トラウトバム日本語版        

DIARY

9月1日

朝から一日、ひたすらペンキ塗り。

注文していたフックがまだ来ていないので、トンガ用フライ製作は一時中止。

かまぼこ、製作開始。

 

9月2日

昼から来客があったので、ペンキ塗りはなし。そのかわり、芝刈りをする。これまで使っていた芝刈り機は、エンジンを止めているボルト四本のうち三本がいつの間にかどこかになくなり、最後の一本も、止めているシャーシの方が割れてしまい、芝を刈る刃と本体がぶつかって凄まじい音を立てるようになったので、買い替えた。といっても、中古だけど。でも、さすがにこれまでのものより、楽に芝刈りができる。

かまぼこは、塩の分量を間違えたようで、ちょっと塩っからい。それに、入れるでんぷんが足りなかったのか、どうもあのかまぼこ特有の柔らかさがない。中華材料店で売っているフィッシュボールのような感じになってしまった。次回はそのあたりに気をつけて挑戦するべし。

Buena Vista Social Clubは日本でもすごい人気みたい。チケットは完売だし、あちこちにファンのホームページがあった。生で見たら、いいだろうなぁと思いつつ、CDをかける。

 

9月3日

朝から一日、ペンキ塗り。
思ったよりもはかどらずに手間取っている。どうして、こんなに細かいところが多いのか。この次に家を建てるときは、体育館のようにだだっ広いだけの家にするか、あるいはプロに頼んで全部やってもらうことにしよう。とにかく、疲れるっす。

「1000Years of Maori History」を読み終わる。マオリ族が現在置かれている状況、また、何故そのようになったかの歴史的背景を知ることができ、深く考えさせられる。僕がニュージーランドに来る前、日本で手に入れたパンフレットだったかに、「白人とマオリ族が仲良く共存しています」というようなことが書いてあったけれど、それはちょっと違うよなと改めて感じた。

小泉武夫「醗酵食品礼賛」を読み始める。非常に面白いが、出てくるものがどれも美味しそうなので、食べたくなって困る。まさか、日本から「なれ鮨」を送ってもらう訳にもいかんもんなぁ。検疫で止められる前に、日本国内の郵便屋に「腐ってます」と言って捨ててしまわれそう。
その中のヨーグルトの説明で、乳酸菌が好きなのは乳糖で、これを分解してヨーグルトができるとあった。で、ヤギ乳には四〜五%、牛乳には四%含まれているが、なんと人間の母乳には七%も含まれているらしい。ということは、母乳で作るとかなり濃厚なヨーグルトができるのだろうか。きっと、誰かやってそう。

 

9月4日

今日も一日、ペンキ屋稼業。明日からいよいよ、ペンキ塗り。そう、これまではペンキを塗るための下準備だったのだ。ただそれだけで、三日もかかってしまった。窓枠、ドア枠、スカーティングと呼ばれる壁と床の間の木などをステインで色をつけていたのだ。一日で終わると思ったら、大間違いだった。明日からは、ローラーと刷毛をもって、大奮闘なり。

母乳ヨーグルト、再び。
どこの牛だか分からない牛の乳で作ったヨーグルトに関しては、ただ単なる食べ物という印象しかないが、見たこともない赤の他人の母乳で作ったヨーグルトとなると、ちょっと食べてみようという気は起こらない。
だからといって、日本酒で、杜氏、田中某とか、あるいは野菜でも、「岩手県XX村大字XX字XXの吉田さんの畑でとれました」なんて書いてあるみたいに、「札幌市北区の越田清子さんの母乳で作りました」とラベルに書かれていたらもっと気持ち悪いだろうけれど。食べ物というには、あまりにも生々しすぎるからだろうか。

寝不足なうえに、ペンキ塗りというのは単純な作業だから、下らないことばかり考えるようだ。今日は早く寝るとしよう。

 

