トラウトバム日本語版        

DIARY

4月1日

「釣り師の言い訳34」、大幅書き直しを求められる。なんだか、ひょっとして、没になるのかも、の予感。久々のヒットだと思ったのだが、ご理解していただけなかった模様。その時は、没原稿として、またここでお披露目するしかない。残念。

と書いた後で、書き直しをしたのだけれど、これで通るかしら。
もし、オリジナルのまま掲載されていたら、クックックッとアナーキスト、もしくはテロリストのように笑っていたのにと思うとやはり残念。

まぁ、あんまり人騒がせなことをしちゃいかんよなってことか。

三月一杯掛かり切りになっていたものにようやく目処がついた。手直しをして、今週中に納品の予定。これで釣りに行けると思うと、ほっと一息。

 

4月2日

「言い訳34」更に書き直しを命ぜられ、「釣り師の言い訳34改改改改改」として、六回目の提出。オリジナルには、実名で色々な人が出ていたのだけれど、全部削除とのこと。別にそれらの人を揶揄するものでもなんでもなく、ストーリーに信憑性を持たせるための小道具として、それらの人の著書を引用したり、呼びかけをした程度なのだが、、、。
削除を余儀なくされた人達の名前をここに列記しようかと思ったけれど、またそれで揉めたりするのもいやなので、中止。
それにしても、なんだかなぁ。
というわけで、「言い訳34オリジナル」が手榴弾だとしたら、「言い訳34改改改改改」は線香花火くらいになってしまった。掲載された暁には、ちんまりと楽しんでください。
 

4月5日

3月一杯かかって書いた原稿三百枚を納品。あとはこれに手直し、書き直し、やり直しをするばかり。ほっと一安心。
今月前半はごたごたと仕事が入って、ちと幸せ。畑の方も、収穫が続いて、結構幸せ。今食べられるものは、トマト、ゴボウ、ナス、カブ、ほうれん草、キュウリ、カボチャ、ネギ、シソなど。他には林檎もたわわになっている。もうしばらくしたら、長芋を掘ってみようと思う。
土曜日は天気が良かったら、湖に鱒を取りに行くつもり。この間まで家に泊まっていた飯塚さんが、鱒の押し寿司の作り方を教えてくれたので、それを是非とも作ろうということになったのだ。

昨日、犬の散歩がてらトンガリロ川に行ってみた。一昨日の雨のせいで、うっすらと濁りが入っている。そのせいか、やたらと沢山の釣り人をあちこちで見かける。でも、魚が釣れているところ、あるいはぶら下げている人には会わず。やはりまだちと早いのかも。

 

4月6日

知り合いの釣りガイドが死んだ。雪崩に巻き込まれての事故死。
そう言うのって、なしだよな、やっぱり。こっちに、心の準備が何にもできてないじゃん。俺より若いはずだぜ、あいつ。
もういない人間の声が思い出せる。なんだか、堪らなくなる。
もう一度、一緒に釣りがしたかったよ。
君がいなくなると、僕の隣にいつまでも空席が残る、そう言ったのは太宰治だっけか。
あの世でも、釣りとスキーを楽しんでくれ。
じゃ。
 

4月8日

気を取り直して、仕事。 昨日は、女房とその友達を連れて湖に行くが、2時間ほどやったのに、たった一尾だけ。しかも釣りは初めての友達の竿に来たものだから、ボートのそばまで寄せてバレル。ということで、ボーズ。おかげで夕飯は鱒の押し寿司を作るはずが、なぜかハヤシライスになる。

今日は、サモアからルイが来ていたので、遊びに行く。南島、マタウラ近辺をガイドしてきたらしい。相変わらずなり。他にも懐かしい顔が何人かいて、久し振りの再会を祝う。

 

4月9日

昨日書いた日記をアップすんの忘れてた。
今日は、朝から雲一つない、風もないとてもいい天気。トンガリロ国立公園に出かけ、写真を撮ってきた。森林限界を超え、あたりは木一本ない岩と苔だけの世界。何か面白いものはないかと道から外れ、ふらふらと歩いていたら、小さな水なし谷へ出た。しばらくそれに沿って登っていくと、乾ききったところに、2メートルほどの水溜まりがある。そばに行ってみたら、なんと10匹くらいカゲロウがいるではないか。皆、羽根の透明なスピナー。大きさは、#12番くらい。手に取ってよく見てみるが、種類を同定するほどの知識がなくて、なんだかわからない。あとで、写真を撮っておけばよかったと後悔したが、それこそ後の祭り。それにしても、なんで、こんな高いところ(標高約2000メートル)の、しかも水の流れていないところにいるのだろうと不思議で仕方がない。

