川という川はどれも真っ茶色に濁って釣りどころではない。仕方がないので、釣り具屋に行き、ラロトンガで使うカニフライのための材料と、夏用の濡れてもすぐに乾くパンツを購入。これからしばらくは、カニフライ、エビフライを巻く日々になりそう。

 

 

9月3日

3時前に、トンガリロ川に行く。崖下のポイントに入ったら、河原はやっと水が引いたばかりのようで、なんと足跡ひとつない。まだ誰もここで釣りをしていないつうことですか。え、それじゃぁ、もうごっちゃりいる鱒を僕にぼこぼこ釣れということですか?いいの?ほんとにいいの?と喜び勇んでフライを投げ続けたものの、あたりもかすりもせず、がっくりと肩を落とす。いい加減イヤになったころに一尾かけたけれど、すぐにばれてしまった。1時間ほど粘って、さすがに根負けして場所を変えることに。先日釣りに出かけた際に、橋の上流のポイントで、行きに通ったときにも帰りに通ったときにも男が魚をかけていたので、そこを試してみることにした。釣れてください、と願いながらひたすら投げ続けたけれど、神に見放される。
その上のポイントに入ろうとしたら、足下から二羽の濃い灰色の鴨がゆっくりと泳いで逃げた。よく見たら、ブルーダックではないか。竿を延ばせば届きそうなほど近くをうろうろしているので、しばらく釣りをしないで観察する。夫婦なのか、兄弟なのか、親子なのか、姉妹なのか、仲良さそうにしていたかと思ったら、いきなり激しくつついたり。鳥の考えていることは、わからん。
どんづまりのポウツプールに移動し、陽が落ちるまで頑張ったのに、ピクリともこない。すっかり薄暗くなって、こりゃ駄目だ帰ろうとリールにラインを巻いていたら、目印がすっと水中に消えた。オヤ、魚ですか?ほんとに?と合わせてみると、魚だった。というわけで、どうにかボウズではなかったけれど、「うっしゃぁ、釣ったぜ」という感動はなく、いまひとつ、ふたつ、みっつ。
 

 

9月9日

「釣り好きというものは、本屋にずらりと並んだ釣りの本を手当たり次第に読んだり、あるいはテレビの釣り番組を観ては釣り欲を燃やし、川や海へと出かけていくのだ。」
この文章は、間違いである。なぜなら、文法的には「〜たり、〜たり」と対になって使わなければならないのに、それが崩れているからである。だから文法的に正しく書くならば、「釣り好きというものは、本屋にずらりと並んだ釣りの本を手当たり次第に読んだり、あるいはテレビの釣り番組を観たりしては釣り欲を燃やし、川や海へと出かけていくのだ。」としなければならない。
んが、しかし。「文章の意味が正しく、誤解を招くことなく、容易に読みとれる」ということだけに眼目を置くなら、最初の文章にもまったく問題はないと言えるだろう。
文法が先か、文章が先か、と聞かれたら、僕は迷うことなく文章が先だと答える。文章を書く目的、あるいは読む目的は様々あるけれど、文章を書く際に必要なルールは「文章の意味が正しく、誤解を招くことなく、容易に読みとれる」だけでいいのではないかと思う。文法は、いわば過去の文献の積み重ねから生まれたエッセンスで、重要なものであるのは重々承知している。しかし、金科玉条的にそれに縛られなければならないものでは決してない。「これまでの形」を大切にしたいのはわかるが、「新しい形」というのものが次から次へと生まれてくるのも事実である。
だから、「〜たり」とひとつだけで使ってもいいんじゃないかと思うのだ。

良く言えば「規則に縛られるのが嫌い」な、悪く言えば「だらしないだけ」の、僕の言い訳だったり、する。

 

 

9月14日

先日オークランドまで仕事で行った際、自分の犯したくだらない間違いがもとで、オークランドに着いた夜の二時半に、モチュオパの自宅まで帰らなければならない羽目になった。途中、対向車がなく直線とわかっているところでは140キロまでスピードを上げたのに、宿にしたバークンヘッドからモチュオパまで、3時間25分もかかってしまった。
うむ。
となると、以前良く遊びに来てくれていた、今はQTに住んでいるSさんは、一体何キロぐらいのスピードで飛んで来ていたんだろう?170キロくらいは出していたんだろうか。
一眠りしてから、その日の午後またオークランドまで戻る。さすがに昼間なのでスピード違反で捕まりたくないから、いつものように110キロで巡航運転をする。普段は感じたことがないのだけれど、140キロでしばらく走った後では、いかにもトロロンのんびりと走っているように感じられ、妙に感心してしまった。ぶつかってみるまでもなく、ちっともトロロンというスピードではないのだが。

ラロトンガのホリデーは、人数が5人に増え、なにやらお祭り騒ぎになりそうな予感。4人以上でつるんで旅行をするなんて、修学旅行以来のことかも知れない。今週、来週でたくさんフライを巻かないと。

 

 