9月5日

やっと、下塗りが半分終わった。
塗れども塗れども減らぬ壁。じっと手を見る。ってなところですか。
まぁ、金がなくてプロに頼めないから自分たちでやってるわけで、ちゃんと働いて収入があるんだったら、いちいちこんな七面倒臭いことはやらないな、やっぱり。

「言い訳第28回」のネタをうんうん言って考える。前回がちょっと暗めだったので、今回は明るめにするつもり。
「フライフィッシャー10月号」の読者の欄で、「フライフィッシャーが最近マンネリ化してる」との批評が載っていた。それに対して「来期から新企画が山盛り」と編集の人が答えている。新企画が出る、すなわち旧企画がなくなるということ。となると、ひょっとして私の連載も終わりか。うーむ、そうなったら、いよいよ食っていけなくなるじゃん。アルバイトをするよりない。41にもなって、フリーターですかぁ?
波乱万丈、一寸先は闇。怒濤逆巻く世間の荒波で、果たして僕はサーフィンを楽しめるか?
おお、ますます人生が面白くなってきたぜ、ちくしょう。

 

9月6日

まだまだ続くぜ、ペンキ塗り。

凄いものを見つけた。しばらく前に読んでいた「The Visual System of Fish」の、僕の一番気になっていたところをかみ砕くように説明してくれ、しかもそれを展開発展させているページがあったのだ。
鱒の若年魚やウグイには、4種類の錐体細胞がある。人間とほぼ似たような3つの錐体細胞と、それプラス人間には見えない紫外線の波長域に感応するものだ。本を読んだときには、単純に、人間には見えない波長域の光まで見えるとしか思っていなかった。が、このページを読むと、それ以上の可能性があることが分かる。つまり、人間にはただの灰色としてしか感知できない色を見分けているかも知れないのだ。
ちょっと引用すると、
「3原色で紫(青紫)と黄色は反対色の関係にある. したがって両者を混ぜると無彩色(灰色)になり,彩度が非常に低くなる. しかし4原色における「黄紫」という色は「赤紫」と同程度に鮮やかな色だ. 事実上,原色と思って良い.2原色生物にとって鮮やかな色をした「赤紫」が 想像できないのと同じように,3原色生物にとっては「黄紫」の色の鮮やかさや, ましてその美しさを想像することは不可能だ.」
うーん、すごいことだぞ、これは。
僕らが灰色としてしか思っていない水棲昆虫の色も、実は「黄紫」であるのかもしれない。それを表現するために同じ灰色の素材を使うのだが、実はその灰色は「赤緑」であるかも知れないのだ。
ただ、鱒の場合、紫外線域に感応する錐体細胞は、鱒が成長するとともに消えること、また水平細胞段階での反対色チャンネルがあるという話は聞かないので、鱒を狙って釣りをする場合は、あまり心配をする必要はなさそうだ。
となると、上のことを考えると、鱒相手のマッチザハッチより、ウグイ相手のマッチザハッチの方が格段に難しいことになる。究極のマッチザハッチは、ウグイか?まぁ、ウグイが餌をより好みすればの話だけれど。
早速、このページと、図を全部ダウンロードして保存してしまった。で、下から始まるのが読みづらいので、順番を入れ替え、上から読めるようにしてきっちりセーブ。

 

9月7日

昼過ぎまでペンキ塗り。その後、来客。

知り合いの息子(大学生)が、友達と連れ立って三人でニュージーランドに遊びに来た。で、その途中で家に寄ってくれたのだ。大概こういうシチュエーションだと、もそもそしゃべる奴が、「なんか、俺は来たくなかったんすけど、オヤジが言うもんだから、、、」ってな感じで現れ、こっちとしても、どうしたもんかってな態度を取らざるをえないことが多い。しかし、今日の奴等は違った。その三人プラス、いとこでオークランドの大学に留学しているという女の子の計四人で来たのだが、とにかくノリがいい。しゃべる、しゃべる、しゃべる。僕とはもちろん初対面だけれど、その三人組と女の子も昨日会ったばかり。さらにその三人も一人を中にしての友達なので(つまり、AとBは友達、AとCも友達、でもBとCは会ったことがない)ほとんど初対面。なのに、とてもそうは思えないスピードでのボケと突っ込みの連射。いやぁ、笑わしてもらった。
あのノリ、あのスピード、あの笑いをなんとか文章で表現できたらいいのになと思う。

