トラウトバム日本語版        

DIARY

5月2日

D.O.C.(環境省)の取材が思いのほか長引く。向こうの都合に合わせるしかないから仕方がないのだが、月曜日、火曜日の二日間は、たった一本の電話を待ってただただ家にいる羽目に。ほかにやるべき仕事もなく、もちろん釣りにも行けないので、庭の芝刈り、畑の土替え、コンポストの鋤入れ、トレイラーの部品替え、車のパンク修理などの雑用で時間を潰す。しかし、それでも時間があるので本を読む。
Anton Chekhov 「The Black Monk」 随分と前に買ったペンギン60周年記念の薄ぺっらいもの。内容は、まぁまぁ。
藤門弘「シェーカーへの旅」 これも随分前にいただいたのがそのまま積みっぱなしになっていたので、読む。内容は、まぁまぁ。
引き続いて読み始めたのが、Ray Jardine 「Beyond Backpacking」 メキシコからカナダまでのパシフィック・コースト・トレイルを3度も歩き、コンチネンタル・ディバイド・トレイル、アパラチアン・トレイルなど総計2万5千キロ以上も歩いている歩きのプロの本。体力、意志どちらも強靱であることは当然だろうけれど、読んでいて感心するのは、とにかく荷物の軽量化に心血を注いでいること。いずれのトレイルも奥さんと二人で歩いていて、そのときのそれぞれの荷物の重さが、食料と水は別として、レイが3.8キロ、奥さんが3.2キロしかない。僕の持っているマックパックのザックは、ザックだけで2.5キロもあるのだから、この二人の荷物がいかに軽いかがよく分かる。いやはや、なんともである。それで、この本を読みながら、いちいち自分の持ち物の重さを量ったり、カタログと比べてみたりして、すげぇ、と感動しているのであった。この本が素晴らしいのは、軽量化を図るにあたって、一つ一つ、なぜそれができるか、その理由、背景が事細かに説明されていることだろう。心頭滅却すれば火もまた涼しのような精神論的なものではなく、ひたすら事実とそれに基づいた筋道のたった論理なので、うーんなるほどと納得してしまう。今度山に行くときは、もう少し考えて物を持っていくようにしよう。
 

5月7日

引き続き、Ray Jaidineを読み進める。500ページもある分厚い本で、そのうえ、出てくる単位が全てアメリカ式(温度はF、重さはポンド、水はクォート、距離はマイル)なので、いちいち計算しなければならず、ようやく半分ちょっとまで来た。
とにかく、荷物の軽量化を図り、その背後にある考え方を説明してくれるので面白いのだが、食料のところに来て、ちょっとびっくり。山歩きの食料として半分常識になっているフリーズドライをまったく使わないのだそうだ。そのかわりごく普通の野菜、果物、果ては肉まで持っていっている。フリーズドライは確かに重さは軽くなっているけれど、それと同時に必要な栄養分もほとんどなくなっているので、一ヶ月以上の長いウォークにはむいていないのだそうな。同様の理由で、パスタや米も使わず、胚芽米、コーンパスタを使用しているとのこと。
なかなか勉強になります。

オークランドの黒木さんが家に寄っていってくれ、カモ二羽をもらう。パラダイスダックのオスとメス。ありがとうございます。
羽根むしりをして、CDCを取っておくのはもちろんだけれど、今年は脂腺の辺りを切り取って、茹でてみようかと思う。以前、鶏の尻尾の付け根のところだけを茹でて鶏油を取り、ラード代わりに使っていたことがあるのだが、それと同じ要領でカモ油を取ってみようと思うのだ。うまくいけば、CDCオイルの様なものが手に入るはずで、これをフライのフロータントとして使えるのではと睨んでいるのだ。

 

5月10日

臭い。部屋中が凄い匂いになっている。鴨の尻を二つ、鍋で茹でただけなのだがこんなにきついとは思わなかった。とにかく鍋をベランダに出し、冷ましてから蓋をとってみると、期待していたよりも油の量は少ない。しかも常温では固形化せず液状のままだ。固まっていたらそれだけすくい取ってと思っていたので、計画を変更してスープの上の方だけお玉でタッパーに移し、冷凍庫で凍らせることにする。それで、氷の表面をそっと布で拭えば、CDCオイルのたっぷり染みたクロスができるはずだ。
しかし、脂でぎとぎとのスープをお玉ですくいながら、ふと思った。
CDCが素晴らしく水をはじくのは、綿毛の微細な部分にまで脂がよくしみ込んでいるからである。綿毛は大きさ、重さに比べ表面積がかなり大きく、しかもその全てが脂処理され水を吸わないのだから、表面張力に乗りやすいし、例え水中に引きずり込まれても気泡を保持しやすい。つまり、CDCの凄さは、そこに染み込んでいる脂の性能ではなく、あくまでも羽根の形態、そしてそれがしっかり脂を含んでいるというところにある。
っつうことは、臭い思いをしてCDCオイルを取ったところで、なんにもなんねぇんじゃん。