9月18日

出発まであと2週間だというのに、いまだに仕事が片づかずにじたばたしている私。「あとがき」がなかなか書けない。それでこんなところに逃避。

最近、うちの周りに暴走族が出るようになった。バイク2台とそれに四輪バギーだけからなる少数精鋭の走り屋集団だ。バイクを先頭にブイブイ走り回るのだが、後続がシャコタンの車ではなく四輪バギーというところがいかにもニュージーランドらしい。そして、この族、なんとレディース、つまり全員女の子なのだ。だからヘルメットの後ろで金髪をなびかせて疾走する。出没する時間はたいがい夕方4時から5時の間で、学校が終ってから夕飯までの間にかっ飛んでいるようだ。リーダー格は、2軒隣のマイクの娘で10歳くらいだろうか。その後に6軒ほど離れた家の12歳(推定)の娘が続き、トリの四輪バギーには二人乗っているのだが、どこの子かは不明。多分どっちも10歳になっていないだろう。羨ましいなぁ、あんな小さいころからバイクで遊べて。私なんか自慢じゃないけど、初めてバイクに乗ったのは高校に入ってからなので晩生もいいところ。親に内緒で自動二輪の免許を取って友達のバイクを借りて乗り回していたのはいいけれど、よりによってゲンチャリ(確かホンダのダックス?)で事故を起こして、親にはばれるわ、入院はするわ、バイクはつぶすわ、と散々な目に会ったものなぁ。あれがせめてCB500とかだったら、まだなんとか格好がついたのに。

さて、なんとか今日中にケリをつけないと、いよいよほんとにやばくなってきたな。
ということで、仕事に戻らねば。

追記
QTのSさんより電話あり。最高記録はバークンヘッドからモチュオパまで3時間。ただし170キロは出したことがない、たいがいは140キロくらいだったとのこと。レーダー探知器を搭載しているので、対向車があってもスピードはそのまま。足回りをしっかりいじったレガシーなんで、カーブでもスピードはそのまま、ちゅうことでした。

 

 

9月26日

本日、ようやく入稿。多分、このまますんなりといってくれるのではないかと期待しているのだけれど、まぁ手直しがあるにせよ、そんなに大きな問題ではないだろう。あとは表紙の写真を撮るだけなのに、なぜかここ数日天気が悪く、「これならばっちり」という風景が撮れない。こればっかりは私の力でどうにかなるものでもないので、ひたすら祈るのみ。

今日は、久しぶりにこれといった仕事もせず、ぼけっとする。夕方からフライを巻き始め、クレージーチャーリーの蛇足版を色と重さを変えて、16個ほど制作。もう2色巻けば、とりあえず予定量はこなしたことになる。明日は、バッキングラインをリールに巻いて、フライラインの結び目を確認し、ドライバッグの穴を確かめる予定。それでもって、着替えを詰め、カメラとレンズとフィルムを入れ、チケットとクレジットカード、それにいくばくかの現金を掴んだら、出発だぁ!
あ、フライを入れるの忘れてた。
てなことがないように、よくよく確かめてからでかけようっと。

 

 

9月30日

クレージーチャーリーというフライは、もともとは小魚のグラスミノーをイメージして作られたものだったのだけれど、実際にはボーンフィッシュはこれをシュリンプ、小エビだと思って食べているらしい、という話を読んだ。それなら、ボーンフィッシュがクレージーチャーリーを見た際に、もっと確信をもって迷うことなく小エビだと思ってくれるよう、目玉を付けてみた。これが蛇足版だったのだが、文字通り見事に蛇足であった。重さと色を変え40個も巻いたあとで、ふと目玉にしているモノフィラメントが太すぎて、ボーンフィッシュがくわえたときに、これが邪魔して鉤がかりが悪くなる可能性があると気付いたのだ。ガーン。今さら、全部巻き直している時間も気力もないので、とりあえず巻いてしまった分は全て目玉をカット。ただアイデア自体は悪くないし試してみる価値はあると思うので、目玉の軸となるモノフィラメントを細く柔らかいものに取り換えて、20個ほど巻き足した。いやはやなんとも。まぁ、行く前に気付いただけ、良しとしよう。

この2月からさる翻訳会社の仕事をやっている。仕事はほぼ毎週いただけるし、単価もなかなか良いのでとてもありがたいのだが、そのありがたみがなかなか感じられない。というのも、2月、3月分の支払いはあったものの、4月分からこっちまったく貰っていないのだ。 翻訳の納品に関しては締め切りに2時間遅れただけで催促のメールがエンヤラヤと来たというのに、支払いの方は遅れてもあまり、というかまったく気にしない性格の会社みたいだ。
友人の大工と話していたら、彼も給料が滞っていると嘆いていた。やはり数ヶ月分らしい。うーむ、私も彼もそれでどうやって食っていってんだろう、とお互い不思議に思ったりする今日この頃。でもそんな彼も僕も、あと数日もすれば南太平洋の小島で、青い空と蒼い海の間でボーンフィッシュを追っかけているはず。人生とは摩訶不思議なものであることよなぁ。