 

9月8日

一日ペンキ塗り。ようやく第1回目の色塗りがほぼ90パーセント終わった。明日中に仕上げ塗りにかかる予定。それにしても、色が付くだけでぐんと家らしくなるもんだと、女房と二人で感心。

夕飯を食べたあとに、「言い訳」に取りかかる。昨夜もやっていたのだが、ネットに逃走してほとんど進まず。そればかりか、2時頃までふにゃふにゃ書いたり消したりしているうちに、結局訳がわからなくなって寝る。

色の4原色について考えたこと。
例えば、茶色。これは単波長光ではなく、いくつかの波長光が合わさってできるもの。その組みあわせ方は、3原色と4原色で、同じになるのか、それとも違うのか。
ある茶色の3原色の組みあわせ方が一つに決まらず、複数あるとしたら、4原色で見たそれぞれの茶色は、違うものに見えるはず。
を見ながら、あれこれ考えるのだけれど、すぐに訳がわからなくなってしまう。実際にこれらの立体模型を作ってみたほうがいいのかも知れない。

この間作ったハムを食べてみた。前回は最後にビニール袋に入れて煮るところで、袋に穴が開いていて水浸しになったのと、酔っぱらった私が一回だけでいい煮沸を夜中に二度もしつこくしてしまったお陰で、煮豚のようになってしまった。その反省を活かして、穴の開いていない袋に入れ、酔っ払いの私も手出しをせず、一度煮ただけ。お陰で、すごくおいしい生ハムになった。

 

9月10日

今日も一日ペンキ塗り。ようやくコツがつかめてきた感じ。でも、多分、あと一日二日で終わるだろう。

四原色。
鱒釣りにはほとんど関係ないし(多分)、ニュージーランドにはウグイはいないし、例えいてもわざわざ釣る気はないのだから、どうでもいいことなのだけれど、考えれば考えるほど面白い。単波光の組み合わせによって感じられる合成光(例えば、赤紫や茶色)は、三原色と、四原色では異なる場合があるのではないか。
と思ったけれど、そんなことはないことに今これを書いていて気づいた。三原色の二次元に、四つ目の原色が加わることで、三次元の色空間になるだけだから、三原色の二次元色空間(平面)は、そのまま保持される。ただ、三原色の我々には色彩として感知されない色(灰色としてしか感知できない色)を、それこそ色鮮やかに感知するのだ。
ワカサギの灰色のボディ、ニンフの灰色の腹、水面に浮かぶダンの灰色。テレストリアルに使う灰色のフォーム。どれも人間には灰色でしかないのに、ウグイから見たら、やたら派手な原色、それもそれぞれ違う色なのかも知れない。となると、同じ灰色のマテリアルを使っているのに、釣れるフライと釣れないフライが出てくるだろう。
灰を制するものは、ウグイも制するのだ。
うーむ、奥が深いのう。

 

9月11日

一向に終わる気配を見せないペンキ塗りである。何やら泥沼化している。どこまで続く、ぬかるみぞ。
 

9月13日

構想七年、実労働一三日間、ついにペンキ塗りが終わった。いやぁ、長かったっす。大変だったっす。あとは、部屋の中に物を運び入れ、カーテン吊ったり、ブラインドを取り付けるだけ。でも、やっと家らしくなってきた。床をどうにかすれば完成である。今は、まだコンクリートむき出しだから、ガレージと変わらんもんな。

魚の四原色について、「釣り好きの方へのコメント」として、新たに補足が加わっておりました。四原色の一四面体は、早速プリントアウト。

 