乗りかかった船。そういう言葉を思い出しながら、タッパーを冷凍庫にしまったのであった。

 

5月12日

女房が三週間ほどの予定で日本に帰ったので、今日からしばらくの独身生活。
昼過ぎから釣りにでも行こうかと思っていたら、土砂降りの雨になってしまったので、ヘナヘナとめげて、一日家に篭ってひたすら本を読み倒す。

Ray Jardine「Beyond Backpacking」 読了。持っていく荷物の重さを減らせば、歩くために必要なエネルギーも小さくなり、疲労も少ない。つまり、一日の疲労度が同じになるように歩くとすると、より長い距離を進めることになる。そうなると、重たい荷物を担いでいたら4日かかるところが3日で到着できるようになり、その分、食料と燃料を減らせるから、更に荷物が軽くなる。荷物が軽ければ、重たい登山靴を履く必要もなく、軽いランニングシューズでも快適に歩ける。一歩一歩は小さいけれど、靴の重さの違いによるエネルギー消耗度の差は何千歩、何万歩と積み重なると大きなものになる。それで一日の終わりの疲労度にも格段の差が出て、軽い靴は更に距離が伸ばせるようになる。そうなると、持つべき食料、燃料がますます減って、、、。
ひたすら、感心。

W.H.ハドソン「緑の館」 読了。ヴェネズエラのジャングルの中で、素性も不思議、持っている能力も不思議な少女リマと、ヴェネズエラ人の恋の物語。

清水義範「金鯱の夢」 読了。もし、豊臣秀吉に正嫡がいて、それが切れ者で天下を取っていたらどうなるかという話。そうなっていたら、確かに標準語は名古屋弁を基本に作られていたのかもしれない。「今晩は。七時のニュースだえ。今日の主なニュースをまず、お伝えしとくわなも。国土庁は今日、名古屋周辺の地価上昇について報告をまとめて発表しやーたと。それによると、めっちゃんこ異常だがね、いうような土地の値上がりで、なんとかしてまえんかね、いうような事態になってまっとるようだがね、、、」

 

5月15日

午前中、トンガリロ川に釣りに行く。水温9度。始めてから30分で、53センチ雌と58センチ雄が釣れたものの、その後が続かず。このところどっと茶色い水が流れるような雨が降っていないので、川底の石も苔が取れていないし、鱒の群れも入ってきていない様子。それから、もう30分ほどやったところで諦めて、新しいポイントを見つけるべく歩き回るが、そうそう簡単においしいところが転がっているわけではない。昼前に帰宅。
午後は、仕事。

といいながら、宮田登「江戸のはやり神」 読了。なかなか面白かった。その中に、「疱瘡をもたらすのは悪神の所業であるとして、悪神を送りだす神送りの儀礼は、延享二(一七四五)年種痘術が輸入されてからも、つい最近まで農村地帯では、しきりに行われたのである。」という文章があった。種痘はそんなに昔からあったのだろうかと、広辞苑でジェンナーをひいてみると、種痘を始めたのは1796年とある。あれ、それでは、この本の記述は間違いなのだろうか。そう思って色々調べてみたら、1745年に日本に入ってきたのは人痘種痘。疱瘡にかかった人間のかさぶたを粉にして、他の人間の鼻に入れるらしい。これは、たしかに免疫ができるかもしれないけれど、本当に疱瘡になってしまう可能性も高い。それに対し、ジェンナーが始めたのは、牛の疱瘡を人に移す牛痘種痘で、これは免疫力だけついて、疱瘡にはならないところが素晴らしかったのだそうだ。ちなみに、ジェンナーが実験台に使ったのは、決して自分の息子ではなく、近所の少年を捕まえて注射を打ち込んだのが本当とのこと。ひでぇ奴もいたもんだ。

 

5月18日

ニュージーランドを現在訪れている観光客の数は、年間に180万人。これを2010年、つまり十年後には320万人にしたいらしい。そのため、もっともっとたくさんのホテルが建てられ、あちこちに道路やケーブルカーが通るようになる。例えば、ミルフォード・サウンドからハアストへ抜ける道路、コリンウッドからカラミアに抜ける道路などももう既に計画がある(いずれもの道路も実際に作られるかどうかは未定)。開発か、保護か。経済を優先すれば開発になるけれど、あまり開発ばかりしてしまったのでは、そもそもニュージーランドの魅力である自然が自然でなくなり、ただのテーマパーク、アミューズメントパークになってしまう。バランスはどうやって取ればいいのか。