すっげぇ貧乏だけど、こうやって、青い空の下で過ごしていられるなんて、結構幸せなんじゃないだろうか。山や草の写真を撮りながら、そう実感した一日。

明日は、DOCのおじさんにくっついて、キウィの寝床を襲撃する予定。眠っているキウィを巣穴から取りだし、体重測定をするところを写真に撮る。ガラス越しでなく、間近に見られるかと思うと、わくわくする。ひょっとしたら、触らせてもらえるかも。こっそり、羽根を一本抜いてこようかしら。

 

4月10日

悪天候のため、キウィ襲撃は延期。その代わり、発信機を取り付けたキウィを探して、四輪バイクに跨がって、森の中をブイブイ走り回る。もちろん、僕は、後ろでしがみついているだけなのだが、こんなに凄いものだとは思わなかった。とんでもない道を、ホイホイ行けるのだ。歩くのも難儀などろどろの急坂をバヒバヒ登ってしまう。これがあれば、あの川も、その川も、気軽に行けるじゃないか。そう思ったら真剣に欲しくなってしまった。しかし、生活費も危うい状態なので、逆立ちしたって買えるわけもなく、年に何回使うつもりなのだと一生懸命自分を説得して諦める。
トンガリロ国立公園下のトンガリロ森林公園には、そんな四輪バイクの道が縦横無尽に走っていた。ほとんどがハンターのものだ。四輪バイクは物もかなり運べるから、とんでもない山奥に立派なビビイがあり、無精ヒゲの、破れたセーターの、泥だらけの短パン男がお茶を飲んでいたりする。話をするとそうでもないが、見た目はとても恐い。ちょうどこれから鹿狩りの季節に入るせいで、今日の午後半日だけでそんな強面の男達を7人も見かけた。
家から、1時間ほどしか離れていないのに、まったく違う世界が広がっているのだなと感心。
 

4月13日

11日は、キウィの巣を襲撃し、卵を一つ、奪い去る。写真は残念ながら撮れず。しかし、卵を一生懸命温めていたオスのキウィの写真は撮れた。卵は、すぐにラップされ、保温用の箱に入れられ、飛行機にてロトルア(レインボー・スプリング)に運ばれていった。ここで孵化させた後、1000グラムまで育ててから、また野生に戻す。卵が孵ってから6ヶ月間のキウィの生存確率は、自然状態の場合、わずか5パーセント。残りの95パーセントは、オコジョ、イタチなどに食われてしまう。ただし、1000グラムを越えると、オコジョに狙われる可能性は格段に減るのだそうだ。それでそれまで人の手で大きくして森に戻すのだそうだ。
卵を運びだす間、キウィの健康状態、体重などを検査していたのだが、キウィを抑えていたDOCのお姉さんの服の、胸の辺りとお腹の少し下にキウィの羽根が数枚ついているのを確認。場所が場所だけに、まさか手を伸ばして取ることもできずどうしたものかと考えていたら、同じく取材に来ていたローカル新聞の記者の娘(8歳)にあっけなく取られてしまった。ム、ム、無念。

あまりにも仕事が少ないので、とりあえず、インターネット上で営業活動をすることにした。少しでも何かあると嬉しいのだが。

 

4月15日

一日家に篭って、「言い訳」のアイデアを考える。ついこの間、34回目を書き送ったばかりなのに、もう次だ。なんかやたら時間の経つのが早くないか。
なかなか良いものが浮かんでこず、つい、本に逃避。
八田洋章「木の見かた、楽しみかた」 内容が非常に細かくやや煩雑な感じも受けるが、その分色々と勉強になることも確か。残念なのは、当たり前なことなのだけれど、出てくる木のほとんどが日本のものなので、この本を手に家の近所の森を歩くわけには行かないこと。

天気もいいし、おまけに雨の後のささ濁り状態だから、釣りに行きたくてならない。が、「言い訳」のネタを思いつくまではとにかく我慢することに。だいたい今はイースターの4連休だから、どこに行っても人で一杯さ。と、自分に言い聞かせ、とりあえず説得成功。

 