9月15日

魚の4原色。さらに。
人間にとってまったく同じ灰色が、ウグイから見たら違う色に見える可能性があるということに関して、「灰色を制するものは、ウグイを制する」と書いた。しかし、これはとても恥ずかしい早とちりだった。古川さんからいただいたメールを読んで、それだけではないことを思い知らされたのだ。よく考えれば当たり前のことで、そんなことに気づかないのは、古川さんが掲示板に書かれたことをおざなりにしか理解していなかったと恥じ入るしかないのだけれど、人間にとっては同じ茶色でも、ウグイにすれば茶(紫外線付き)と茶(紫外線抜き)の2種類があるじゃないか。いや、茶色だけではない。全ての色に関して同様のことが言えるわけだ。
ただ、これがフライフィッシングでどれだけの重要性があるのかは、例えウグイを専門に狙うにしても多少疑問がある。と言うのは、今羽化している水棲昆虫に似せた毛鉤を選ぶ場合、その選択基準は、1,大きさ、2,形、3,色 の順とよく言われているように、色の選択基準としての重要性はそれほど高くないからだ。たとえば、以前「フライフィッシャー」誌にもよく記事を書いていた柴田和氏などは、鱒は色は識別できないと公言して憚らなかったし、実際、とんでもない色の毛鉤を使っていたくらいだ。
となると、鱒釣りに関するかぎり、紫外線のことはあまり深く考えなくてもいいのだろうか。もしあるとしたら、シラメ釣りのように若年魚を対象とする場合に、紫外線も見えているようなので、例え独立に情報を処理していないにせよ、多少は関係あるかもという程度?

畑にコンポストと羊の糞肥料をすき入れ、いくつか種を蒔いた。早く芽が出て、早く食べられるようになるといいのに。

トンガリロ国立公園で、散歩。久しぶりに天気が良かったので、気持ちも晴れ晴れ。あちこちで、生まれたばかりの小羊を見る。春ですなぁ。

 

9月16日

「釣り師の言い訳、第二十八回目」の原稿を書き終わる。ふう、疲れた。でも、今週中にもう一つ書かないといけない。来月はほとんど家にいないから、その分の仕事を今やらないといけないのだ。そればかりか、ひょっとしたらそのうえ水曜日に実務翻訳の仕事が入ってくるかも知れない。GPS、衛星制御、並びに地勢調査の翻訳らしいのだけれど、もし入ってくるとかなりの分量になるみたい。専門用語だけでも大変なのにぃ。ぶいぶい。

一日の終わりに飲む一杯は、今までアップルトンのラムと決めていた。この間それが無くなったので買いに行き、ふと安さに心が揺れて、キャプテンモーガンを手にしてしまった。で、今、後悔してる。だって、ちっとも美味くないんだもん。やっぱりいつものにしとけばよかった。アップルトンと言えば、この間日本に行った時、12年ものなんてのがあったので買ってみた。とあっという間に空にしたのだけれど、普通のアップルトンとさほど差はなくて、なんだか値段の分だけ損をした気分。
今度の日本では、なるべく日本酒を飲むようにしよう。

今まで、ファックスも入れていなかった兄が突然パソコンを買い、メールを始めた。これで、家は全てネットで繋がった。クダラナイもんいっぱい送ってあげるから待っててねぇ。

 