そんな特集を昨日のテレビでやっていた。それを見ながら思ったこと。観光客が180万人から320万に増えるということは、それと同じ割合ではないにせよ、訪れる釣り人の数も今より多くなるだろう(同じ割合でなく、多分少ないだろうと思う。理由は、もう既に釣り人はニュージーランドを訪れるべき充分な理由があり、これから先いくらホテル、交通機関などが整備されても、魚の数と質が変わらないかぎり、今現在よりニュージーランドが魅力的になるとは思えないから)。釣り人が増えるとなると、影響を受けるのは地元の釣り人ばかりではない。ガイドも今以上にやりづらくなるだろう。まず、他の釣り人が既に入っている川を案内する可能性が高くなる。ガイドの数も増えるだろうから、競争も厳しくなる。それどころか、金持ちロッジによる囲い込みがさらに進み、一部の人間だけしか入れない川がますます増えるだろう。
それに対して、より多くの釣り人が訪れることのメリットは何か。地域経済の振興。くらいだろうか。けれど、それがどれだけの力を持っているのか、僕にはよく分からなかったりする。ムルパラにあれだけたくさんの釣り人が訪れているのに、ムルパラの町、商店街を歩いても、どこにもその影響のかけらも感じられないのは、何故だろう。
自然環境を維持しつつ、そこで遊ぶことの難しさ。そして、経済活動を営むことの更なる難しさ。釣りの場合はまだいいのかもしれない。なぜなら、この国の川を訪れる人達は、川と魚が好きで来ているのだから、好きなものを壊そうと思ったりしないだろうし、保護にも協力してくれるだろう。しかし、バスや車で国立公園を走り抜けたり、ゴンドラから森を見れるようにしてあげないと、わざわざこの国までやって来ない人達というのは、本当に森や川が好きなんだろうか。ディズニーランドとニュージーランドの違いが分かっているのだろうか。

「言い訳」 昨日まで何も浮かばずに四苦八苦していたけれど、どうにか3分の1書き終える。明日中に仕上げ、明後日は釣りに行こう。そうだ、俺は釣りに行くのだ。行くぞ。絶対行く。何がなんでも行く。だから、明日中に書き上げるのだ。いいな、分かったな。

 

5月22日

朝飯を食べ、用事を済ませたら、もう10時半を回っていた。トンガリロ川の駐車場から結構歩くポイントを探ってみようかと思っていたのだが、もう昼近いこともあって、車からすぐのところに入る。1時間ほど釣って、58センチの雌、51センチの雄をあげる。一つ上のポイントで釣っていた釣り人がやはり二尾かけていた。

Ray Jardineの本に影響されたせいか、この一週間ほど、夜寝るときにブラインド、窓ともに全開にしている。さすがに雨と風の強い日は、中に降り込むので閉めているが、風だけ、あるいは雨だけならとても心地よい。特に風が何とも言えない。吹き抜ける風を顔に受けて眠るのが、これほど気持ち良いとは思わなかった。夏の間は窓を開けて寝ているけれど、こんなふうに気持ちがいいと感じたことがなかった。首から下は羽毛布団でぬくぬくとして、頭だけ夜風で冷やされるのがいいのだろうか。まさに頭寒足熱。

先日のテレビでやっていた、コリンウッドからカラミア、ミルフォードからハアストへの道を画策している人の言い分(特にコリンウッドからカラミアへ、ヒーピートラックのすぐ横に道路を造る計画について)「こんなに素晴らしい自然、美しい自然を、今はごく一部の限られた人、健康で体力のある人だけが楽しめるものとなっている。しかし、道路を造れば、老若男女、誰でも気軽に楽しめるのだ」
まったく同じ主張を、日本でも、たしか尾瀬かどこかのスーパー林道を作る際に聞かされた。
しかし、この主張は妥当なのだろうか。

 

5月24日

午前中、二時間あまり釣りをする。四尾かけたものの、二尾はバレてしまう。一尾はフライの結び目から糸が切れてしまった。6ポンドテストを使っているのだが、しばらく取り換えていなかったので、弱くなっていたのだろう。いい加減な気持ちで釣りをしていることが災いしたと、反省。もう一尾は多分、尾っぽにでもスレでひっかかったらしい。川を縦横無尽に散々走り回られ、その度に、尾びれの振れがブンブンと竿に伝わってくる。駄目だろうなと思っていたら、案の定、鉤が外れた。岸まで寄せられたのは、58センチの雄と、51センチの雌。