4月16日

DOCのお兄さんから連絡があって、キウィ探しに行って来た。一度捕獲して発信機を取り付けられたキウィを、定期的にその電波を頼りに探し当て、体重測定、健康診査、発信機の取り換えなどをする。しかし、これが予想以上に厄介なものだった。実際にやってみるまでは、電波が出ているから居場所は簡単に見つかるだろうと思っていたのだ。しかし、こっちの方向にいるという方向性だけしか情報がない訳だから、それに導かれるままに、尾根を越え谷を渡りして、道なき森の中をひたすら一直線に歩き続けるしかない。おまけにお兄さんが180センチは軽くある長身者だから、歩幅が違って、追いついていくのが大変である。一羽目は、居場所は突き止めたものの、木の室奥深くにいて手が届かず、場所確認だけで終わる。そして、それからまたいくつかの谷と尾根を一直線に越えて、ようやく二羽目を見つけた。倒れて朽ち果てた木の下深くにいるので、上半身ドロだらけになって、しかも穴まで掘って、やっとキウィの捕獲に成功。そばで見るキウィに感動しながら、写真を撮っていたら、手伝えと言われ、なんと検査をしている間キウィを抑えていることに。20分くらいもキウィを抱えていた。おかげで、思ったほどには写真は撮れなかったけれど、野生のキウィを抱きかかえる貴重な体験ができた。
全てが終わり、キウィを放してから、あたりを見れば、キウィの羽根が結構落ちている。はい、もちろん、拾ってきましたです。というわけで、世の中にフライフィッシングをしている者の数は多けれど、キウィの羽根を持っているやつはそうはいるまいと、ちょっと自慢。
 

4月18日

昨日は妻の誕生日。スーパーへ一緒に買い物に行って、夕飯は何を食べようと聞かれたのだが、そのことをなぜか綺麗さっぱり忘れて、「なんか、冷凍庫にある残りもんでも適当に片づければいいんじゃない」と口にしてしまった。
市中引き回しの上、獄門さらし首。とほほ。

家の庭で草ゼミを見つけたので、insectsに追加。

 

4月20日

いまだに「言い訳」が一文字も書けていない。催促のメールも来た。どうするのだ。
ちょこまかと入ってくる実務翻訳の仕事をやっているからというのは表向けの理由で、本当は、こんなことをやって遊んでいるからちっとも進まないのだ。
ちなみに、私は、1040毛沢東。
 

4月27日

書けない、書けないと思っていた「言い訳第35回」は、金曜の夜更けにふっとネタが浮かんだので、土曜、日曜の二日で書き上げてしまう。よかった、よかった。
月曜日は、実務翻訳。さる市民会館の館内案内の英訳。
火、水、木はオークランド郊外にて取材。日帰りでできるハイキングコースをカラー2ページで紹介するものなのだが、なんと報酬はたったの100ドル。家からオークランドまで車で行き、あちこち走り回り、写真を撮って現像すると、ガソリン代、フィルム代、現像代で、250ドルほどになる。そのうえで、原稿を書かねばならない。あれ?と言うことは、斉藤は、150ドル支払って、働かせてもらってるわけっすか。まぁ、いつかそのうち、かなり割りのいい仕事を回してくれるようなことを言っていたから、それまでの顔つなぎということで、我慢しよう。これで、おいしい仕事を回してくれなかったら、ただじゃおかないからな。
 

4月29日

トンガリロ川まで、様子を見に行く。しかし、ここのところとんと雨が降っていないので、水は澄み渡り、鱒の姿もほとんど見えず。産卵遡上はまだ始まっていない模様。
手ぶらで帰ってはガソリン代が勿体ないと、栗拾いに走る。今からしばらくの間が、ピークだろう。下を向いて、イガを靴で割っていると、ぼとりと上から落ちてくるので用心しながら拾い集める。大粒のものだけを選んでポケットに入れていくが、すぐに一杯になってしまった。ニュージーランド人は誰も拾わないので、いい栗が残っているどころか、車に引かれて潰れていたりする。勿体ない。今年は、栗の皮むきのための新兵器、「栗くり坊主」があるおかげでかなり手早く鬼皮が剥けとても助かる。トンガリロの栗はマタマタのものに比べ多少甘みに欠けるが、ただで拾ってくるものに贅沢を言ってもきりがないので、ありがたくいただく。

先日ぶーたれた仕事で、ガソリン代、フィルム代、現像代は実費で出ることが分かり、ほっと一安心。他の雑誌の仕事も、こういう経費は負担してくれるとすごく嬉しいんだけどなぁ。