9月19日

フライの雑誌、掲示板に久しぶりに書き込む。キャッチ&リリースについて。
魚が沢山いる川というのは、釣り人全ての願い。餌釣り、ルアー、フライ、果てはヤスで突く人まで、魚を手にする方法こそ違え、これは変わらない気持ちだ。問題は、どうやったら今現在より魚の密度を濃くすることができるかにある。自然産卵や棲息環境の問題(例えば、それを妨げる護岸、砂防ダム、堰堤などをどうしたらいいか)は、釣り人だけではどうにもならない。釣りをやらない人をも巻き込んで、つまり土建屋、政治家、役人といった人たちを相手にしていかなければ解決はしない。それで、今はそれはちょっと横に置いておいて、釣り人が自分たちだけでできることは何があるかを考える。思いついた順に並べると、
1. 釣り人の数を制限する(釣り人=0の場合が、禁漁)
2.魚の数を増やす
3.魚の数を減らさない
の三つがあるだろう。1は、まず釣り人が賛成しないだろう。なぜなら、「魚が沢山いる川で釣りをしたい」が、もともとの動機なのだから、魚が増えたところで、そこで釣りができないなら仕方がないからだ。
つぎに2。これは放流量を増やせばいい。もちろん、その分お金が余計にかかるし、それをカバーするためには入漁料も上げる必要があるかも知れない。
そして、3。一人がキープしていい数を制限すれば(0の場合が、持ち帰り禁止のキャッチ&リリース)魚の減少にいくらか歯止めがかけられるだろう。
こう見てくると、日本の場合なぜ「2」(放流量を増やす)ではなく「3」、しかも持ち帰り禁止にするのか、その根拠がはっきりしない。たとえば、その河川の魚が自然産卵によるもので、人の手を使って増やさない(つまり、放流しない)と決定している場合、方法は「3」しかない。これはアメリカの河川のいくつかやニュージーランドのほとんどの河川が当てはまる。しかし、日本の河川のように、釣り人の釣る魚のほとんどがもともと放流で供給されている場合、需要(釣り人)が増えたのなら、供給(放流)を増やせばいい、そういう話が出てもおかしくない。供給を自然産卵のみに限定した場合、人為的には増やせないからこそ、匹数制限、あるいはキャッチ&リリースが出てくるのではあるまいか。

キャッチ&リリース是非を語る際に、河川の生産量、釣り人の数、捕獲していい数(Sustainable harvest=それだけ採っても、その種が充分に再生産できる量)といった統計がまったく出てこないで、やれ、モラルだなんだと精神論的なことになりがちなのは、日本のキャッチ&リリースがそういった数字に基づいていないからではないかと邪推してしまう。

改めて、つくづくと、人は感情の動物なりと実感。ヒュームは偉かった。

 

9月20日

「釣り師の言い訳29回」のアイデア出し。断片的なものは、ふつふつと出てくるのだけれど、なかなかそれをストーリーに紡ぐことができない。それで、ふらふらとネットに逃避。

フライの雑誌、掲示板のキャッチ&リリースに関して。伊藤さんや田中さん、あるいはJYさんのように、どうしたら現状から一歩前進できるかと現実的に問題処理できる人が沢山居ることが確認できて、収穫。こういう人がもっと増え、願わくば漁協に入ってくれると日本の釣り状況も大分変わるだろうと思う。

これは、キャッチ&リリースはおろか、魚釣りとはまったく関係ないことなので、掲示板には書かなかったけれど、納得できる理由のない規則というものについて、生来の天の邪鬼なせいか強い反発を感じてしまう。おまけに、規則を推す理由が「取り締まりやすい」とか「違反が簡単にわかる」とか言われると、よけいに何だかなぁと思ってしまうのであった。
中学生の頃、「長髪はいけない」と先生に叱られながらも、校則についての納得できる説明がなかったから肩近くまで伸ばしていたし、高校では同じ理由で制服を着ていかなかった。しかし、タウポ水系の釣りでキープしていい魚の数に関しては、環境庁が事細かに数字を上げ、シミュレーションまでやって説明してくれたので、納得した上でちゃんと守っている。同様の理由で、車に乗る時はシートベルトをしている。別に交通規則だからじゃない。
そんな訳で、「規則は少なからず押しつけです。縛りつけるものです。本来ならば守ってもらえるよう説得するための、規則、ではない」なんて言われると、溜め息が出てしまう。

 