一昨日の釣りには、駄犬も連れていった。僕が釣りをしている間、いつものように辺りをふらふらしていたのだが、その日の夕方、玄関で豪勢に吐いた。大量の砂。去年の6月にも同じことをやっているのに、まったく懲りていないらしい。しばらくしてから、飯をやったのだが、これも吐く。そして翌朝。飯を目の前に置いても、食おうともしない。駄犬が物を食わないというのは、余程のことである。慌てて獣医に診てもらったら、砂の食い過ぎによる胸焼けですな、とあっさり言われた。それで、一日絶食させたら、すっかり元に戻った。
それにしても人を心配させ、タウポの獣医までわざわざ車を飛ばして行ったりして、とんだ迷惑な話と少々憤慨し、経験から学ばないのかバカモノ、同じ過ちを何度繰り返せば気が済むのだと、きつい目で睨もうと思ったのだが、しかし、ふと、この「砂」を「酒」に、「食い過ぎ」を「飲み過ぎ」に置き換えたら、まるで我が事のように、砂を食いまくった駄犬の気持ちが分かってしまった。身にしみて感得してしまった。後でひどいことになるかも知れない。そう十二分に承知はしていても、口の中に広がる味に酔いしれ、もう一口、もう一口と止めることができなくなってしまったに違いない。そして気がついたときには手遅れだったのだ。そうだろう、駄犬よ。わかる、お前の苦しさは我が苦しみであるぞ。お前はちっとも悪くない。ただな、駄犬よ。吐くなら、外で吐いてくれ。

 

5月29日

明け方に何度か目が覚める。昨夜の天気予報で、最低気温は−2度だろうと言っていたとおり、かなり冷え込んだようだ。目が覚めるたびに、布団の上に乗っている猫を中に引きずり込んで、その都度、束の間は温かいのだが、しばらくしてまた寒くて目が覚めるといつの間にか猫は布団の上に乗っている。多分、僕が寝返りを打って、それで潰されそうになるのがいやなのだろう。だからといって、窓を閉めて寝ようとはとりあえず思わない。

午前中1時間だけトンガリロ川で竿を振る。川はささ濁りが入っていて、見た目には良さそうなのだが、当りもカスリもせず。すれ違った釣り人も同じことを言っていた。

今まで、調子よく波乗りをしていたのだが、どうも最近沈みがちである。おかしいなと思ったら、波から流され、だいぶ下流に来てしまったらしい。このまま行って、この先がどうなっているのか、見てみようかという気もする。しかし、それは後でもできることなので、今はちょっと力を入れ、川を漕ぎ上がることにした。

 

5月30日

近所の大工、ポールと午前中の二時間ほど釣りに行く。
「仕事は?」
「ない」
「金は?」
「ない」
「釣りは?」
「行く」
ってなもんである。この間、四尾かけたポイントに対岸から入ろうかと一瞬迷ったが、対岸から行くと他のポイントへの逃げ道がないので、とりあえず前回と同じ、崖側から入る。ポイントについたら、対岸には二人の釣り人がもう既に入っていた。お、崖側で正解だったなと思っているところへ、さらにガイドに連れられた釣り人3人が加わり、対岸は総勢5人になる。崖側にしておいてラッキー。この間釣れたスポットをポールに譲り釣り始めたら、ポールの釣ること、釣ること。あっという間に6,7尾の鱒をかけている。すっげぇ、調子いいじゃん。ポールも嬉しそうだ。それでスポットを代わってもらってやるが、これがまったくカスリもしない。ま、あれだけ釣った後だから仕方がないかとも思いつつ、ひょっとして、とポールにまた場所を譲ったら、即座にまた釣り上げた。ううううむ。なんでだ。ひょっとしてニンフの重さのせいだろうかと思い、ポールのニンフを見せてもらったら、目茶苦茶重たい。それを一つ貰ってキャストをしたら、背中、頭にバシバシぶつかる。おっかなびっくり振って、それでも2尾かけた。というわけで、二人で10尾近い鱒に遊んでいただいたのだが、その間、対岸では、最初からいた釣り人が1尾釣っただけ。ガイドに連れられた釣り人は当りもなかったようだ。こんな時のガイドの気持ちが痛いほど分かる。辛いだろう。悔しいだろう。ああ、ガイドでなくてよかった。
 

5月31日

読者のそれほど多いとは思えない私の連載「釣り師の言い訳」をもっと魅力的なものとするために、水着のアイドルの写真でも入れればいいのではないかというアイデアをいただいたことがある。それはいい、あははと笑っていたのだが、こんなものを見つけてしまった。そりゃ確かに釣り人の人口比率は男の方がはるかに多いだろうけれど、どこか、外しているような気がする。ちっとも、いいなぁと思わないのだ。いや、それどころか、何やら危ない匂いすら感じてしまう。例えば、ゴム・フェチとか長靴・フェチとか。いずれにしても奥の深い世界である。