9月21日

家から一歩も出ず、ひたすら仕事。あるいはしている振り。人を欺いているというより、自分を誤魔化しているような気が、、、。

フライの雑誌、掲示板での議論が、なぜかというか、やはりというか、感情的なものになりつつある。キャッチ&リリースは、魚資源保全のための一手段に過ぎないのに、どうしてそれを語るときに感情的になってしまうのだろう。
河川の自然生産量、入漁料の売り上げ、その資金をもとに放流できる量、年間に入るのべ釣り人数、自然死による損失量、リリースによる致死率。これらの数字があれば、一人がどれくらい持ち帰っていいのか計算できる。もし、その数字が1を割るようなら、必然的に持ち帰り0、つまりキャッチ&リリースになる。それだけのことだ。キャッチ&リリースばかりではなく、キープを容認しながら、かつ魚資源を保全する方法もあるのではないですか。そう言っただけなのに、イヤミを言われたり、やらずぶったくりの釣り人のごとく揶揄される。
改めて、日本でキャッチ&リリース絡みの議論をする難しさを痛感。

仕事で必要になったので、パソコンに中国語を二種と韓国語を入れた。調子に乗って、アラビア語、ハンガリー語、ウクライナ語、ロシア語など他の言語も色々入れてみた。キーを打つと、アラビア文字がずらずらと表示される様子は、見ていて何だかとっても変。でも、余計なフォントを入れたお陰で、日本語の表示がもたつくようになってしまったので、泣く泣く仕事に関係ない言語は消す。
そうか。CPUをアップグレードすればいいのだな。って、まだ、言ってる。

 

9月22日

気掛かりだったことがいくつか今日一度に解決。掲示板での誤解はとけ、頼んでおいたトンガへのチケットが今日やっと取れた。おかげで、なんの心配もなく「言い訳」に集中できる。この週末で書いてしまって、日本用、トンガ用のフライを巻かねば。

と、言っているそばからコマネチのリンクを辿って、色々と馬鹿なページを見る。そんな時間はあるのかと自問しながら、しかし、やめられない、止まらない。中でも一番カッコよかったのは、このModern Living。Archiveの中の60番、New Religionにコマネチ発祥の地を見た感じ。

 

9月24日

昼過ぎに、「言い訳」を書き終える。これで、今月のお仕事は終わって、日本とトンガに向けての準備を始める。とにかく、フライを巻かねば。
 

9月25日

トンガ用のフライを巻く。改めてフライを巻くには、釣る魚のこと、釣り場のことが全体的に把握できていないと駄目だなと認識。イメージが湧いてこないのだ。鱒用の鉤なら、始めていく場所でもそこで使われているパターンを見れば、なんとなくどういうフライが効きそうか想像できる。けれど、行ったこともない場所の釣ったこともない魚だから、いくらパターンブックを開いてもピンとくるものがない。これと閃くものがないのだ。だからといって、巻かないわけにはいかないので、よちよちフライを巻いている。面白いもので、一端巻き始めると、ああいうのはどうだろう、こう言うのはどうだろう、なくした場合のことを考えて同じものを3つくらい巻くか、いや、駄目だった場合もあるからパターンを増やさねば、となんだかんだとたくさんフライができ上がってくる。

北海道用のフライは、トンガリロパターンで代用することに決定。

 

9月29日

トンガ用のフライをえっちらおっちら巻く。テイルを着けたフックに、グローバグヤーンの水色、淡い水色などを混ぜて巻いてフレアさせる。で、刈り込むと、サバの背中のような模様ができ上がる。その上に、シリコンを塗りたくって、渇き加減なところで細かく切り刻んだフラッシャブーを眩し、目玉を取り付ける。一晩置いたら、その上からもう一度シリコンを塗る。
いや、なんともいやらしくも怪しく光るフライができ上がるのだ。今回のソルトウォーターフライの中では、これが巻いていて一番面白かった。フライを巻いているというより、工作の時間の様な感じだ。
北海道用には、8-9番の竿とリール(フローティングとシンキング)、それに5番の竿とリールを持っていく。北海道で釣りをするなんて、実に16年ぶり。なんとも懐かしい。どうなることやら。

そういうわけで、この日記も10月16日までお休みします。
掲示板、メールなど、一切レスできませんが、気にせず書き込んだり、送ったりしてください。